日々を本当の意味で「生きる」ことと、日々をただただ「こなす」ことは、大いに意味が異なる。
日々の密度は、次から次へと様々なことをこなしていく中で、必然的に濃くなっていくか???
・・・否。
「意味」は「価値」は、「手触り」は「リアル」は、そのスピードの中で、常に後ろに置き忘れられていく。
その証拠に、ここ数年の記憶が、ない。
確かに、あれも、これも、やってきた。思い起こそうとすれば、いろいろな人に会ったし、いろいろなところへ行ったし、いろいろな仕事をした。しかしそれはなんとなく、どこかの他人に起こった出来事のように、実感を伴わない。
・・・何故か???
その理由は、実は、とてもはっきりしている。
そう、起こった出来事を、日々を、共有する、「あなた」がいないからだ。