こういう感覚って実は凄く新鮮というか、懐かしいというか。

日常、逢えないときにもついついその子のことを考えてしまう瞬間がある・・・そしてそうした瞬間がどんどん増殖していくこの感じは、もはや、認めざるを得ないくらいリアルな自分の気持ちだったりするのだろう。


こういうのはアタマで考える類いのことではないから、どちらかというと「動いている自分の感情」を眺めるところから逆算して、「そうか、そんなに好きになっちまったのか」ということを知る。そういうことだ。


まぁ、そうだよね。確かに、相変わらずムチャクチャなんだけれど、でも、可愛いもんな。


病んでいたりする子達が周囲に集まってくるオーラ、本人が望むと望まざるとに関わらず「癒し」として存在できてしまうこと、、、そんなことをついこないだも別の子に言われたけれど、それもまた「自分」であるならば、もはや仕方がないのかも知れないね。


・・・そして、そんな自分が、いざというときに拠り所と出来る存在、そして、いざというときにしか拠り所にしてはいけない存在、つまり、もはや既に出逢ってしまった極限の彼女・・・・それが伊織であり、だからこそふたりは、離れて生きていくことが必要だ、ということなのかもしれない。


それは例えばユリアにとっては、はじめから僕の役目ではないのかも知れない。

種類は違えど、そういう類いの時間を通ってきた、あるいは通っている人間であることは、コトバの端々から、わかる。そして、そういう時間を、少しずつ相対化しつつあるそのただ中で、藻掻いていることも。

ただ、それを分かった上でこれから先考えるべきコトは、たぶん、僕が彼女を幸せに出来るだろうかということ、ふたりで一緒にいることで、それが出来るだろうかということで、そしてその結論は、また少し時間が経った頃に、自然と、出ることになるのではないだろうか。


それが例えば結婚というカタチをとることになればそれはそれで面白いけれど、さて、どうなることやら。

(・・・他人事のように。)


難しいのは、「居場所をつくってあげる」というような構えでいられるほど、僕自身が安定しているわけではない、というその事実が最近は隠しようがないほど明らかになっている・・・・その弱さ、そうなんだよね、弱さがあって、それはもちろん人間だから当たり前なんだけれど、「頼っているのはむしろ自分か???」なんて部分が、顔を出すことに実は自分でも気付いていたりするわけで。


だからこそ、前にもここに書いたけれど、自分から連絡したりは、しないのが、正解。

実家に帰省して、ゆっくりして、また、こっちに戻ってきたら、その時はきっと、連絡が来るでしょう。