義母が骨折で入院したと言う話しを聞いて 今日お見舞いにいってきました。車

旦那の勘違いで 最初聞いていた病院と違っていたのです。


ついたのは S市にある N病院。病院


んーーー・・・

偶然なのですが 旦那とわたしは 田舎がいっしょなのです。


このN病院には 昔祖母が入院していたこともあり わたしは 何度もお見舞いで来た事があります。(・_・)


もう ずっとずっと昔の事です。


「こんな・・小さな病院だったかな・・・」


前にわたしが見た時は 小学校上がる前だったので その小さな視線から見たN病院はすごく大きかったのです。

ここはちょっと変わった作り?で 各階を 車椅子とかストレッチャーが通りやすいように 階段とは別に スロープの廊下で上の買いへといけて そこがメイン通路のようになっていたのです。(今もそうだった)

子供のわたしには そのスロープの廊下がすごく広く感じたのですが・・

今日見た廊下は ごく普通の広さ・・人が3人並んだら狭いくらいでした。


「ん~・・・・こんな感じだったのかなぁ・・・(-_-;)」

自分の記憶の中の風景との違いに かなりのギャップを感じてしまいました。


このスロープ廊下・・・わたしには 忘れる事のできないものなのです。


今はもうないんですけどね・・・この廊下には ずらーーーーと ホルマリン漬けが並べられていたのです。叫び


その中には まるごと赤ちゃんのホルマリン漬けが・・・・ドクロ


わたしは いつもこのスロープを通る時に 母の背中に隠れて 目をつぶって通っていました。

さぞかし評判悪かったんでしょう。
かなり前に そのホルマリン漬け廊下はなくなった・・という話しを聞いたのです。


今回は そのスロープ廊下は見えましたが・・・とおらなかったので 本当にホルマリン漬けがもうないのか確認はしなかったですが。

代わりにイスが置かれて そこに診察を待っている患者さんが座っていたんですね・・
斜めのスロープにイスおくかなぁ・・・(-_-;)


でも この病院・・・もっと 恐ろしい 思い出があるんです!!叫び




ある日 祖母の家に泊まりにいっていたときに 夜中に わたしがひどい腹痛を起こしたのです。

それで びっくりして N病院に運び込まれたのですが


「・・盲腸です。すぐ手術しましょう!

手術まで 患部冷やしておきます」



そういって 医者は わたしのおなかの左を冷やし始めたのです。


(多分 母だったと思うけど ひょっとしたら他の患者さんか 看護婦さんがいったのかもしれない)

「・・・先生・・盲腸って 右では?」


「・・・・あ・・・・そうですね!」



大丈夫かい!この医者ぁー!!


まだ 幼かったわたしでさえ心の中で突込みをいれてしまいました。(。・_・。)


わたしの中で (こんな医者に手術されるのいやだぁー)という思いが湧き上がった時  医者が手術の用意で席をはずした時に 同じ病室にいたおばーちゃんがこう言ったのです。



「ここの病院は 手術痛いから 小さな子供には可哀想だよ。
他の病院に連れて行って上げなさい」




手術が痛い?

今思えば・・なんか 変なセリフといおうか・・いたいのは当たり前だろうという感じでしたが きっと その場にいたみなが何かを感じたのでしょう。

母も素直にその言葉を受け入れ なにやら理由をつけて わたしを別に病院に連れて行ったのです。




「盲腸じゃありませんよ」



「・・・・は?」



連れて行かれた別の病院で そこの医者はそういったのです。


「心配なら 一晩入院して 様子見てみますか?」

「・・・・はい・・そうします・・・」


結局 元気いっぱい わたしは翌日退院したのでした。合格


わたしの盲腸はその後大事におなかの中にしまわれ 中学2年の時かな?
受験を控えて もうとっちゃいましょう(当時 体が弱かったから)といわれて 手術されるまで 一度も傷む事がなかったのです。ヽ(゜▽゜*)乂(*゜▽゜)ノ




っていうか N!!
お前のは誤診だろう!!
あきらかな!!!!
むかっ


こ・・こわい・・・

あの時 どっかのおばーちゃんが 助言してくれなかったら 悪くもない盲腸きられるところだった・・


そりゃ いずれ取る事になっていた盲腸なら その時 切られていても同じかもしれないけどね・・・

盲腸の位置が 右か 左かもわからず 診断した医者なんかに手術されたくないぞ・・・・



ありがとー 知らないばーちゃん。(o^∇^o)ノ