自己肯定感が高いと生きやすい
“自己肯定感が高いと生きやすい”話について。
私は小学生から20代くらいまで自己肯定感が低く、生きにくい人生を送っていたので、これについて異論がない。
ちなみに生きることが楽で楽しくなってきた30代になっても、肯定感は残念ながらやはり低い傾向。
けれど幸せであることに違いない。
なので今は、そんな自分をぬるりと肯定しているし、結構私は自分が好き。
けれど長年、自己肯定感が高い人への憧れが強く、自分の子どもはそうなるといいな、と考えていました。
娘は愛されて育つと信じていた
わが子は生まれた瞬間から可愛く、直感で「この子の人生は人に愛され、幸せなものになる」と感じました。(親バカとも言います)
女性の感覚は不思議なもので、彼女の祖母にあたる義母までもがお世話に来てくれるようになってから、
「この子は一生幸せ。確信した」
と予言をしました。(バババカとも言うかも)
たまにそういうことに繋がる義母なのと、その時ばかりは私も感じたので、我が子は一生幸せだと決まりました。
育てる前から愛されることが決まっているような不思議な子。
出産したてで精神状態が普通だったかわかりませんが(多分少しハイになってる)、この子は人に一生愛されて幸せに育つんだ、という自分の中の信仰心に近いものを持ち、それはそれは大切に育ててきました。今も。
私たちが大切に我が子を扱うから、娘は当たり前に人に愛され、自分を愛し、人の声を素直に受け入れ、人に親切にする。
そんな子どもに育ちました。
いわゆる自己肯定感が高く、明るい子。
私の子ども時代は人に対してビクビクしていたので、まさに憧れるような子どもです。
私の子ども時代と子育て
だからといって、私が大切にされていなかったわけではないと思うんです。
私にはきょうだいがいて、おそらくかなり手をかけられたい願望が強く、感受性もかなり強い方で。
繊細タイプにも関わらず、あまり手をかけられない立ち位置であったこととの相性の悪さは、少し影響があるかもしれません。
けれど可能な限りの最大限の愛情をかけてもらったようには記憶しています。
とにかく私が繊細な子どもだったことは、子育てに大いに役に立ち、幼児の感受性を想像してキャッチすることが出来ました。
私が割とほったらかしに育ったおかげで自主性がかなり育ったと思うので、私が自分の娘にしていることが良いことであるのかは、まだわかりません。
けれども、豊かで、この世に安心しながら育っていることには間違いありません。
また、私は教育ママを自覚しているので、話が通じるようになってからは、間違ったことに対する説明を細かくし、どうして今そういう風に言ったかをきちんと説明してきました。
そうすることで、彼女は怒られた意味がわかるようでした。
そのため、娘と母の絆はかなり深くなってしまっているので、ちょっとそれもどうかなと思ったり。
彼女が大人になるにつれ、私自身が安心する場所でありながらも、やはり精神的に子離れ親離れし、自身の人生を自主的に生きていってもらえるといいな。
愛を紡ぐという感覚
私にとっては愛を紡いでいる感覚。
小さな頃にこうしてもらえたら嬉しかったよね、という自分自身の満たされなかった思い。
彼女への愛情と一緒に、自分にも愛情をかけてあげること。
そんな感じ。
すごく身勝手だけど。
いつか羨ましくなって、彼女に嫉妬してしまうんじゃないか?と思っていた時もあったけれど、そうはならなかった。
シンプルに愛情だった。
娘が可愛い。
娘を可愛いと思えたことに、ほっとしている。
人に愛される娘に自分が嫉妬しなかったことに、ほっとしている。
かわいい娘が生まれてくれてよかった。
それだけ。
自己肯定感が高い人は本当に生きやすそう
ところで、自己肯定感の高さは、その人本人の生きやすさであることについて。
私の夫も非常に自己肯定感が高く、とても彼は生きやすそうだ。
というよりは、他人からの評価に左右されにくい。
妻が私である事が、彼最大の生きにくさであり、抱えてしまった業であるとは思うんだけれど。(彼は彼で大変そう)
このことについて、想像もしていない気づきがあった。
自己肯定感がとても高い人は生きやすい。
しかし、周りにとっては、その人と生きにくいこともあるという事実。
つまり端的に言ってしまうと、少し無神経に見えることがある。
だけれども、受け流す力を持っている。
人からのダメージを受けにくい。
人にストレスを与えるつもりもなく、うじうじと悩まない。
とても生きていく力が強い。
憧れの先に見えたもの
自己肯定感が高すぎることによる周りへの影響は、近くにいる人が繊細なタイプに限るので、実際にはそこまで多くないと思うんです。
ただこれに気づいてしまった時に、その肯定感の高さが無神経な方向へ行ってしまわないように気をつけて接しています。
自分を愛し、認めるパワーが強いと、相手の言葉が入ってこないことがある。
逆も然り。
自分に自信がなさ過ぎると、相手に影響され過ぎる。
自己肯定感の基礎がしっかり出来て、そこに自責の考えが出来て、相手の立場を想像出来る。
自分の子どもがそうなって欲しいと多少導くことは出来るけれど、大人になったパートナーや知り合った相手にそれを求めるのは違うかなと思う。
だから、そういうモノに、わたしはナリタイ。
なので基礎はグラグラしていないほうがいいよね、という子育ての話。
結局どうなのというところなんだけれども、最高に自己肯定感の高い夫のもとで、素直な子が生まれてきて、彼女もまた肯定感の高い光のような存在で、私は実は、自分の感覚が今役に立っていると感じる。
憧れの肯定感も、高ければいいってもんではないのだね。
その他の子育て記事




