グリーフ(死別の悲嘆)を学び、自死遺族を支援したいと願っている人へ

グリーフケアを学ぼうとすると、最初に耳にするのが、以下の三人。

・ウォーデン 
・ランド―
・ロバート・ニーメイヤー

ほぼ間違いなく、はじめにこれら3人の名前を聞くであろう。

それにプラスして、エリザベス・キューブラー・ロス、 日本人だと 土居健朗、 小此木圭吾の「対象喪失」、

大原健士郎、デーケン、平山正実、 などなど、ちょこっと引用されるのかな?(敬称略)

最近だと、大阪大学の坂口幸弘先生。


ちょっと待ってほしい。

たとえば、ニーメイヤーの ナレラティブ (話すこと)であるが、人は悲嘆を話したがっている、話さないと病気になる、というのだが、

私の体験だと3割くらいの遺族は、「封印」という形で 喪の道を歩いている。

これも一つの手だな、と私は思う。 

世にいう、グリーフケアの理論によれば、「封印していると、何かしら心の奥から攻撃してくるとか
怒りの段階で止まっている」などと指摘される。

しかし、私の分かち合いの沈黙のうちに喪の道を歩いている人々がおかしい、と感じたことはない。

ニヤリニヤリアセアセアセアセアセアセアセアセ

男は黙ってサッポロビール!ではないが、日本人は、沈黙の中で悲嘆を養生する人が多い。

吐き出し、泣き、語るのが一番! という文化ではない。

最近の若者もそう変わらないような気がする。 
数万人の若者と浅からぬかかわりをしてきた経験から言えることだが、国民性の本質は変わらない。

何でも 欧米を 引用すればいいというものでもない、、、、と私はおもうのだけれどもなぁ。

ましてや、 死別の悲嘆という人類の究極の悲しみを、たわめたり、歪んで切り取ったりするのは言語道断であろう。