私の記憶に残る最初の音楽との出会いは、幼稚園でのこと。その幼稚園は地元の教会が運営していた「キリスト教聖児幼稚園」

そこでは、毎朝ハイドンの「驚愕」に合わせてリズム運動のようなもの(正確には何と表現していいかわからない)を行っていた。良く覚えていないがリズムに合わせて膝や肩をたたいていたような記憶がある。

卒園の前後に、初めて家にやってきたクラシック音楽は、ハイドンの「驚愕」の他にモーツァルトの「Eine Kleine Nachtmusik」J.シュトラウスの「美しく青きドナウ」など。レコードはドーナツ版で、再生するのはステレオではなく、ポータブル電気蓄音機(いわゆる電蓄)。

これもその前後だと思うが、気がつくと家に電動オルガンがあり、ヤマハ音楽教室に1年通い、小学2年からピアノを習い始めた。

このピアノ購入にはエピソードがあり、私には2つ上の兄がいるのだが、自動車(中古)を買うかピアノを買うかを家族で決めるとき、我々子ども2人が「ピアノが欲しい」と言ってピアノに決まったのだと、あとから親に聞かされた。

幼稚園の頃から新しい集団に溶け込むのが苦手だった私は、小学校でもなかなか友達ができず、また、引っ込み思案で、臆病で、赤面症の傾向が強かった。その後少しずつ友だちができ、学校の外で友達と草野球をするときは自由に振る舞えるようになったが、学校が苦手な場所であることに変りなかった。
※小学校で初めてできた友だちとは今でも交流がある。

学校では音楽の授業が救いだった。音楽が学校での居場所を作ってくれたのだと思う。その小学校時代の合唱についての2つエピソード

一つは小学校4年のとき。通っていた小学校では秋に行われる市内の小中学校合同の音楽会に参加するため、毎年上級生(主に5.6年生)から団員が選抜され合唱団が結成される。

経緯は不明だが、4年生からも数名参加することとなったらしく、私も声を掛けられ、練習が放課後になるから、参加したいなら親の許可を得るように言われた。しかし、当時の私は、学校からの通知を親に伝えることさえ苦手だったため、親に言いそびれ参加できなかった。

5年のときの団員選抜の際、普段自分から立候補などしない私に手を挙げさせたのは、4年のときの悔しい想いだった。結果、5.6年ともに団員に選ばれ日立市民会館の舞台に立った。特に5年で初めて舞台に立ったときの舞台袖での緊張感は今でも忘れられない。
今思えば、選抜の難易度は、運動会のクラス対抗リレーの選手に選ばれるのと同程度だったと思うが、他に取り柄のない私にとっては、小学校時代の大きな勲章であり心の支えであった。