先日、詩の朗読を聴き、感じたこと。
読まれた詩はそれまでに活字で読んだことのあるものだった。
だからそれはすでに自分の頭の中の声と間(スピード)で知っているものだった。
だけど、詩人の声を通して発せられたその言葉(詩)は全く別のもので、
詩を聴くというよりは
その書かれた詩以前のところから
詩を通して出てくる声を
聴いている感じを受けた。
詩はフィルターで詩人が注ぎ込んだ熱湯がフィルターを通して落ちてくる感覚。
フィルターを通したものでさえ、素手では触れないくらい熱かったから、
その発信源はというと、想像を上回るのだろう。
文字化できず、言語化できない感情の集積かな。
活字として見えている詩はそういうもののほんの一部。
詩を読む楽しさは
自分の中の曖昧で言語化しづらい領域、
掴みたいのになかなか触れないところのものを
一瞬にしてぱ~んと鮮明にみせてくれるところで、
ひとりで文字と向かい合うのも好きだけど・・・・
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聴く楽しさはまた別のものがあると思う。
ぐふふ、、、、、、
純粋にまた別の楽しみがあるのだ。