私の体験だが・・・・・

夫を突然喪い、不安と人生の覚束なさに震るえた。
いてもたってもいられず、文字通り体ががたかたふるえた。
眠ることもできず、食べられず。
絶望の中で前向きに動く術も思い浮かばなかった。

その時、友人夫妻がまず、生活の基盤を整えるべく動いてくれた。
大学時代の恩師は「教壇」という職場を与えてくれた。

そして、デーケン神父様と野田正彰氏の著書「喪の途上にて」が、
喪の道の道しるべを与えてくれた。

心理「カウンセリング」や「精神科医療」の力を借りた。

体が震えるほどの不安に「精神安定剤」は確かに効果的だった。
「夫の後を追う」(希死念慮)でいっぱいだった心がひとまず落ち着いた。

周囲からの恵まれた支えに気づき、与えられた「仕事」に取り組めるようになった。
向精神薬を服用し、すこし落ち着き、眠剤で眠れるようになった。

これは向精神薬の「功」である。

「罪」について:

しかし困ったことに、副作用なのだろうか、
クリエイティブなことができない、計算ミスが多い、
記憶力の減退、 感情の鈍麻、 口の渇き、よだれ・・・
深夜に覚えのない電話をかけたり・・・というようなことが起こった。

薬の種類や量を変えてもらった。

それでも向精神薬を服用していると、私が私ではない感覚に襲われた。
哀しいのに悲しまない自分、ぼーっと水蒸気の中にいるような感覚、

私は清明な意識を失い、半分くらいは茫漠として暮らしていた。

これはおかしい。 こんな自分は嫌だ、思うようになった。

一気に断薬したり、素人判断の減薬は危ないと聞いていたから、医師に相談した。


すこしづつ

きわめて少量ずつ

´蟻の運ぶお砂糖の量´の感じでj時間をかけて 慎重に 様子を見ながら、 減らしていった。

一年ほどかかっただろうか、

いっさいのお薬をやめ、 のみたい衝動も抑えられるようになり、断薬した時、

空が高い! 青い! 庭の白樺の新芽の美しさに感動した。

あれから20年近くになる。

夫の後を追いたいと思い詰めていたけれど、向精神薬のおかげで地上にしがみつきとおせた。

心が落ち着いた今に至っている。

お薬は時に 有効だ。 

深い悲嘆に起因する「症状」は緩和できる。

しかし生活の適切な環境が整えば、向精神薬は飲み続ける薬ではない、と体験した私は思う。

向精神薬をのみながら、不健全に引きこもり、仮面のような顔のまま 長きにわたって暮らす
自死遺族も、私のまわりには少なくない。

愛する人を喪った悲しみを消す薬はない。お金がないことに効く薬はない。 仕事のない焦りに効く薬はない。対人関係をスムースに回す薬はない。 失恋に効く薬がないのと同じだ。

ともかく、 水蒸気のような世界の中で、現実の生活と向き合わないまま、向精神薬の中で淀んでいたら、ずーっとそのままの暮らしが続くだけだ。


俗説に.....
向精神薬を大量に長期にわたって飲むと、ボケる、そうだ。
それは困る。

それでなくても哀しいのに、ボケたり、薬依存になるなんて嫌だ。