​東西、東西ーー!

月のプーたろう通信、今宵お届けするのは、誰もが一度は頭を悩ませたであろう、あの夏休みの思い出……知る人ぞ知る「夏休みの宿題」のお話でございます。

​皆様、夏休みの宿題と聞くと、どんな感情が湧き上がってまいりますか?

前衛的にざっと見渡せば、もうとんでもなく嫌味ったらしくて邪魔な存在に思えますな。

「こんなものは1日で終わらせてやる!」と息巻いて挑む方もいらっしゃり、その意気込みたるや実に素晴らしいものでございます。

​実は私も中学1年の頃、この宿題を1日で全部仕上げてしまったことがありました。

「これで残りの夏休みは自由自在だ!」と大歓喜……と思いきや、ここからが本当の悲劇でございました。

​いざゲームをしようとしても、目の前に広がる「巨大な自由の時間」に完全に振り回され、結局何をしていいのか分からない。

音楽を聴いていても心が踊るわけでもなく、漫画を読んでいても内容がさっぱり頭に入ってこない。

これほど自由で素晴らしい状態を手に入れたはずなのに、ただただ情けなく、だらけてしまうばかり。今思い出しても本当に不思議で、どうしようもない日々でございました。

​そこで中学2年目、私はハッと気づいたのでございます。

人間に必要なのは、時間や作業にちょっとした「区切り」をつけてあげることなのだと。

​例えばゲームなら、「大体このあたりのチャプターまで行ったら」、国語で言う「物語の一段落」まで進んだら、次は宿題に向かって見ようと考えるわけです。

​ただし、プリントを何枚も机に並べて散らかしてはいけません。置くのはふたつくらいで十分。

ノートやプリントに物差しをそそっと挟んで、「よし、今日はここくらいまで行ってみよう」と目印をつける。

物差しまで辿り着いたら、またゲームを始める。

こんな風に小分けにしてやってみると、これが思いのほか、なかなかの進み具合だったのでございます。

​そして自分の中でひとつルールを決めました。

「宿題は1日、午前中の1時間弱だけでいい」と。

それくらい割り切ってだらけることにしたのでございます。

​ですが、たった1時間弱でも「今日もちゃんと宿題をやったんだ」という実感が残る。

この実感がなんとも言えず心地よく、脳みそに今で言うドーパミンとやらがドバドバと溢れ出ていたのでしょうか、私にはよく分かりませんが、とにかく気持ちが良くて、夜になるとぐっすりと熟睡できたものでございます。

​そして皆様、読書感想文や読書というものも同じでございます。

​本を開けば「最後まで全部読まなきゃいけない」なんて自分で自分に縛りプレイを課してしまいがちですが、そんなものは縛らなくても大丈夫でございます。

​最初の1ページだけでもいい。

「はじめに」と書いてあるところや、目次だけでも読んでみましょう。

そして夜寝る前にでも、枕元に小さなメモ帳を一冊置いて、「目次だけ読んだ」「1行だけ読んだ」とちょろっとメモを書いておく。

そんなたった1行からでも、ちゃんと「読書感想文への道」は続いておるのでございます。

(まあ、感想文のお話はまた別の記事で語るといたしましょう。)

​私の中では、ゲームも読書もいっしょでございます。

もし皆様の手元に積んでいるゲーム……いわゆる「積みゲー」があるのであれば、全部クリアしようと構えなくても大丈夫でございます。

​ほんの少し合間やスキマ時間に開いて遊んでみる。

読書もゲームも同じようなシステムで、気楽に試してみてはいかがでしょうか。

​嫌味で邪魔だと思っていた夏休みの宿題は、こんな風に自分なりの「区切り」を見つけ、一日を最高の気分で過ごすための「生活習慣見直しサプリメントであった」のでございますな。