グリーフー死別の悲嘆のことをいう。
「悲しい」を 辞書でひくと、 sad あるいは sorrow が出てくる。
sad はニュアンスからいうと 長く続く悲しみをあらわし、sorrow は どっと押し寄せる悲しみの感情をいうそうである。
これを教えてくれたのは、私の大学時代の恩師 神谷美恵子先生である。
作家のバージニア・ウルフの言葉だそうで、それを確認するために、神谷先生はギリシャ古典、ラテン語、古典文学やシェークスピア、詩歌など 沢山の文献にあたった・・・と話しておられた。私の古いノートに記してある。
さてこそ、グリーフ という言葉はいまや、手あかが付いている感がある。
グリーフとは 大切な愛する人を亡くした悲しみの感情のことである。
内なる深い懊悩を伴い、深く長くつづく 愛する人の喪失感に心の落ち着きどころを失っている状態である。
これは お薬や医療の施術で治せるものであろうか?
死別の悲しみは、いわばその人の心の深遠な愛着感情の問題である。
愛を診察室でどうやって治療できるのだろうか?
しかるに 全米精神医学学会の DSMによれば、 死別の悲嘆は精神医学による治療の俎上に上るものとなっている。
私は、素人の一市民にしか過ぎないが、子を喪ってその母が悲嘆が一定期間以上、続いていれば、治療の対象になりうる、とする全米精神医学のDSMには 首をかしげてしまう。
全米自死遺族協会の会長の W. フィーゲルマン博士もそのことを懸念している。
pathologisation of grief
(悲嘆の安易な疾病化)は新たな悲劇を生む、と・・・・・。
恋の病や失恋の喪失感につける薬がなくてかつ病気ではないように ♪
「亡き人を慕わしく偲ぶ思い」が 疾病化されることに疑問を感じている。
亡き人が死んでいようと生きていようと、その家族にとっては、愛する夫/妻であり、愛しいわが子であり、頼もしい愛してくれた父/母であり、慕わしい兄・・妹・・弟・・姉・・であり、希望と喜びをくれた孫/祖父母であったのだ。
かけがえのないその人々が地上から消えたのである。 二度と会えないのである。
「死によって断ち切られた愛」を悲しみ、亡き人を愛おしみ、追慕の情を募らせる愛着の気持ちが 疾病なのであろうか?
深い悲嘆から来る 睡眠がとれないとか ご飯が食べられないとか 外に出て人と会うのが辛い、といった「表面に現れる症状」は確かにある。
それらを取り除くための医療活動までを否定するつもりはない。
けれども、 悲嘆を疾病と安易に即結びつける医療には首をかしげてしまう。
そもそも 医療は さほどに万能であろうか?!
惻隠の情をもち、人の心の感情にまで踏み込めるほどに人間性を問われる場にあって、謙遜さを欠く人の群れの跋扈に疑問を感じる。
