世の中には性善説と性悪説がある

本来の人間はどちらなのかという議論は度々されてきた

善で生まれついたのが

世の中の害に塗れて悪を持ってしまうと考えるのか

はたまた悪だったけれど

世の中に浄化されて善への道を進むと考えるのか

 

まったくバカげた考え方だと思う

そういう固定した決めつけ方はよくない

両極あって当然だと思う

というか、コインで考えてみて欲しい

表があって裏のないコインって存在しない

表だけ見てそれがコインのすべてだとは誰も思わない

善悪も同じようには両方あってワンセットなのだ

 

 

次の動画を見て考えてみよう

 

 

無人販売所って不思議な存在だ

これこそまさに性善説で

貴方の善意を信じてますよって形で作られる

その善意を信じる心が裏切られたら悲しいですよね

たぶん農家の人は

見たくないものを見せられる悲しさ

 

それでも人の善意を信じてますっていうのなら

無人販売を続ければよろしい

ただし、窃盗にあっても文句を言うべきじゃない

ちょっときつい言い方ですけど

悪の部分も受け入れる覚悟がなければ只の脳天気だ

人を信じるってそういうことだと私は思う

 

この動画では農家は正直な善人で

お金を誤魔化した人が悪人として映っているが

確かに誰も見ていないからとお金を誤魔化す人は醜い

でもそれが即、悪人だとは私には思えない

本来、人の監視下で販売するものを

客の善意に任せて販売している

責任を客の善意に丸投げしているのだ

他人任せにしたことに対して

農家が相手を責めるのは違うような気がする

 

私だけが特殊なのかもしれないが

一旦他人の善意に委ねたものを

結果で文句を言うのなら委ねたことにはならない

それなら自分でやれよ って思う

無人販売でのトラブルが嫌なら

有人で販売するシステムに委ねればいいだけの話ではないのか

 

人は生まれついての善人でも悪人でもない

コインの表だけ見て裏を見ないということは

何も見ていないのと同じである

一方だけに偏る事自体が

善でも悪でもなく無知である

 

無人販売所がきっちり善意で運営されれば理想ではあるが

そうはいかない

理想通りに人間の心は動かないのだ

心の醜さも含めて人であることを我々は知らなければいけない

 

 

人間というこの厄介な生き物よ・・・