大晦日の夜中に
(=元旦)
義父さんから
夫に 電話があり
何事かと
びっくり仰天。
私たち 家族全員
ダラダラと TV観たり
YouTube観たり
夜更かししていたので
寝ていなかったけれど
午前1時くらい
2時になってたかな?
"オンマが おかしい。
隣の部屋から
布団を引っ張り出して
敷いたり 畳んだり
孫たちが 来るからと 言っている"
"肉や 海苔を 買って来なくちゃ
と 言っている。外には 出てない"
お義母さんに
電話 代わって!
と 言って
私が ゆっくり 話をしてみた。
耳が遠いので 最後まで会話はできず
一方的に お義母さんが 話をして
切ってしまうのだけど…
そのときは ちゃんと 聞こえていたらしく
私の声で すぐに ○○オンマにゃ?!
と 私を 解ってくださり
"オモニ 時計見える?
今ね 夜中の2時よ。
外は 見える?真っ暗でしょ?
明るくなったら
孫1と2 (うちの息子1,2)連れて
行くから 待っててね"
"わかった!
寒いから お前も 風邪 引かんようにな。
前もって 薬飲んどけ
雪道で 転ぶなよ"
逆に 心配される…(^-^;
会話は 成立。
家族のことを 心配するお義母さん…。
夢と現実が ごっちゃに なったんだろうね。
高齢者によくあるよ。
私も 20代だったけど
夜勤やって 変な時間に寝て
起きると 夜中の2時か 昼の2時か
分からなくなること よくあったもん。
(遮光カーテンだったし)
お母ちゃんを 心配する夫に
よしよし ( *´・ω)/(;д; )と 慰めて…
次の日 というか その日のお昼
(起きるの遅かった…そりゃ そうだ)
お義父さんの好きな ヤンニョムチキンと
美味しいパンを 買って
みんなで 田舎に行ってきました。
あれから お義母さん
5時くらいまで 起きて
TVを観ていたらしいです。
昼夜逆転しちゃったのでしょうね。
昼間は 普通のいつものお義母さんでした。
前に記憶力低下が著しいと
検査結果が 出てから
薬を飲んでいますが
内心 私も 心配ではあります…。
普段は お昼は 老人会に顔だして
村のお友達と おしゃべりしているんですけど。
雪も降って 寒くて
あまり 外に出てなかったらしいです。
老人会館は ゆっくり歩いても1分かかりませんからね
人がいっぱいいるところで
おしゃべりしたほうが良いですよね。
この時代のお義母さんたち
趣味がないんですよね。
激動の時代を生き
食べること 子供を育てることに
命を燃やしてきた 偉大なオンマたち。
嫁入り前に やったんだと
エプロンや 座布団カバーに刺した
素敵な刺繍を
昔 見せてくれたことがあり
(どこにしまったんだろう…欲しいな)
また やる?と
私の裁縫道具をもっていったけど
目が見えん もう 指が動かん
と おっしゃってました。
そうだろうな~と 思いましたけどね。
寂しいなあ…
誰でも 歳を重ねるんだけれど…
日本の母も
少し 変なときありました…
認知症という 診断までは
受けなかったけれど
脳萎縮があったり
グレーゾーンでした。
仲良しだった父が亡くなってから
寂しさもあって 無気力になって
軽いうつ症状もあったり
生活リズムも 崩れ 昼夜逆転していました。
TVリモコンと
電話機を 間違えて
真夜中に 私の携帯が鳴ることが
しょっちゅうあり
(私の携帯番号を メモリーしていたので
ワンプッシュで 国際電話が かかってしまうの…)
最初は 半分 怒りながら
電話機だよ!リモコンと
間違えないで!
と 言ってましたが
最後のほうは 諦め半分…
生存安否 確認だと 思い
今日は 4時に起きたんだね と
安心していました。
母が ひとりになった時
私たち家族は 日本移住まで
本気で計画していたのです…
息子1,2は まだ 小学生前だったし
両国の文化を知る意味で 良い機会だ
と 思ったけれど
韓国人夫の職場探しで 難航し
日本移住 計画は なくなりました。
そのとき 母の妹弟である叔父叔母が
母のことを 良くしてくださり
日本の自治体の高齢者支援もあり
ヘルパーさん ケアマネージャーさん
訪問医療など いてくださって
乗り越えられたんだと思います。
今でも ありがたく 感謝しています。
お母さんが
言った言葉も
心に残っています。
"あなたは もう うちの娘ではないの。
国際結婚するって
なった時から もう 解ってたじゃない。
あっちの お義父さんお義母さんに
あんたを お願いしたんだから。
あっちのご両親を 良くしてあげて
可愛がってもらって"
"家族で 日本移住?
やめなさい ○ちゃん(=夫)に苦労させたくないわ。
孫の顔 毎日見れるのは 嬉しいけど
○ちゃんが 可哀想よ"
"お母さんは 大丈夫だから。
時々 里帰りに 来てくれればいいから。
ボケたら 施設に入れて その手続きだけ
お願いね!"
お母さんの言葉
悲しくもあるけれど
強くて 優しいお母さんの言葉…ㅠㅠ
私が 30年後 40年後になった時
おんなじ言葉を 言えるかしら?
あの時 頑張って
日本移住していたら…と ふとした瞬間に
時々 想像したり
少し 後悔したり
母の写真を見て ごめんねと
言ったりするけれど…。
息子よ。私も 元気で年取るように
健康管理 頑張るね!

私の大好きな 絵本作家の
ヨシタケさんの絵がありました~![]()
こんな 可愛いお婆ちゃんに
なりたいわ~![]()