彼女もやはり、同じコトを言った。


「離脱の時」。・・・そんな風が吹き始めるとき、、、、そういえば、過去にも似たようなことを体験していて、そう、確かにこんな感じで、同じタイミングでいろいろなことが起こり、そして、それらは皆、同じ方向を指差す。

かつて、京都から東京に戻ってくる決断を下したときも、そう、やはり、少し惰性のスパイラルが悪い方向に回転し始めている予感を感じていたし、そして、そこから離脱するべきだと、僕の周りの様々な出来事が、暗に語りかけてくれていた。その時に、似ている。

・・・その<声>が、まだ自分にちゃんと聴こえていることに多少安堵しつつ、そして、「そうか、また、飽きてきたのか」と、変わらぬ自らの性分を、少し、恨んでみたり。


でも、そう。確かに、これは自分が随分と前に出した結論。

「居心地が良くなってきた場所からは、自ら進んでズレていく。」

それが、<生きる>ということなのだから。

「超えていく」ってそういうこと。常に。


Live my life.

自分の人生を、生きる。


例えば誰かの人生を支えてみたくなったり、例えば誰かの人生を横で見ていたくなったり、そんなことはもちろん意味のないことではないけれど、でも、「主役が誰か」ってことを、忘れてしまっては意味がない。

人の人生を見ることで自分が生きた気になってしまうような、そんな逃避に遣っちゃ、だめでしょう。

・・・そう、それは、「逃避」なんだから。うん。本当は、わかっている。


心配かけてゴメン。

こんなところで留まっているのは僕じゃないから、大丈夫。

ちょっと待ってて。

年々麻痺が酷くなっていて、少し感覚が鈍くなってきちゃってるのは確かだけれど、でも、大丈夫。

まだ、ちゃんと憶えているから。


久々に、思い出させてくれてありがとう。


それにしても。

<伊織>はもはや数年、逢っていないというのに、

<凛>はほぼ一年ぶりに、ゆっくり話したというのに、

良く見ているね、僕のことを。

「本当は自分でもわかってるんでしょ??」ってことを前提に、うまくダメ出ししてくれる貴重な存在、だね。


一昨日の<伊織>みたいに、「大丈夫??」って心配してくれるのも感謝だし、そして、昨日の<凛>みたいに、「ホントは寂しいんでしょ??」って突っ込んでくれるのもまた、感謝。わかっているつもりでも、言葉に出されて人に言われることで、より、輪郭がハッキリすることも、あるもんね。


・・・・・【螺旋階段】でけっこう。

いつまでも立ち止まっているよりは、マシだろう、きっと。