私の中の坂口安吾を語る
読書家と言われる人の中でも
坂口安吾を知る人は少ないだろう
狂人の私を作った苦悩と狂気の作家の話だ
 
 
  一部解説を抜粋しておく 

  坂口安吾の文学作品には、途中で放棄された未完の長編や失敗作も多く、

  小説家としての技量や芸術性・完璧性の観点からは器用な作家とはいえないが

  その作風には独特の不思議な魅力があり、狂気じみた爆発的性格と

  が吹き通っているがらんどう」のような風格の稀有な作家だといわれている 

 

器用な人ではないし、偏った性格の人だ

なぜ好きになったのかと問われても正確な答えは出てこない

私は読書家なんかじゃないし、今は小説なんかほとんど読まない

ただ、人生のある時期十代から二十代にかけての3年間は大量の本を読んだ

それも人とはずいぶん違った本の読み方をした

一度に4,5冊の本を読んだ

時代小説、純文学、哲学書、推理小説、随筆など

それらを丸一日かけて数ページずつ交互に読んだ

だいたい柔らかいものと硬いものを一時間ずつ読んで

それを眠くなるまで20時間くらいやった

 

当然一週間もしないうちに、頭は分裂症になる

それを苦行僧のように3年間続けた

 

多重人格形成には、もってこいの方法だ

 

夢想家で現実主義者 嘘吐きでモラリスト 優しくて冷血な人間 

賢くておバカな頭 おしゃべりで無口な性格 涙もろくて強靭な魂

 

 

ビリーミリガンのような多重人格の中で

本当の自分を必死に探し続ける毎日だった

その3年間が今の自分を作っているといっても過言ではない

これら狂人の私を作ったものの中心にいるのが、坂口安吾という小説家だ

 

自分を探し求めていた私は

安吾の文章を外側から読むんじゃなくて

その精神世界の内側へ入ろうとしたため

彼の思考パターンと同じような思考パターンでものを考えるようになってしまった

 

たとえば自分の文章で言うと

 

『純粋無垢なものは純粋無垢じゃない、それは単なる白さでしかない

 カオスな世界から作り出される白こそ真の純粋無垢』

 

そのほかブログの中でも使っている

 

『魂の苦しみの濁りの中から絞り出された一滴のしずくこそが

自分の中の真実の結晶となりえる』  ※嘘吐きで文句ある参照

 

これらはいかにも安吾が言いそうなセリフだなと思ってしまう・・・

自分でも知らず知らずのうちに

その精神世界を共用してしまうくらい安吾のことを好きになってしまっていた

 

私の愛した孤高の人 坂口安吾

 

偉大なる落伍者 坂口安吾は麻薬中毒の末、狂人として48歳で死んだ

その小説のごとく、彼は未完のまま生涯を終えた

 

私は世に問いたい

何をもって人は成功というのか

何をもってそれを失敗とするのか

人間の人生なんてぜんぶ未完のままじゃないか

小説家が本気で人間を描こうとすれば

それは完成することなんてない

人間は生涯苦悩し狂気し挫折し続けるものだ

 

 

 

最後に安吾が世に認められた随筆『堕落論』を

難解な部分を書略し、一部だけを抜粋して載せておく

 

戦争がどんなすさまじい破壊と運命をもって向うにしても

人間自体をどう為しうるものでもない。

人間は変りはしない、ただ人間へ戻ってきたのだ。

人間は堕落する。それを防ぐことはできないし、防ぐことによって人を救うことはできない。

人間は生き、人間は堕ちる。そのこと以外の中に人間を救う便利な近道はない。

 

人間だから堕ちるのであり、生きているから堕ちるだけだ。

 

だが人間は永遠に堕ちぬくことはできないだろう。

なぜなら人間の心は苦難に対して鋼鉄の如くでは有り得ない。

人間は可憐であり脆弱ぜいじゃくであり、それ故愚かなものであるが、堕ちぬくためには弱すぎる。

人は正しく堕ちる道を堕ちきることが必要なのだ。

 

堕ちる道を堕ちきることによって、

自分自身を発見し、救わなければならない。