いつからなのか…
記憶をたどっていくと
小学校の健康診断での
聴力検査 (ピーピーポーポーと聞こえたら押してねというやつ)で
少し 聞こえが悪いですねと
言われてたと思います。
その頃 水泳が大好きで面白くて
夏休みは毎日 市営プールに通ってました。
午前中は あっちのプール行って
水着も半乾きなのに 午後には 隣町のプールに行って…。
秋には
毎日 耳鼻科通いしてたような…
慢性中耳炎だったと思います。
それを 毎年 繰り返してたのが
イケなかったのかもしれません。
それでも 日常会話はできるし
生活に困ったことはなく
大丈夫だなあと思っていました。
中高生の頃は 吹奏楽部に入って
楽器吹いていたくらいですからねえ。
看護師になろうと大学在学中に
右側の聴力がかなり落ちていたのに気づいて
(通学中地下鉄内では イヤホンで音楽を聴くので それで はっきり 気づきました)
付属の大学病院の耳鼻科で
精密検査をしてみたら
内耳にある3つの骨のうちの一つが
欠けているとわかり
(欠けている原因は 不明)
内耳に人工骨を入れる手術を受けました。
今になって その手術 しておいて良かったなあと思っています。
看護師になって聴診器を使い
患者さんの血圧音聞いたり
肺の音や心臓の音も よく聞こえていました。
あの頃は 問題なく生活していたんですよね。
韓国に嫁に来ても
むしろ こっちの人たちは
発音もお腹から発声する音だし
大きい声で話すから
日本よりも 聞き取りが楽でした。
(笑)
ガクッとまた 聴力が落ちる出来事があったのですが
ここでは初めて(?)お話します…
実は 私には 息子が3人いるのですよ。
2000年に結婚して
2001年に生んだ息子がいるのですが
生まれて12日後に サヨナラしました。
心臓の奇形があって
手術をしたけれど 難しかったんです。
はじめてできた赤ちゃん
10ヶ月お腹のなかにいて
一緒にいて
やっと お顔が見れた
触れた 抱っこできたと
大喜びしたのも
つかの間
12日目に いなくなってしまって
受け止められない現実を
どうしたらいいのかわからず
ショックもあって
聴力もガックンと 落ちてしまいました。
あれから 左耳の聴力は戻らず
今も 完全に聞こえていません。
大学病院では
突発性難聴メニエール症候群と言われました。
周りの方から 励まされていたけれど
時々 励ますつもりの言葉が
私には 突き刺さるナイフにも感じることもあり…
聞きたくない言葉もありました。
(それで 神さまが耳を塞いだのかな?)
子供の良くないのは 母親が良くないからみたいな…
自分を自分で責めてしまうこともありました。
時間は解決しませんよ。
辛いことや悲しいことがあった時
よく言われる言葉ですが
全く 解決しないし
癒やされないし
20年経っても 6月になると
思い出し泣きもします...
泣くほうが解決するかもしれないです。
泣けるほうが 心が楽です。
涙が心の傷を(痛いけど)洗ってくれる
そういう感じです。
本当に 辛くて悲しいとき
どうしようもないときは
涙は一滴もでないんです。(経験上)
今でも 言われますが
あのときのトンソ(=義理の妹=私のこと)
泣かなかったね 気丈だったねって。
気丈じゃないんです。
心が強いんじゃなくて
泣くことすらできないほど
辛かったんだ~
って 今は 笑って言い返せます。
その後 2003年2005年と
息子が生まれて
息子によって悲しんだ分
息子によって
癒やされ幸せを感じています。
ショックで失語症になるというのも聞いたことがあるし
実際に 患者さんで 膵臓癌の痛みがあまりにも酷く痛すぎて
朝 突然 声が出なくなった人もいました。
心の痛みや 体の痛みを
我慢しすぎると
どこかが プッツンと切れる感じですね。
本当に 皆さん 我慢は禁物です!
ストレスもいけません!
ガス抜きは 本当に 必要なのです。
今の私には
ストレスも 痛みもないのですが
加齢でしょうかね…^^;
正直 認めたくないんですが
老化現象のせいでしょう…
先週末から 耳鳴りがなり続け
手術した方の耳の聞こえも悪いのです…
だましだまし 使っていたお耳。
〇〇ちゃんって
何度も 呼んでるのに
なかなか 振り向いてくれない!
とか
無視された!
とか
何度も 私が え?と聞くので
気分悪くされた方々もいます。
本当に 申し訳ないと思ってました。
老眼には 老眼鏡をかけるのと同じように
なかなか 受け入れがたいことですが
心の準備をして
少し聴力の残っている右耳に
補聴器を 迎え入れようと思いました。
耳鳴りが収まったら
補聴器の先生のところに行きます。
覚悟決めました。
医療機器の発展に感謝しつつ
聴力が残っていることにも感謝しながら…