今日は本屋へ行った
千円以上する新刊を買う元気はないので
いつもは図書館で間に合わすのだが
あいにく私の読みたかった本がない
それで再販本が出ているとの情報があり本屋に探しに行った
残念ながら見つからなかった
ネットで購入もできるのだが、読みたい部分はごく一部で
本屋の立ち読みで間に合わそうとしたのだが甘かった
 
『僕どうして涙がでるの』伊藤文学著
 
興味のある方は読んでみるといいですよ
私はすでに二十歳の頃に読み、今回はある部分だけを再読してみたかった
全文を読むほどの気力はもうない
誰かの言葉だったけど
もし心に響く一行でもあればその本は置いておく価値がある
まったくその通りですね
思い出を大事に取っておくみたいで
未練たらしいと考えていたけど.・・・間違いでした
 
「僕どうして涙がでるの」
作者の伊藤文学さんは薔薇族の初代編集長
薔薇族がどういう雑誌かといえば、知る人ぞ知る日本最初のホモ雑誌である
伊藤さん自身はそういう性癖ではないが
一部の人のために偏見や差別と闘ってこられた方です
祖父の伊藤富士雄という人はもっとすごい
娼妓解放という弱い立場の方に命を掛けられた方です
 
「僕どうして涙が出るの」はそういう話と関係なく
作者と心臓病の妹の闘病日記が根底にある
ノンフィクションの話です
私自身この手のお涙ちょうだいの話が嫌いだが
それでも涙が出てどうしようもなかった
 
伊藤文学さんは
まだご健在でブログもやっておられるので読んでみるのも面白いです
 
 
私事ではありますが
この本との出会いもちょっと印象深いものなので載せておきます
二十歳の私は凄く本を読んでいた時期で
駅前にあった小さな書店「福永書店」に入り浸っておりました
店奥に並べてあった雑誌「薔薇族」を手に取って見ていたのですが
(あっ その趣味は全然ありませんからご安心を・・・)
店の親父が飛んできて
「若い子がそんなもん読んだらあかんがな!」とおっしゃってこられたんです
私もその頃は血気盛んな時期で
「世の中に読んだらあかん本なんかない!」と言い返しました
なんかそのセリフが店主のツボに嵌ったらしくて
それから色々と声を掛けてくれるようになった
 
その時「薔薇族」の編集長の伊藤文学という人が前に出版したもの
ということでこの前述の本を紹介してくれた
当時店主から聞いた言葉
伊藤文学という人は、文学者ではないが
このノンフィクションは文学である
この意味を今回ある一行から調べてみたかった
 
茶飲み話でする店主との文学の話は面白かった
書店主の評価する本の話はちょっと興味があった
彼曰く、日本で文豪と呼べるのは森鴎外だけ・・・
ちょっと個性の強い書店主であったと思う
 
 
月日は百代の過客にして、
行きかふ年もまた旅人なり
 
数十年後に、昔住んでいた土地という事で
書店辺りを歩いたが、店は何かの展示場に変わっていた
店主も生きているはずもないが
生きていれば聞きたかったことが幾つかある
 
小説家 福永武彦氏とは?
 
大阪には同名の大きな書店があるが
あなたは全くの無関係なのか?
 
 
それから一番訊きたいこと
あの当時でも「薔薇族」を置く店は少なかったが
あれは親父さんの隠れた趣味ではなかったのか?
 
そうして考えを思い巡らしてゆくと
私に示してくれた熱い温情は
本当に本好き同志によるものだったのか?
 
 
ひょっとして・・・と頭をよぎることがある
 
 
 
 
 
すっかり余談になってしまったが
話を「僕どうして涙が出るの」に戻す
ここに伊藤文学さんのブログから一部を抜粋して掲載します
 
 

僕は、まったくの無宗教で、神とか霊などを信じない。

長いこと妹が東京女子医大の心臓病棟に入院していたので、多くの心臓病の人たちと知り合うことができた。

人間、心臓が停止すれば、その時が死だ。

 今から45年も前のことで、、日本で心臓手術が行われるようになってから、そう時間が経っていない頃だったから、医療器具もそれほど進歩していなかったのだろう。

手術後、亡くなる患者が多かった。

前の日に会って、次の日に病室に行ったら名札がつけかえられ、新しい患者さんが寝ていたなんていうことが度々あった。

 

そんなことが度重なって死というものに達観してしまったようだ

先妻の舞踏家、ミカが風呂桶の中で酸欠でこと切れていても、「ああ、死んでしまった」と思っただけだ。

父や母が死んでも涙を流すということはなかった。

 

それだけに生きている今を大切にと思い続けている。

どんな電話がかかってきても、がちゃっと切ってしまうようなことはしない。

できるだけ誠実に答えるようにしている。

初めて出会って人でも、お茶をおごったり、食事をしたりしている。

『薔薇族』の読者はやっとの思いで電話をかけてくる人だし、訪ねてくるのも勇気がいることなので、できるだけ親切に応対するように心がけてきた。

妹が長い間、心臓病棟に入院していたので、様々な人たちに出会い、広く世間に目を向けるようになってきた。

それが『薔薇族』の誕生につながっていったというわけだ。

45年も前に出版した『ぼくどうして涙がでるの』を新書版にして出したいという、ある出版社から依頼があった。

本当にしばらくぶりに読み返してみたら、自分で言うのもおかしいが感動させられてしまった。

この時代の患者たちが、みんな助け合って病気と闘っている姿は胸を打つ。

妹の日記もすさまじいものだった。

今の時代に生きている人たちが失ってしまったものが、この時代にはあった。

早く本になってもらいたいものだ。

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