「どや、なんぞ、うまいもん食おか」

織田作之助の『夫婦善哉』で、主人公の柳吉が蝶子を誘う場面…
この小説で有名になったのが大阪・ミナミの法善寺横丁にある「夫婦善哉」

大阪では「ぜんざい」が当たり前だが、東京では「しるこ」が一般的。だが大阪人は言う。
水っぽく固まっていないという意味の「ゆるこ(しるこ)」より、仏が弟子をほめた「よいかな(善哉)」が含蓄が深い、と。

豪華さや上品さでは、大阪の「まむし」「ばら寿司」「ぜんざい」よりも、東京の「うなぎ」「ちらし寿司」「しるこ」に軍配がある。

大阪人にとって見た目は二の次。綺麗さや格好を気にせず、実質を重視する。気質の差ともいえる。
北風が身にしみる季節になると、鍋物の出番!!
石狩、きりたんぽ、あんこう、ほうとう、ねぎま、柳川、紅葉、ぼたん、しっぽく、はもすき、湯豆腐、すっぽん、かき、フグ…。
全国には主なものだけでも、40種類を超える鍋料理が存在する。


そして、竈(かまど)は西日本、囲炉裏は東日本で発達、鍋料理は東の囲炉裏があって成立したと語る食文化史研究家もいる。

ミツカンの調べでは、家庭での鍋物は年間、関西が18.5回で関東の16.9回を上回る。鍋につきものの白菜の世帯当たり消費量も、東京は8.56キロと平均並みだが、大阪は11.98キロで全国一

鍋の代表格といえば、フグ…淡白な旨味に“命がけ"が加わり、昔から大衆文化にも登場する。
上方の古典落語「ふぐ鍋」では、フグを物乞いに与えて様子を見、元気そうなので食べはじめると、物乞いが戻ってきて、「何ともおまへんか。それなら私も」と。

俳句では、「逢わぬ恋おもひ切る夜やふぐと汁」(蕪村)

「河豚汁死んだ夢みる夜もあり」(夏目漱石)もある。

初の「河豚禁止令」を出したのは豊臣秀吉。文禄の役で九州に集まった将兵に、毒にあたる者が多かった。この為、江戸時代になっても、各藩は武士のフグ食を禁じた。


大阪湾は、フグの好漁場だった。お侍はダメでも、町人は盛んに食べ、「てっちり」は浪速の風物詩となった。現代でも、大阪のフグ料理店は六千軒を数え、全国のフグの過半を消費する。

クジラと水菜でつくる「はりはり」鍋も、関西の名物

水菜をかむ音から、そう命名された。「てっちり」が鉄砲の「てつ」と、切り身が縮む様子「ちり」を繋いだように、擬音語、擬態語を好む関西らしい。
「ニワトリが先か、卵が先か」ではないが、「お好み焼きが先か、ソースが先か」というほどに、お好み焼きとソースは全国に広がる。

ルーツは江戸庶民に愛された「ふの焼き」
クレープのようなもので、明治初期に関西へ。
1930年まで醤油味だったが、1948年に神戸市のオリバーが日本初のとんかつソースを発売すると、ソース味に転換していく。
大阪の焼け跡の屋台が発祥といわれる串カツ。ソースを満たした器に、客が交互に串をひたす。
店には「二度づけ禁止」の貼り紙。
この貼り紙をはじめたといわれる1949年開業の新世界の「八重勝」の元林辰明氏は、「最初は口で注意してましたんや。そしたら、注意された客から、どこにも書いてないやんか、と反論された。ほんで、書いたら名物になりましてん」

ソースの共用は「無駄なく使う、大阪の知恵でんな」と照れる。

神戸にはソバめしがあり、1960年ごろ長田区のお好み焼き店で誕生した。

阪神百貨店のデパ地下には、45年前から焼かれ、毎日一万枚も売れるイカ焼きがある。

子供もお年寄りも、自信を持って美味しい、不味いをいう。それだけに大阪で通用したソース味は、全国で通用する。