昔から変だと思う事は、世の中にはたくさんあって

誰かが変ですよって言ってくれないかなと待ってる

 

だって、だってさ

私が先に言い出すと、

『またやってくれましたか』って空気になる

私の事、みんなへそ曲りって思ってない?

影でホントに悪口言ってない?

 

ん? ハハッ 気にしすぎ?

なあんだ!自意識過剰の被害妄想かぁ~

じゃ、安心して書こうっと!

 

 

 

180度人生が変わりました

・・・って、常套句

なんかおかしくないですか?

 

もちろん360度では一周しただけで何も変わらんわなぁ~

でも180度では後ろ向きになっちゃうよ

人生後戻りするの?

人生の方向を変えるのならせめて90度だと思うんだけど

いくら凄い経験をしても

人生を180度も変えて後ろ向きな生き方したらダメじゃん

なんでこんなマイナス思考

正々堂々とみんな言っとるのか疑問なんですけどぉ

誰かこの疑問に答えてぇ~

 

それから

かわいい子には旅をさせろ

 

もちろんちゃんと意味は判ってる

だから、DJ社長のように

『お願いだからブスにも旅をさせてよ~』といちゃもんはつけない(笑)

まったくその言葉通りだと思っているんだが

みんなこそ実際の意味を分かっているんだろうか

 

本当にその子が可愛いんだったら

試練を与えて成長させなさいってことですよね

私が小さい頃

近所に手足にちょっと障害を持った子供がいた

その子の親は子供を大事に甘やかして育てた

何でも買ってやり、一切叱ることはしなかった

近所の人達はそれを同情的に見て、

親の愛情の深い証拠だと・・・

 

私は子供心になんかおかしいなと思ったんです

ハンディを背負っているんだから

思い切り甘やかしてやろうという考え方は

親の贖罪みたいで嫌だった

 

世の中に出たらひとりぼっちじゃないですか

強くならなきゃ生きてゆけない

ハンディのある人はそれ以上に強さって必要になってくる

それを愛をもって教えることのできるのは親だけでしょう

その子の将来も考えないで、

なんで可愛がるだけが愛情なんですか

 

甘やかすことは周りの大人達に頼んで

親は子供への責任を果たすべきだと思うんです

自分らがいなくなっても

子供が自立して生きていけるように・・・

 

これは一般の親御さんにも言いたい

親は甘やかしている自分に満足するかもしれないが

親の満足のために子供はいるんじゃない

愛情と甘やかしを勘違いしてはいけないと思う

辛くとも親は鬼にならなければならんことだってある

 

時に愛は鬼の形相で迫ってくる

人間の持つ醜さや汚さ狡さに出会った時

これをないものにして子供に見せないのは違うと思うんです

これらと戦うだけの愛の強さを子供に示してほしい

世の中の理不尽さや厳しさを超える強さを

子供に教えられるのは親だと思うんです

 

これは全ての人間関係においても通じる話だけど

真に愛がなければ鬼にはなれない

ましてや親の子を想う気持ちは鬼子母神のごとし

厳しい言葉のホントの意味を知ってほしい

世の中には愛を語る人は多い

だが、強さが伴わなければ偽物になる

愛情はきれいなだけでは偽善だ

修羅のごとき強さがあってこその愛なのだ

 

あなたにやさしい言葉をかけてくれる人は

いい人かもしれないが必ずしもそれは愛ではない

やさしさと愛は時として一致はしない

何故なら

善悪を超えたところに真実の愛はある

 

 

 

 

 

話は戻りますが

可愛い子には旅をさせろは間違ってはいない

ただ、現代においてはどのような旅するかも重要になってくる

世の中は善なるものばかりで存在しているわけじゃない

清濁併せた経験は必要になってくるが

どれだけ泥だらけになっても

取り返しのつかない悪だけは経験すべきではない

過酷な旅にも常に選択する自由はあるのだ

 

 

今回、ふたつの常套句を取り上げたが

思いつくまま無理やりな結論に導いてみる

 

私が作る常套句は・・・

 

旅先は考えて選び、そこで人生を90度変えてみろ

 

誰でも人生という旅をしている

そこを真っ直ぐに歩いていたってつまらん

90度変わるくらいの経験は必要だ

紆余曲折の迷路を彷徨う気構えで丁度いい

どうせ生きる事はこの世への観光旅行

寄り道しながらで何が悪い

道に迷ったところで大した問題じゃない

失敗も成功もなく

強くなって生きることだけが旅の目的なのだ