syrup16g、宮本浩次、YEN TOWN BAND、Chara、椎名林檎、コーネリアス、ピチカート・ファイヴ……約30年もの間、活躍を続けるベーシスト・キタダマキ。初めてキャリアを訊いた【インタビュー後編/連載・匠の人】

 

キタダマキ

 

 

前後編に分けてアップしている「匠の人」のベーシスト・キタダマキ編、前編は楽器を初めて持った頃の話から渋谷系のムーヴメントの中でプロのセッション・ベーシストになっていった当時の話までを訊きました。
そして今回=後編は、ファンからの認識や、実際の音楽的な貢献度等を考えると、どう見ても「メンバー」である、syrup16gへの参加→レギュラー化→解散→再始動→現在、までの話と、2021年から2022年にかけての大きな仕事だった、宮本浩次の全都道府県ツアーについての話を中心に訊いています。
なお、syrup16gは11月、12月と、5年ぶりのニューアルバム『Les Misé blue』のリリース&ライブを控えています。

──syrup16gは最初はサポートで、途中からメンバーになりましよね。

そうですね。……最初は、コロムビアのディレクターに、新人のバンドをうちでやることになって、すごくいいんだけど、ベースがケガをして、トラ(エキストラ/代打)を探してるから、ちょっと顔合わせに来ないか、って言われて。ちょうど、ホフディランが休止するタイミングだったから。……それでsyrup16gの『coup d’Etat』を聴いて「これのトラか…」と思った。話をよく聞くと、レコーディング時に作り込んだ結果、今の状態…腱を痛めた、のかな? で、ライブで再現するのは難しい、ということで。…独特のベースライン、ほとんどが五十嵐(隆)君がギターで作ったアイデアなので、ベースに置き換える時ちょっと工夫が要る。

──のちに五十嵐君にインタビューした時にきいたのは、ベースの佐藤(元章)君は腰が悪くて、リズムを取るのが難しかった、ということでした。

スタジオに行ってみたら、テキパキ動く感じのいい人がいて、「今日はよろしくお願いします」って。それが佐藤君で。その奥で(中畑)大樹ちゃんがぶんむくれてて、スタジオの中には、サングラスかけてマスクした不審者が(笑)。

──(笑)当時から五十嵐隆。

思えば、3人とも「メジャーデビュー後初ライブ」がサポートのベースってことがショックだったんでしょう。三様に拒絶されてたと思う。「…ダメそうかな」と思ったけど、結局ライブの代打が始まって。佐藤君は病欠ということで、代わりに自分。おいおい彼が戻る、という話に。「演奏のアドバイスもしてくれないか」みたいな話にもなって、一緒に練習したり、そういうコミュニケーションもあったんだけど。…売出し中の新人だから、いいライブの話がいっぱい来る。ライブがどんどん増えて、それは俺が弾きながら、彼と練習しながら、っていう感じでやっていたんだけど……どこかで佐藤君、心が決まったのかな。…「キタダさんはこのライブまで」みたいな話に一回まとまって。で、もらったスケジュールに大阪と名古屋連続の日があって、大阪OK、名古屋は別件でNG。じゃあ大阪キタダ、名古屋は佐藤君が、となった。その大阪、すごくいい演奏ができて。で、帰京。メンバーは翌日名古屋でライブ。…その名古屋を最後に、佐藤君は脱退を選んだ。

──キタダさん的には「ええっ?」と。

「そういうわけで、以降もライブ頼める?」と連絡が来て。そこから、サポートだけど、ベースいないから、実質メンバー。準メンバー(笑)。…で、いい感じの時期から悪い感じの時期へ(笑)。

──前半は、半年にアルバム一枚とかのすさまじいペースでリリースしていて、後半はパタッと止まって、4年くらい空いて、ユニバーサルに移籍して、アルバム1枚出して、初の日本武道館をやって解散、という。

そうでしたね。

──いっぱいリリースしていた時期は?

事務所もメーカーも精力的で。バンドも、曲を次々作って、リリースが間断なくあって。…『delayed』。15曲入りシングル(笑)『HELL-SEE』。『Mouth to Mouse』。UKプロジェクトから出した『delayedead』。このツアーはサポートでギターにアッキー(藤田顕)が入って。ファイナルの(日比谷)野音、すごくいいライブだったけど。この後だんだん状況が変わって……。厳しくなってくる。

──熱狂的な支持は集めていたけど、次はホール、次は日本武道館、っていう感じではなかったですよね。

……『delayedead』で心機一転、みたいな感じで。

──コロムビアとユニバーサルの間の時期に、初期の楽曲を新録で出したアルバム。

「翌日」のMVを撮って、いいリスタートをしたと思ったけど、ツアーが終わってみたら、燃え尽きた、みたいな感じになってたような。事務所とバンドとの関係性が少しクールダウンして、そこから新曲のCDが全然出せなくなったんじゃなかったかな。…後半はどんどん、曲出しはするけどOKは出ない、だからレコーディングはしない、っていうモードに。ライブで新曲を次々とやるんだけど、録らないので完成形がないまま、なんとなくやらなくなって、別の新曲をやる、っていう感じだった。良い曲あったと思うんだけど。…ただ、(青木)裕君がライブに参加してた頃で。彼が癒し系だったな(笑)。あのギター。人柄。

──で、ライブの本数も減っていって、アルバム『delayedead』から3年ぐらい経ったところで、レーベルを移籍して新しいアルバムが出る、と発表になるんですが。あの段階ではもう解散が決まっていた?

そうだったと思いますよ。

──解散は誰から告げられたんですか?

最初は中畑君から聞いたんだと思う。「俺、やめます」と。それで(事務所の)社長から、だから解散する、アルバムを一枚作って最後に武道館をやる、という流れをきいて。

──syrup16gの音楽自体は、キタダさんはどのように捉えていたんですか?

貴重な存在。…五十嵐君の声、楽曲。のコードワークとボイシング。ギターバンドとしてのサウンド、アンサンブル。その独自性、多様性。存在感。が、良いと思ってます。やる側としても、3ピースのバンドなので、ライブでベースの担う役割も多様でやり応えもある。…初めて音源を聴いた時から「面白いな」と、今もそう思ってますよ。

■バンドって3年ぐらいが限界では、と個人的には思っている

──で、移籍して、『syrup16g』を出して、武道館で解散するわけですが。それを知った時、キタダさんが思ったことは?

肩の荷が下りるな、と。

──はははは!

「仕事減るなあ」というのもあったけど、それよりもね。Salyuとか他の現場もあったし。…もちろん複雑な気持ちもあったけど、とにかくこれで一区切りだという達成感。

──むしろ、再始動の時、よくもう一度やろうと思ったな、という方が不思議です。

よくもう一度やろうと思いましたよね、中畑君(笑)。

──いや、キタダさんも。

いや、最初、断りましたよ。あれ、「五十嵐隆が、休止期間を経てNHKホールでライブをやるってだけ発表して、当日行ったらドラム中畑。ベースキタダ」っていうことだった。……遠藤さん(UKプロジェクト社長)から連絡があって。「五十嵐君、ライブをやろうと思うんですけど、どうですかね?」「え、俺じゃない方がいいと思いますよ。五十嵐君の新しいプロジェクトなんだから、新しい人の方がいいですよ」と。でも、また連絡あって「中畑君はやるって言ってますよ」って言われて。「え?」と。

──はははは。

中畑君は、解散後、活動の場を拡げていて。「ドラマーとしての依頼は、線引をした上で、どんな仕事でも断らないから、受けます」っていう話で。「…。」と思って。

──「俺が断りにくいじゃねえか!」と(笑)。

まあ(笑)。で、五十嵐君から直接話をしたいっていう連絡が来て。渋ったんだけど。

──キタダさん、相当懲りてたんですね。

懲りてたというか、終わったことだと思ってた。長いことやって離れたわけだし。バンドってけっこう生々しいので、3年ぐらいが限界なんじゃないかな、と個人的には思っていて。「こうした方がいい」とか「これだとダサい」とか「なんでできねえんだ」とか。……ならないバンドもあるんだろうけど、自分の実感として、そういうものがある。……で、渋ってたんだけど、五十嵐君、うちの近所まで来て。……飲んでるうちに丸め込まれた(笑)。

──その時は、一回、五十嵐隆のNHKホールでバックをやる、という話ですよね。

そうです。そこからsyrup16gが再始動する、とまでは思ってなかったんですけど。

──そのNHKホールのライブは、キタダさんとしては、手応えは?

うーん、五十嵐君が「ちゃんと見てるな」っていうのを、初めて感じました。バンドとしてやっていた昔の方が、ソロっぽかったような。そのNHKホールはバンドっぽいものを感じた。……気のせいかな(笑)。

──うまくいったわけですね。

そうですね。バンドが解散して、何年も経ってから、そのボーカルがソロ名義でライブをやる。そこに行ったら3ピース編成で、元のメンバーが弾いている、というのは、流石に反応がすごかった。

 

■再始動後は前向きになれましたね

──じゃあその翌年、syrup16gとして再始動、という話になった時は──。

前向きになれましたね。メンバー間も解散前とは、距離感が変わった。小さな違いですが。例えば、以前は曲作りの時、五十嵐君がガーッと歌いだして、それに付いて行く、っていう作り方で、これはこれでマジックが起こることもあるんだけど。……『HELL-SEE』の「I’m 劣性」で「これコード感、微妙だな……。ちょっと引っかかるな」と思いながらリハしていて。でも、それがむしろいいとなって、そのままレコーディングが終わって。録ってる時は、もうこれでいいやと思ったんだけど、今聴くと、ちょっと微妙かなとも思う(笑)。いや、納得はしてるんだけど(笑)。その時、口頭でのコミュケーションが足りなかった。とりきれてなかった。……再始動後は、曲のことは細部まで訊いて確認するように。彼も「コードはこう押さえてて」っていう資料をくれるようになって。

── 以降、「Hurt」「Kranke」「darc」「delaidback」と音源をリリースして──。

去年、「11月に、本編10曲、全部新曲でライブをやる」って言い出して。「え?」と(笑)。でも、割と早くからちゃんと準備に取り掛かったので大丈夫でしたね。夏頃から曲のプロットを五十嵐君が用意して、自分でスタジオ予約して中畑君と2人でプリプロをやって。曲の体になってきた時点で、3人でスタジオ入って。さっき言った感じでコードの解析をして、暫定的に構成を決めて、「じゃあこの10曲で」っていうところまで決めて。それから、正式にバンドリハーサルを始めて。ライブ用のアレンジをして、本番に臨んで。

──で、そのライブでやった曲を、今年レコーディングして、ニューアルバム『Les Misé blue』ができた。

そう、その新曲達をレコーディングすることになって、6月から取り掛かりました。……コロナ禍で、想定外の事態で何度かスケジュール変更したり、MIXのチェックがオンラインになったりと色々あったけど、良いアルバムができたと思います。更に名曲が2曲増えて(笑)。……個人的には、アンサンブル。録り音にこだわったドラムのサウンド。あと、ベースでハーモニクスとプル(ともに奏法)を増量したので、その辺、聴いて欲しい。

■宮本さんはほんとスターですね。キラキラしてる

──2021年から2022年は、宮本浩次の全都道府県ツアーがありましたよね。人生初ですか、全都道府県ツアーというのは。

はい。あれは良かった。今日こうして、音楽遍歴とかをしゃべってきましたけど、結局、演奏がしたいんですよ。演奏をしていると、いちばん伝わった気がするというか。ライブもレコーディングもそうなんだけど、会心の演奏ができた時、いちばん何かが通じた気がするんです。だから、宮本さんのツアーで、あれだけ充実したステージを、あのメンバーで、日本中、全都道府県を回って……良かった。

──で、やっぱり宮本浩次はすごかった?

そうですね。もう圧倒されて。宮本さん、いろんな要素が強すぎて、後ろで見ていて、この人、歌がすごく上手いんだ、っていうことを忘れる程、パフォーマンスに圧倒される。本人的には「今日はちょっと違った」とかあるんでしょうけど、それでも、凄い精度なんですよ。ピッチとか、声の出し方、声の使い分けとか、そういうボーカリストならではの技術、表現力が。最初はあのエネルギーに圧倒されて「凄いな」で終わっちゃうんだけど、同じメニューを50本やっていくと、さすがに、ステージのパフォーマンス全部、核心、コアの部分がしっかりしているとか、そういうことがわかる。あれだけ走り回って息が切れてないのも、不思議じゃないですか。それでいて、ちょっとしたステージアクションとかも……お客さんに対するサービスだと思うんですけど。ほんとスターですね。キラキラしてる。……自分はYEN TOWN BANDもやって、Charaさんのツアーも1本やったんだけど。Charaさんのライブもハッピーだった。ステージ上で同じものを感じたな。

──そのおふたりが特別だというのは、わかる気がします。宮本さんの楽曲は?

グッときますよね。レコーディングで呼んでもらった「sha・la・la・la」と、レコーディングはしてないけど「ハレルヤ」、その2曲はもう、ライブで毎回楽しかった。好きな曲ばっかりだけど、ライブのハイライトのあの2曲は特に、何回弾いても。……あれだけのステージだから、演出もあるわけですよね。自分で言うと、大げさにベースを掲げる、みたいな。あれも演出と言えばそうなんだけど。最初は無意識にやっちゃってたけど、なんとなく毎回やらざるを得なくなった(笑)。

■自分の音のトーンは守りたいところがある

──最後に、心の師匠的な存在のベーシストって、います?

まずはブラック・ミュージック界。アレサ・フランクリンのバンドのThe Kingpins、そこのジェリー・ジェモットが、いちばん好きなベーシストの一人です。フレーズ、音の太さ、トーン、タイム感……。The Kingpinsのメンバーは、もともとジャズのプレーヤーだから、ソウル・ミュージックもやれば、自分のフィールドではジャズ〜フュージョンもやる。ジェリー・ジェモットも、ジャズっぽさとソウルっぽさのバランスが、絶妙な黒さというか、いいんですよ。……「自分の音」について話したいんですが、ベースの弾き方を変えてみたっていうのは、自分の中でわりと重要な話だったんだけど……子供の頃に隣のお兄さんがベースを練習しているのを聴いて、そういう楽器があるんだ、っていう耳になって。それで、いろんな音楽を聴いていると、いつの間にか、ベースの「いい音だな」みたいな基準が、自分の中でできてくる。で、バンドをやる時に、ベースアンプで音を作るじゃないですか。誰に言うことでもないけど、自分の出したい音は、わりといつでも出せてる。弾き方を変える前から。ちょっと丸いトーンで……音抜けのことを考えると、もうちょっと尖った音の方がいいんだけど、あんまりドンシャリな音にはしたくなくて。自分の音のトーンは守りたいところがあるんです。ベースの弦、張り替えてから徐々に高音域のシャリ感が減るから、1ステージで毎回換える人もいれば、ずっと換えない人もいる。自分もなかなか換えないんです。……初めての小西さんの仕事の時に、「最低1年以上換えてないフラットワウンドを張ったベースを持って来て」って言われてたんだけど、その話が下りて来てなくて。弦交換してそんなに経ってないベースを持って行ったら「これじゃちょっと……」って……。急遽手配してもらって届いたリッケンバッカーが、たまたま弦が張りっぱなしで。それを借りて来て弾いたら「いいですね!」ってなって、そこから小西さんがよく呼んでくれるようになった。……続いて、……いいですか?

──はい、お願いします。

ジョー・オズボーン。いわゆるThe Wrecking Crewの。スタジオミュージシャン。その人の有名なエピソードがあって、めったに4弦を弾かない。4弦の音は、響きがちょっと違うから、1〜3弦だけ使う。ブライトだけどウォームな音。カーペンターズの有名な曲を聴くと、だいたいその音だから、わかると思う。……そして、リーランド・スカラー。キャロル・キング、ジェームス・テイラー、ジャクソン・ブラウンから始まって、AORとか幅広く活躍している人で。オブリガードが秀逸な、歌うベースラインのイメージ。

──うん、その3人。

心の師匠って事で教科書レベルのレジェンドから3人だけ。聞かれて気がついたけど、好きなベーシストは、まだまだ何人も思い浮かんで、キリが無い。……だから、ベースという楽器が好きなんですよ。で、ここまで弾いてるから、合ってたんでしょうね。演奏のテンションもだけど、いい音が出したい。「いい音を出したいな」と思って、いつもやっている。

取材・文=兵庫慎司 撮影=河本悠貴