添う(悲劇であるはずもなく)
旦那は泥臭い音を奏でるギタリスト、 生業は大工。
嫁さんは綺麗な高音が弾け出る歌手、 生業はストリッパー。
住まいは西荻窪、彼らしい瀟洒なアパート。限りなく中央線文化。
旦那が弾いて嫁が謡う。無論昭和歌謡。
今じゃ昭和歌謡って固有名詞があるが当時は理解されようがなかった。
彼らからコンピしたカセットテープを戴いたが全て聞いたことがなかった曲ですべて衝撃的に良かった。
「ムード歌謡 B面掘り出しもん」ってタイトルが付いていた。
でも旦那は真面目にその音追っかけてた。
少々早過ぎた固執。
ギターが正業に変化するはずもなく、酒を浴びる様に飲んでた。
酔って弾くギター、震える手のビブラート。
彼がテーブルから落ちるように酔いつぶれると舞台が跳ねた
嫁さんが迎えにくる。
舞台じゃパチンと派手なのに、降りると清楚になっしまう不可思議な美人顔。
かんかんかんとビール飲んで、旦那抱えて帰る。
「半端に古い映画かよ」茶々入れたくなるほど寄り添って帰っていく姿は絵になる。
しかしあの時代のように貧乏を噛み締めている生活ではない。
生業で十分に稼ぎ、しかしその文化を謳歌している。
俺はこんな夫婦を何組か知っている。
そうして皆悲劇は紡いだりしていない。
だから ギターはどうした?って本業にしないのかって?
聞くほうが野暮だ。
ある日 そうなっても構わないし、ならなくても構わない。
この国は実はとても深い文化を静かに沈殿させつつある。
仏蘭西なぞに負けてはいない。
普通に暮らす夫婦、人々が一組、一人、
映画のように俺の前を過ぎていく 幻灯
そんでもって旅.....
祥子ちゃんの家を大家さんと精算したら
いくばくかのお金が残った。
呑んでいいよって言っていたから、真っ正直に呑むことにした。
トモがエスカルゴ喰いたいって言うもんだから、奮発しちゃえって街の小さくて旨いレストランに出掛けてしこたま呑んでくった。
トモはエスカルゴ3皿喰った、味が判らんこいつには勿体無い
ことだ。
ワイン何本開けたか忘れたが、非常に呑みすぎた。
駅に二人でフラフラ歩いて、やっと最終電車に乗った。
のはずだっだ。
朝寝心地が異様に悪いので、起きたら列車の中だった。
車窓を見やると、有得ん風景が広がっていた。
とても美しい山水の世界、遠くに渓谷が朝日に眩しかった。
トモがデカイカラダを折り曲げて向かい合わせの席にいたので
足で蹴って起こした。
彼も車窓を見てギョッとして一瞬起きたが、また寝てしまった。俺も諦めて寝た。
終点で起こされたら南小谷って全く知らない無人駅だった。
俺たちは呆気にとられた。
駅前に渓谷が流れていて、鳥の声が響くある意味極楽風情だ。
(ラクラク青春切符が在った頃は、東海道線繋いでいくと
どこまでも行けたもんだ。だから伏兵でこんなこと起きる)
山の朝は寒い、駅前といっても店は一軒もなく、カップラーメンの自動販売機と10円仕様の公衆電話が設置されているだけだった。
寒さしのぎと空腹をうめるためカップラーメンをたべようと
小銭をみたら二人合わせて一個しか買えない。(札が使えん機種)
しかも馬鹿者のトモがスープの粉を入れようとしたら突風が吹き、全部スープが飛んでった。
しょうもない味無しどんべいを二人ですすってシノイダ。
「さて どうするよ!」俺はスープのようなお湯をのみながら呻いた。
「困ったな 今日は久美ちゃんと大事なデートなのに」トモが大変困惑した顔で見ている。
で 貴重な10円使って朝っぱらに久美ちゃんに電話した。
久美ちゃんは完全に寝ぼけていたので、言い訳は短めに済んだ。
「。。。いっ てら っし ゃい..........」って言ってくれたようだ。
だが「いってらっしゃい」はいいが 俺達はどこ行くんだ?
路線図をみて 金沢辺りにいってみっかって
決まった。
一路 金沢へ
この後結構長い旅が始まってしまったのだ。
サンディ モーニング そして

鍋をつつきながら、酒飲みながら、祥子ちゃんは妙に遠い目に
なって語るときがあった。
膝を抱えてポソリと語るので身体がほんと小さいのだなぁと感じた。
「日本の国って、階段を登ってると思う?降りてると思う?」
「憲法って 全部読んだことある?」とか。
大概 俺とトモは酔っ払っていたので、質問は真正直に返答していなかっただろう。
ただ時折の垣間見る問答めいた謎賭けはある種の偏りをみせていた。
こぼれる意味のある単語の煌きは実は存在していた、隠れている思潮の奥ゆきが見出せてはいたのだ。
今なら解る。
決して強い語り口ではなかったし、意見にも同調を求める口調はみじんも見られなかった。
だから 俺たちは解らなかったのだ。
一度だけ 祥子ちゃんの友人と称する男と鍋を囲んだことがある。
五月蝿い男だった、映画の話から切り替えて、論説たくましく強く語ろうとした。
そう 片寄った思想、話しかたによっては俺は拒絶はしない。
ただ俺は一瞬でこの男が嫌いになり、嫌な顔をしたような気がする。
場を読めねぇのか読める男であるか不可思議なトモが漫画の話にもっていって談笑に切り替えてしまった。
早々に帰った男の背中を軽く睨みながら。
「誰 あれ?」と聞いた
祥子ちゃんは小さい声で「ただのなかま...」と言った。
そして 日増しに寒さが体感できてきた秋のある日の夕暮れ。
顔色の悪い祥子ちゃんが突然訪ねてきた。
「お願いがあるんだけど.............」
祥子ちゃんの家に行くと殺風景な部屋がさらに寒々しくかたしてあり、荷がまとめてあった。
「引っ越すの?」
「そう...」と答えて缶コーヒーを手渡した。
これは捨てる、これはあげると少ない荷物を祥子ちゃんは分類し始めた。引越しとはいっても運びだす荷物は無かった。
遅れてきて、車できたトモが嬉々としてこれもらうねと運んでいた。
最後に大家さんに渡してくれると家賃一ヶ月分の相当の金額と
手紙の入った封書を俺に渡した。交渉してくれってことだった。
余ったら飲んでいいよって。
猫の刺繍がある小振りなボストンバックのみの軽装で祥子ちゃんはなんにも言わないで去っていった。
トモは「変な奴だ、でもいい奴だな」と苦笑いしていた。
確かにその晩は 俺たちは笑えていた。
そして
二日後の朝刊に
JRの●●駅の爆破事件が記事に大きく掲載された。
犯人グループは掴まっておらず、極左翼グループの犯行ではないかと報じられた。テロリストによる犯行だ。
それを見かけた俺とトモは何も言えず顔を見詰め合うばかりであった。
次には口を開けば、まさか! まさか!と言い合った。
嫌な予感ばかりが脳裏をよぎって、食事は喉を通らなかった。
その後祥子ちゃんからの連絡は一切なかった。
俺は自分に言い聞かせるように思索する。
爆破事件と祥子ちゃんが消えてしまった事は、全くの偶然で
並行に起きたと考えなければならない。
其の並行線を勝手に結びつけてはならないし、それは推理や憶測の範疇だと。
そして祥子ちゃんの記憶は、ある結実した答えを見出すことを放棄したが故に俺の中で急速に曖昧になっていった。
その後当時の彼女を知るものが失踪以前の情報をくれた、それは活動家としての彼女の側面を浮き彫りにするものではあったが俺は平行線をそのままにしているし もう価値がなかった。
これはもう忘れることにしたのだ。
..........................
時を経て 今 想う。
忘却されたはずの事象なのだが......
美しいサンディモーニングという曲が耳に入るたび残存している記憶の一片の映像が鮮やかに蘇ってくる。
美化された楽しかったシーンのフラッシュバック。
その度に,希望を想像する。
彼女がどこかの街で普通の主婦でもして白いシーツを笑いながら干していたら良いのになぁと思う。
それはそれはとても心地良い日曜日の朝だろうな。
サンディ モーニング
サンディ モーニングを聞くと想うことが俺にはある。
もう何年も前になる、ある女友達の事。
名前は祥子ちゃんと言った。
マキシスカートに頭にスカーフを巻き大きなサングラスを常にかけていた。今やこのような70年代を思わすファッションは高円寺あたりにゃ掃いて捨てるほどいるが当時の彼女格好は周囲からは異様に見えた。言わば時代錯誤も甚だしいって所だ。
彼女は小柄で色が白くて猫みたいな眼をしていたのでとてもよく似合ってはいたようだ。
しかし彼女の時代錯誤はその服装に留まるものではなかった。
当時俺とトモ(友人)は祥子ちゃんの家にときたま集まり鍋とか食べながら談笑していた。
訪ねる度に想うのだが、祥子ちゃんの部屋は二十代の女の子の部屋しては殺風景だった。
何にもないのだ、電気釜と鍋とちゃぶ台とポータブルプレイヤーと食器が少々。あとカバーのついた本数冊とレコードが5枚。
その一枚は Velvet のバナナが捲れるアルバムだったから飯炊きながらそればかり聞くはめになる。
サンディ モーニングは背景としてただ普通に流れていた。
ある秋の日、俺たちはバイトの金が入ったので、祥子ちゃんに
大量に肉でも食わしてやろうと買い込んで訪ねた。
すると玄関口で
「今日は他の集まりがわたしんちになったから中止」と言うのだ。奥から人が大勢いるような気配がする。
町内会かいなとか思いながら、家に帰り男二人で肉喰った。
祥子ちゃんは夜、ホステスのバイトする以外に昼夜問わず突然出掛けて三日くらい帰らない時もあった。
突然地方のお土産抱えて、「食べる?」なんて訪ねてきた時も
あった。今思えば 妙な行動だったかと考える。
時折、いつもの70年代そのものの格好以外に、トレーナーに
ジャンバー姿で急いで出掛ける祥子ちゃんもみかけた時もあった、緊張した面持ちで走っていくので声かけられない風情が
あった。
そして いろんな事が一変する 秋の日の一日がやってくる。
疲れた。
続く.......ことにする。
ジェントルRYOの不幸な一夜
いつもクールな伊達男 悪友のジェントルRYOの不幸な一夜。
彼がいつもようにドアを閉めたら ドアノブが落ちてしまった。
そういやぁ ネジゆるんでいたっけね。
穴からのぞくと、廊下に光かがやく真鍮のドアノブ。
あれ、結論、家から出れない事となった。
携帯電話で飲み誘いがてら、近隣の友人にドアノブを拾って頂こう。
いつも冷静なRYOは まずは一杯飲んでみた。
携帯がないことにきずいたのは、3杯飲んだ時。落としていた。
家電はある。ただし覚えている電話番号三つ
同敷地内に住む大家夫婦(友人、しかしそこの嫁とは犬猿の仲)
実家。 そして 俺の番号。
大家に電話。宿敵嫁が出る。そういやぁ 今月家賃払ってないや。
「もう寝てる!!、遅いから明日にしてくれる!(怒)」ガチャ...........
殺す あの女 絶対殺す.........RYO唸る。
そして俺に電話。
その頃俺は携帯が調子悪く、電池はずして、接触みたりしながら、深夜TVのOO7の映画を見ていた。
ジェームスボンドが窓から逃げ出すのに シーツを結んでいた。
大量の留守電にきずいたのは映画が終わった頃だった。
俺が電話すると RYOは意外に落ち着いていた。
俺は爆笑しながら
「ボンドはシーツ結んでおりてたぞぅ ははは さっき」
「見てた......それで 実際シーツ結んで降りようとした」
「きゃはは やったんだ.......で」
「知ってるだろ 窓柵 錆びてるの 無理だった 壊れる」
「あああ ありゃ危険だな で どした..」笑いが止まらん。ボンドは大変だ。
「シーツの先に重しつけて 一階の奴の窓 ガンガンと」
「あいつ 起きたか」
下の住人は俺たちの後輩だった。
「(どうしましたかっ)ていうから どうしたもこうしたもねぇ ドアノブ拾うんだよって」
「え ドアノブ???」 窓下にて 後輩寝ぼけている。そしてトロイ。
「いいから 玄関いけっての 状況わかるから この....愉快な
ま いい はやくしろっての!!」
RYOは 落ち着きを取り戻し4杯目を飲んだ。
LIFE IS GAMBLE
「いやね 店の名前は本当は、『ポーカー』ってしようって
おもっとったのですねぇ」
老いたバーテンは、きり出した。初めて連れてこられた街のはずれのさえないバー。 インテリアのデザインってもんが存在していないが 居心地は悪くない。
「実を言うと、赤坂に当時調度良かれのバーの物件があってですねぇ、ま、 そこに決めとったのですよ。」
聞けばこの老いたバーテンは、歴史にも名立たる名門バー「東京會舘」でシェイカーを振っており、当時の黄金期のOBでは現役でカウンターに立つのは、彼だけであるという。その流れでは 赤坂か 六本木あたりで開業だろうな。
「わたしゃ 実に 好きでして カードがですねぇ。 特にあれですわ『ポーカー』これが三度の飯よかねぇ」
「俺も好きですよ 特にポーカー でもやる人いませんからね最近じゃ」
「そうですねぇ 当時は盛んでしたよ。
六本木辺りの雑居ビルの奥、長い廊下をずっと進みましてね、すると 裸電球がひとつ、ノックすると覗き窓からチラリ、そんで入れてくれる。
以外に中がね広うございましてね、奥の舞台じゃ小編成のジャズバンドが演奏してました。
カウンターでアメちゃん相手にポーカーやったのが十九の頃 生意気でござんしたねぇ はっはっは」
おおっ憧れの秘密倶楽部の話だ、東京アンダーグラウンド!!
「ブラゥクジャックも ブリッジもやりましたが やはり『ポーカー』!が 性に合うっていうか 泳げたと申しましょうかね、結論勝ててましたねぇ。夜半にゃ負けて 朝方するりと勝ち抜ける。ふぉっ ふぉっふぉ」
「ある晩、ある意味重要な日でしたね、独立して店を構える手立てを完了いたしまして、軽くお祝いがてらで、カード切ったんですわ。」
赤坂辺りの店の事だなぁ、話が展開してく。
「も、お分かりでしょ 負けたんです。強烈に 泥沼でして。
はい 結論 残金考えましたら この街のこの店になりましてね。はっはっは、運命って奴でございますね。当時我ながら、反省したようでして 屋号は『ポーカー』とはつけきれませんでしたよ。」
ギャンブラーがギャンブラーの論理で語るギャンブラーの話。
負けている自分が最高に嫌いで大好きな状態の話。
シンシナティキッドを彷彿させる、大ゲームの話。
続々と繰り出される話数々、 それを老人の笑顔と共に聞き入った。
「もし 今度やりますか」と俺の顔をまじまじと老人は見た。
俺が「是非!」と言おうとしたら。
「いやぁ やめときましようね。
お仕事ちゃんとしましょう。
此方のお客さんはある種 向いてらっしゃると 思えますよ。危険ですねぇ ふぉっふぉ」
と、ニヤリとした、ポーカーフェイスの言動のスタートだ。
不良ジーさんめっ!
足りない
基本的に本は読むと人にあげてしまう。
蔵書のような趣味も憧れが無いわけではないのだが、誰それに本は読めれて基本性能を発揮するものでもあるし、棚の中で褪せてゆくのを放置するのは切ないものだ。
当然第一理由は場所もとること、だからできる限り人に渡すように癖つけている。
但しその人に悪影響を及ぼす可能性も少し考慮する、人によっては読まない方が良い間合いがあるだろう。
そんな余計を想うのも、読書後の楽しさの一部と感じている。
従い、
俺は読み返しを余りしない傾向にある。
ま それにはある日感じたのちょったした訳があるのだが.....
アテネフランセだったかなぁ、フィルムセンターで担当の方と話したとき愕然としたことがある。
大量のフィルムを前にして、
「もし、このフィルムを全部繋げて、一気にみたらどれくらい時間がかかりますかねぇ?」
軽く聞いたつもりだった。
「君の一生じゃ 多分足りないな つまり 見きれない。」
食う時も寝るときも足し算しても不可能だそうだ。
それだけストックがあるよって話なんだろうが。
俺のほうは実際眩暈を感じるほど、驚愕と無念がよぎったね。
この世には相応の努力を加えた所でも決して完了しきれぬものがあるもんだと。
少々焦るのは当然の成り行きで
全てを二度見たり 再読したりしないで
惜しむごとく速度を上げてきた。
その反動の諦念が身に沁みてきたか、スローな時流の影響か。
で 最近は不思議と再読欲がわきおこっているのだ。
まず 好きな作家である「池澤夏樹」の初期の作品を買いなおした。「スティルライフ」など高校生の頃だったので、今読むと全く違った話と記憶していたことに思われてくる。
若い頃の日記を読むような(つけてないが)照れさえ引き起こす。
ところが 今でも手軽に手に入る本は、再読リストに出てきても構わない、探して買えりゃいい。
困るのは絶版本だ。
基本的に本は読むと人にあげてしまう事を悔いていないのだが
サンリオ文庫の(アンナカヴァン)が書く「ジュリアとバズーガ」と「氷(アイス)」この美しい小説をまた読みたい。
ストーリーさえ曖昧な記憶の奥の奥の中、溜息ついた想い出が
残響するのみ。
ああ こうなるとは...予想できなかったよ。
ヒルネ エンライトメント
遡ると、俺は名所、旧跡、寺、そこかしこで昼寝をしてきた。
京都在住の友人と寺周りをした時、境内でよく寝てた。
正確には、当時瞑想しているつもりでも、呼吸や座り方など
知る由もなかったので
ジッと動かないで、静かにしてると寝てしまったケースが多い。それも何時間も。
庭に興味がない訳では無い、寧ろ多いにある。
西賀茂の西で京都舟山南稜の山腹に有る「正伝寺」など好きで
何度もでかけている。
鎌倉時代に創建された臨済宗の古刹である。
登って行くと不自然に木立が伐採してある印象がある、後で
理由が判る。
寺に入り、暖簾を捲ると小ぶりな小宇宙の枯山水が前にでる。
冷やりとした空気が撫でる、それもそのはず上を見上げると
手の跡、くっきりとした伏見上落城時の血天井だ。
腰を下ろし、庭を見やると先程の散切り木立が遠近法よろしく
比叡山の借景、白壁に白砂の敷き込み、七五三に刈り込まれたサツキの緑。
背の襖絵は狩野山楽、小さいが完成度が高い張り詰めた世界。
そんでもってここでもぐっすり寝た。血天井下でよく寝れると
我ながら思う、流石に妙な夢は見る。但し歴々な史実は脳内に
ないので意味不明な脈絡の夢想だ。
友人宅がこの寺に近かったので、三日連続で通い瞑想と称した
熟睡をカマシタ。
三日目は人が皆無だったので、ついぞ横になってしまい、見かねた住職にコレコレと起こされた。
怒られるかなぁと思ったら、にこやかに裏に呼ばれてお茶を
頂いた。
脈絡のない夢の話をしていると笑ってくれて、即席に座り方など教えてくれた。
庭の意味合いなども教授してくれて、この小振りな枯れ山水が
一段と気に入った。
最近はこんな緩やかな旅など出来ていないのだが、土地を場所を体感するには昼寝が一番と自論で持っている。
その土地の空気の作用か、不可思議な夢が付随するね。
詩仙堂でも曼殊院でも、兼六園でもタップリ寝たね。
ま 怒られたり、叩き起こされたりした経験も多くあるので
推奨できる方法ではないけれど.......(笑)




