まず、暴力についての私の見解

そもそも何が暴力かって判断って難しいよね

ネットで調べてもよくわかんない

まあ大雑把に言えば、相手を殴ることですかね

今の世の中、殴られた相手が訴えれば

殴ったという行為だけで警察沙汰にはなりますからね

たとえそれが夫婦間であってもです

 

それに比べるとハラスメントって証明が難しくて

されている相手が嫌がらせであると感じなければ

ハラスメントにはならない

でも実は暴力もハラスメントも同じで

ハラスメントって言葉の暴力なだけなのです

それで力であろうが言葉であろうが

それを相手が傷つけられていると感じなければ

暴力ではない ・・・と逆に私は思っている

 

暴力もハラスメントもそこにどういう感情があるかで印象は変わる

つまり印象というものは相手次第なのであるから

暴力をふるう側は相手側との相互理解と密接な関係が必要だ

あくまで私の見解なのですが

そういう間柄に無い人を殴ったり罵ったりするのが

ハラスメントであり暴力だと思っている

 

例えば私の考えでは

親が子供を殴る行為を一律に暴力だとは思っていない

ただし、ただしが付く

本当にその関係において、相互理解と密接な関係が築けてますか?

それがなければ、子供は愛情だとか躾だとかは感じませんよ

ここに教師の体罰が何故いけないかというと

先生と生徒の間には理解も密接な関係も存在しなくなっているのに

愛情だとか躾だとかいう言葉で暴力を誤魔化すところにある

 

暴力に対する私の見解を親子関係で説明しましたが

人間関係が稀薄な現代においては

大人子供教師生徒に関係なく

人を殴れば即暴力と定義しておいた方が無難かもしれませんね

 

 

 

そこで今度は冒頭の『暴力を振るわない暴力団』の話になる

 

ある暴力団の組長が、暴対法 が出来た時に言っていたんだけど

『我々がいなくなれば世の中はもっとひどい状態になる』

きっと半グレと呼ばれるならず者集団や一般人の薬物中毒やオレオレ詐欺などの

出現を予言してたんだと思う

孤独な一人暮らしの老人から、

身内になりすましてお金を巻き上げようなんて発想は893にはない

毒をもって毒を制す じゃないけれど

組織化された毒が、最低限の規律を守ることで

世の中が成り立っていた部分はあったのかもしれない

 

 

このように世の為に良かれと作られた法律が

世の中を悪くする例は山ほどある

もともと我々は法律に守られてなどいない

世の中が希薄になり他人に無関心になる時

暴力よりもっともっと怖いものが常識の外から忍び寄ってくる

強面の893より

柔和な顔の一般人に警戒しなければいけない時代になったということだ