飲み続けるのは中毒のようなモノで、そんな中、雑多な感覚を麻痺させながら、ひたすら走る。
その方が逆に精神が研ぎ澄まされるような気もするし、あるいは、それは麻痺した中でただ錯覚に陥っているだけなのかも知れない。

だが、いずれにせよ、仕事は回っているし、クオリティもたぶん落ちていない。
ただ、走る速度が増しているだけに時間が経つのがより速くなり、秋が過ぎ、冬が来て、また、一年が終わる。

大切な季節は、いつもそうやって怒濤の中に埋もれて消えていく。

けれども、心に残って染み着いているのは、いつだってそうした麻痺の中での、様々な傷跡のようなものだ。痛みは、いつもあとからやってくる。
24歳の僕のコトバ(※下記)は、今もまた、同じトコロをぐるぐると走っている僕を、炙り出す。「風」は、心を開いていないと、感じとれないよ。アタマではわかってるんだろうけどなぁ。

そう、本当は、麻痺させていては、いけないのだ。麻痺の中でも突き刺さるあの「カンジ」から、逃げていては・・・。

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生きること。それは風を感じながら走ることのようなものかも知れない。もちろん、大切なのは目的地に早く辿り着くことなどではない。むろん、いつも向こうから風が吹いてきてくれたりはしない。逆に、ときには突風が、吹き荒れるかも知れない。そんななかで、生き生きと生きること。それは、ある瞬間にどれだけ気持ちのよい風を感じられるか、にかかっていると言えるのかも知れない。そう考えて、今こそ走り出すのである。