傾聴という言葉が好きな人は多い。
そういうひとは、カウンセラーを目指していたり、地方自治体の研修会があると受講するようである。
学んだことを生かしたい、と思うのは当然で、
実践の場、あるいは勉強の機会として、私たちの会に参加したい、と申し出られることもある。
もちろん丁重にお断りしている。
他人の悲しみを自分の勉強道具にするのはいかがなものか・・・・
ちょっと困った例を以下に紹介する。
息子さんを亡くした60歳代のお母さんが ノイローゼになってしまった話。
死の直後から、傾聴が大好きな友人とやらが、自ら聞き役を買ってでた。「話せば楽になるわよ」と。
しかし そのお母さんは、とてもじゃないが、そんな 「おせっかい」に応じる気になれなかった。
度重なる電話にも出られず、 じーっというFAXの紙の音を耳を押さえて過ごすようになったという。
たぶん親切心だろうが、一連の押しつけがどれほど悲しみの心を追いやったことか!と思う
遂に、困り果て、「○○君(その人の息子)も自殺したら、わかります」と言い放ったそうだ。
それ以降、連絡がない・・・とのこと。
しかし、思慮深いお母さんにそんなことまで言わしめた鈍感さは度し難い。