ツイートをしてた通りではあるのだけど、」
仕事に関することで
もう少し責任ある立場で頑張りたいなというのを
ちょこちょこ考えていて、
ひそかに今お世話になっている塾の系列で
面接や試験受けていて、
それが今日 無事に
合格の知らせをもらえましたうれしい・・・!
本当に
きついときや迷っているとき
飽きもせず話を聞いてくれた
周りの方のおかげ過ぎて
感謝すぎるなと
今まではスタッフという立場だったのやけど
これからは室長やらせてもらえるし、
うちの系列は
本当に教室長って
色々自由なやり方でやらせてもらえるから
とにかくうれしいし、
もちろん不安もあるけど
何倍も楽しみの方が勝るし、
今までの働き認めてもらえたのも嬉しい、
仕事ほんとうに大好きだ。。。
だから特に需要ないと思うけど
この記事では
うちの塾との私の出会いとか
思い入れとか、
長々綴ろうかなあ
きっかけは二歳の頃
おかあさんが教室に連れて行ったのが始まりなんだよな
さすがにその当時のことは覚えてないけど、
うちの系列の特徴の一つに
「学年を超えて学習していく」
というのがあったおかげで、
四歳のころには
自分のフルネームくらいは漢字で書けたし、
幼稚園を卒業するころには
簡単な方程式くらいはとけた
そのあと数学はやめたけど、
ありがたいことに
小学生のうちには
高校古典は一通り終わったから
そのあとの中学受験も高校受験も、
あんしんして臨むことができた記憶があるよ
まあでも
それより何より
本を読む習慣がついたこと、
大事な先生との出会いが
私にとってとても大きかった
本を読む習慣がついたことは
そのあと、大人になってからも
私をいろんな面で支えてくれたよ
同じ読書体験のある友人と話せたのはもちろん、
音大に進んでからも
自分にとって必要だと思えることは
自分で本を読んで学べていったし、
譜読みや音楽分析するのにも
とても役に立った
一番最初に入塾したときお世話になった先生が
とても読書を奨めてくださる先生で、
読書感想文発表会なんかも
市の小さなホールを借りて、
教室独自でやってくださったんだよね
次にきてくださった先生は
教室長初めてされる先生やったのやけど、
当時小学校高学年で
中学受験や他の習い事にも忙しかった
私や他の生徒のために
本来の教室外の曜日もとって
教室を開いてくださる
ほんとうに優しくも
熱心な先生やった
先生の息子さんが
アルバイトでスタッフとしていつも手伝いにきてたのやけど、
本当によく面倒みてくれて、
いつも大型二輪の後ろに乗せてくれて、
父親がいなかった私にとって
特に小学生の頃
そうやって構ってもらえるのは
嬉しかったなあ
妹と一緒に動物園とかも連れてってみらった記憶。。。
今思えばその先生
19とかだったはずなのに、
ほんとうに優しい人だったな
そこから時間が流れて
はじめてスタッフとして関わったのは
大阪時代の時
開いたばかりの
新しい先生のお教室に
ご縁があってお世話になっていた
地元と違って
教育熱心、
私立または国立中学への
進学熱が特に高い地域で、
室長の先生もそういう志向のせんせいで
面食らった記憶があるなあ
なかでも私は特に
そういう風潮についていけない生徒、、、
虐待されていたり、
LD,ディスレクシア、
室長の先生が放置気味の生徒を見ているのがすきだった
そしてそういう子たちが
「勉強ってたのしいね!」
と笑顔で帰って行く姿を見るのが
いちばんすきだったな
みんな元気かしらん
大阪ではもう一つ縁があって
別の教室に勤めることもできた
そこの教室は
北大阪でも指折りの大規模なお教室で
せんせいはポケモンでいう
ポプラみたいなピンク魔法使い系、
独特の魅力(魔力?)?と
独自にやり方があり、
ベテランの先生で
本部へも多大な影響力と発言権を持っていた
生徒数は
500を超えていたと思う
そこで初めて
いかに教材を使うべきか、
こどもたちにどう接していくべきか、
どうすれば子どもの自己肯定感を守れるのか、
システム等々
今までと全く違う
新しい学びと気づきを
次々に得ることが出来て、
自分の中で
色んな可能性を
想像することができた
なんか長いな
結構裏話やから
やばそうだったら消すかも!
そのあと仙台でまた
二人の室長の先生の下で勤務することになるけど
それはまた
気が向いたら書こうかな