私は詩人だ!
あっ 今笑ったでしょ
本当に私詩人なんです
私人と詩人、漢字間違えて書いてないですよ
さぁて、今日はどこまで嘘突き通せるかな
 
人生の先輩の言葉
たとえ一行の詩を書かなくとも
その生き方、感じ方、考え方が詩であるならば
その人は紛れもなく詩人だ
本当は自分で考えた言葉ですけどね
 
というわけで私、詩人なんですよ
嘘つきとへそ曲がりと多重人格でボケてるのと下ネタ好きに
詩人という肩書までついてます。
すごいでしょう
何か威張る箇所間違えてる?
 
 
で、詩人とは何たるかをこれから説明しよう
まず、自分で詩人と名乗る奴は絶対詩人ではない
もう嘘ばれしてしまいましたけど
突っ込まないで軽く流してください
えへん
私は詩人だ
 
 
若い頃、高村光太郎の詩を愛読した
これが真実の人間の苦悩であり
生きる姿勢だと感銘していた
「道程」知ってます。(女性経験の未だない・・・ ばかばか!)
何度も何度も読み返し、その詩人を尊敬もしていた
だが、ある時ふっと私の中に疑問が生まれた
 
  「智恵子抄」
 
最愛の妻,智恵子への美しく哀しい詩
こんな時自分ならなんて書くんだろう
死にゆく妻を目の前にして・・・
 
私の中の疑問はどんどん膨らみ、そしてある時弾けた
 
「わたしなら絶対書かない」
 
もし、、万が一書いたとしても世には出さない
人の眼にさらされたとたん詩の世界は破壊され
評価を受けたとたんそれは詩ではなくなる
そこには夫ではなく
冷静な詩人の眼をした高村光太郎がいるだけだ
それは愛するものを見る人の眼ではない
狂って行く女を見る他人の眼だ
 
詩のような生き方をし、たくさんの詩を評価された人物
智恵子抄を書いた高村光太郎は
詩の対象物として愛するものを見ていた
ゆえに詩人であって詩人ではない
 
それが私の出した結論だ
 
私をこのような結論に導いたものに
宮沢賢治の『春と修羅』がある
皆さんもご存知の有名な詩「雨ニモマケズ」
学校の教科書にも載っている
 
 
宮沢賢治のこの詩を読んだとき
なんでこんなつまらんこと書くの
偽善者か?
上っ面ばかりよくて少しも苦悩してない
人間はもっとどろどろしたものだ
いい人ぶってお金儲けかって・・・
 
でも賢治の他の詩を読むとわかる
この人、本気でおバカでお人よしに成りたがってる
普通恥ずかしくてさ
『私は善人になりたい』なんて本気で言える奴いないよ
紛れもなく人の眼を気にせず
自分の思っていることを詩にしている
人の評価なんて気にも留めてない
 
下手な詩人のやる子供のふりをして
無垢な心を書いているんじゃない
本当に無垢な裸なんだ
何も纏わない 何も飾らない
単純な言葉でかかれた、単純な内容
それにどれだけの自分の無垢な思いを込めることができるのか
とても凡庸のなす技じゃない
 
そして大事なことは賢治はこの詩を発表してはいない
死後残った人たちが勝手に発表したものだ
賢治はこの詩を自分に向けてしか書いてない
 
 
賢治が唯一、生前に自分の意志で世間に出した詩集は
    『春と修羅』だけ
その中で私の好きな詩「永訣の朝」の一説を載せておきたい
 
 

※死にゆく妹がふいに「雨雪(みぞれ)がほしい」と言いました。

賢治は幼い頃から兄妹で使っていた椀を持ち、表に飛び出します。

わたくしのやさしいいもうとの
さいごのたべものをもらつていかう
わたしたちがいつしよにそだつてきたあひだ
みなれたちやわんのこの藍のもやうにも
もうけふおまへはわかれてしまふ
 
私のやさしい妹に
最後の食べ物をもらってゆこう
私たちが一緒に育ってきた間
見慣れた茶碗のこの藍の模様にも
もう今朝お前は別れてしまう
 

※真っ白な雪の中の情景と、妹への思いを溢れさせた言葉が、

あまりにも悲しく美しく連なっていきます。

ほんたうにけふおまへはわかれてしまふ
あぁあのとざされた病室の
くらいびやうぶやかやのなかに
やさしくあをじろく燃えてゐる
わたくしのけなげないもうとよ
この雪はどこをえらばうにも
あんまりどこもまつしろなのだ
あんなおそろしいみだれたそらから
このうつくしい雪がきたのだ
 
本当に今朝お前は別れてしまう
あぁあの閉ざされた病室の
暗い屏風茅葺の中に
優しく青白く燃えている
私のけなげな妹よ
この雪はどこを選ぼうとも
あまりにどこも真っ白なのだ
あんなに恐ろしい霙れた空から
この美しい雪がきたのだ
 
 

(うまれでくるたて

       こんどはこたにわりやのごとばかりで

       くるしまなあよにうまれてくる)

   おまへがたべるこのふたわんのゆきに

   わたくしはいまこころからいのる

   どうかこれが天上のアイスクリームになつて

   おまへとみんなとに聖い資糧をもたらすやうに

   わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ

 

(今度生まれてくるときはこんなに自分のことばかりで

苦しまないように生まれてきます)※妹の言葉

 

お前が食べる椀の雪に

私は今心から祈る

どうかこれが天国のアイスクリームになって

お前とみんなに尊い食べ物として与えられるように

私のすべての命をかけて願う

 

 

 
 
賢治も光太郎と同じように愛する者の死を
詩集として世に出しました
でもそれを見る目は詩人ではなく、兄以外の何ものでもありません
春と修羅が私に教えてくれたことは
詩人は詩人の眼で世界を見てはいけないという事です
それは熱い人間の眼でなければならない
でなければ全部嘘になってしまいます
 
詩は詩人が書くものではありません
ましてや技術や理性が書くものではありません
心を揺さぶる本当の詩は、人の魂で書くものです
賢治の詩を読むたびに思います
 
人間の魂とはこれほど切なく美しいものなのかと・・・