京都にいた頃に、仲の良かった年下の女の子がいて。その子は、例のスティングがかかる店で、バイトしていたところからの繋がり。
僕のイメージではハタチそこそこくらい女の子(むろん、その頃を良く知っているからで、そしてここ数年は全然会っていなかったから、イメージはそこで固定されている)なのだが、そうか、もう27に、なったのか。
話したの、何年ぶりだろう。ずいぶんと、長電話を、した。
携帯の番号が、「もう変わってるかな」と思いつつ、でもなんか話してみたくなって、電話を鳴らしてみたら、彼女が、出た。「久しぶり。いま、家だよ。どうしたんですか~??」なんて、一気に昔にタイムスリップしたみたいな会話から始まるのもまた、不思議。数年ぶりで、しかも、東京と京都。時間と距離は、精神的な繋がりがベースにあれば、それほど意味を持たないのかも知れない。
打算的な話をすれば、電話をしてみたのは、彼女は23、4の頃、だいぶ精神的に病んでしまっていて、薬を飲んだりしていたことも知っていたから、そういうところを通った子に、ユリアの話をしてみたかったから、というところなのだが、それ以上に、話はあちこちに飛びつつ、久々にずいぶんといろんな話をした。
なんとなく、壊れていた頃の彼女の感じが、今のユリアに似ているのかもしれないなぁ・・・・と漠然と思っていたのだけれど、もはやその面影はなく、話すひと言ひと言から、世の中に対する目線とか、正しいこと・大事にすべき事に対する理解とか、そして大人になったからこそ話せるくだらないオトコの話まで、「成長の跡」が、感じとれて、ある意味、うれしい驚きを、感じた。
彼女が言うとおり、環境を変えたがる女の子、周りの人に違うものを求めて、自分の居場所を変えていくことで自分が変われると思っているような女の子・・・それは23、4くらいのときには、確かにありがちな姿なのかも知れない。でも、本当は自分自身が変わらなきゃいけないことにその子は気付いていなくて、そしてそれは、環境を変えたところで、また同じことの繰り返しで、結局は、どこかで自分で気づけることがない限り、どうにもならないのだという話。
あるいは、居場所を作ってあげる覚悟、例えば、それは家庭環境だったりそういうことで完全に安心できる場所がないまま育ってきてしまった子に特有の、あの、浮遊感というかそういうものを払拭するために、「ここに居て良いんだよ」ということを伝えてあげることの持つ意味と、そして、そのことの危うさと。
そして、一緒に暮らしてしまうことでの共依存の危険性と、それから、僕自身が持っている社会的ステイタスが、世の中からどう見えるのか・・・そんな話も。
「何が大事なのか」というところに対する目線、それはサービス業をやっていく人としてもの凄く大事な目線だが、確かに、そう。彼女は、若い頃からその目線だけは、とてもまっすぐに持っていて、当時はその表現の仕方とか伝え方とかがこなれていなかったわけだけれど、いまや、とても的確に、それを伝える術を手に入れている。
たぶん、「いい女」に、なってるんだろうね。
ただ、やはりというかなんというか、そんな彼女もいまケガをしていて、半年ほど会社を休んでリハビリ中だとか。
「不幸」と表現すると少し違うのだけれど、ついついそういうトラブルを抱えてしまう感じは、夜のグループに属する種類の女の子だってことなんだろうね。
そのうち彼女も、小さな店を出すことになるような、そんな気がする。
面白いことを言っていたな。「ココロの隙間産業」。いい意味で、ね。色恋とかじゃなく、そういうことが出来るのは、たぶんああいう子なんだろう。
いつかまた、会って話が出来ると、いいね。