執着を手放すとか
宇宙にゆだねるとか
ちょっと抽象的すぎて意味が解らないことを
「そのうち実感できる」
「解らないのはまだそこまで理解できてないから」と
説明しないのは何でだろうね。
たまたま腑に落ちる説明を
私が見つけられないだけかな。w
願うものに執着していると、叶わないとか
だから、「執着を手放す」というのを目にます。
そもそも手放すって何?
どうすればいいの?
というのが大事なところだと思う。
<執着があると叶わない理由>
人間が生きる上で「こうしたい」という願望・希望は必要だけど
例えば
「私は好きなことだけしてお金をたくさんもらって毎日楽しく暮らしたい」
「絶対あの人と恋人になって結婚したい」
「絶対あれが欲しい」
赤字部分を強く思い続けていることで、
ずーーーーーっと「絶対○○したい」「絶対○○が欲しい」
が続く状態になるから、叶わないということ。
言葉遊びやね。w
だけど、感覚的なもの(気持ち・気分)だけでなく、
言葉でそれが補強されるということは
誰もが経験していることだと思います。
言葉は大事、言葉も大事、言葉が大事
ということになります。
だけど、その願望が「周りから羨ましがられたい」とか
「こういう風に見てほしい」という理由では
いつまでたっても叶いません。
他人は自分を評価するために存在しているわけじゃない。
自分は人に評価されるために存在しているわけじゃない。
他人にどう思われるかを目的にして生きるのはその人の幸せじゃない。
ということですね。
ちょっと脱線しますが
例えば、見られる仕事の女優さんや俳優さん。
本当に幸せな人は
「演技がしたい」人ですね。
「周りから褒められたい」人は、
計算して気を使って大変だと思います。
もちろん、そうして徹する努力を続ける人は
尊敬しています。
あくまでも、無理や我慢をしないことを「幸せ」とするなら
やっぱり自分がどうしたいかが
いちばん大事なところだと思います。
<つきうお独自の、手放す言葉>
そこでまた、よく目にするのが
願望が叶った時の気持ちになって
「○○しました」「○○が手に入りました」
というもの。
でも、まだそうなっていないんだもの。
あまりに今と違うことを自分に言い聞かせても
すんなり自分の心が受け入れてくれるかというと
中々うまくいかないものですw
気持ちの上で「○○したい」「○○が欲しい」と思っていても
とりあえず
「○○したかった!♪」「○○欲しかった!♪」
それは過去の願望だった的な言葉にすることで
執着している状態から、その執着は過去のものに
変えることができます。すごいでしょ!?
「○○した(ここまでかなり本気、自分の望む気持ちたっぷり入る)かった!(ここでちょっと力抜ける)♪」
最後の「かった!(ここでちょっと力抜ける)♪」部分で
どんな気持ちになるかがポイントです。
次の、手放すときの気持ちを思い浮かべると
かなり調子よくなります。
<手放すときの気持ち>
1.自分の願いが叶ったあと、どんな気持ちになったかを想像する
2.遠慮せずぜーんぶの願いを叶えて、最終的にどんな自分になりたいかを想像する
3.最終的に全部の願いが叶ったときの、自分の心の在り様を想像して、それを思い切りかんじきってみる
1→2→3の順に考えていくとき、気をつけなきゃいけないのが
2.最終的にどんな自分になりたいかを想像する
「みんなからこう思われている自分」
「誰かからこう見られたい自分」
という他人目線の自分じゃなくて、
自分がどうしていたいか
自分目線・自分軸が大事です。
自分を生きるうちに
後からついてくるものだから、気にしない。
他人から評価されなくても、自分を楽しく生きていれば
気にならない。
とか、まあ偉そうに言いますがw
これで引き寄せたのは、ものすごく気に入った
お財布とバッグを、
自分で見つけて買ったというものです。
願い始めたころはお金がとても足りなかったけど
翌月何故かお給料が多くなり、買えました。
(私の計算違いだったので結局もらえる額だったけどw)