ツインレイについて考えてみる☆ | ツインレイをキッカケにスピリチュアルの世界を知り、5次元世界の心からの豊かさに気付けるマイペースでゆる〜いブログ

ツインレイをキッカケにスピリチュアルの世界を知り、5次元世界の心からの豊かさに気付けるマイペースでゆる〜いブログ

2017年レムリアン・ヒーリング®️マスターLv1
2021年双極性障害(スペクトラム)と診断され60%を目安に生きています^ ^
5次元の心の豊かさとは何か?に気付けるお手伝いをさせていただきます♡

2020.6.13

私は、ツインレイ(らしき人?)と出逢い、

離れてからは恐ろしいくらい急速に

霊的な目覚めも起きた。

4年前とは全くの別人並みに…

でも、根本的な『私』というキャラクター

は変わっておらず、

ツインレイだの覚醒だのと全く知らない

旧友との交流は昔と何も変わっていない。

何が変わったのかというと☆

物事の捉え方、自分の在り方だと思う。

ヒーリングはきっと霊的な目覚めがなくても

元々出来ていたのだろうと思うオマケのよう

な能力。

普通に考えたら、透視のような事は

気味が悪く感じるかもしれないけれど、

むやみやたらにやっている訳ではないし

エネルギーの無駄遣いになるから

敢えてやろうとも思わない。

必要最小限の場面でのみ使っているから

誰かに迷惑をかける事もないし

念を送る生き霊になる訳でもない。

こういう事が特別なのではなくて、

自分の在り方がすべてなのではないかと

思う。




それを思うと…もやもやもやもやもやもや

ツインレイだと思った相手はとんでもなく

卑劣な事を何度も平気でしてきていたので、
(例え、カルマの解放にしても酷すぎる事ばかりだった)

私の勘違いだったのかな…

と、

ようやく気持ちを切り替えようとする度に、

私が認識しているその人の名前が頻繁に目に

入るようになってもやもやもやもやもやもや

それが、4年も続いているので

何がしたいのか??

と、自分に問いかけ始めています。

私は何がしたくて4年もその名前を目にして

いるのか?

恋愛感情などとっくに消えているし、

出逢った時にしょっちゅう感じていた

光の柱が身体を突き抜けるような感覚

も全く起きていないのに…

腐れ縁的なもので名前を目にしているのか。

目にするのは名前だけではないけれど、

いつまで付きまとうのかわからなくなる。

それでも、名前を見ても感情は揺れないし

喜びもない。

だからこそ、何故目にするのかわからない。


何故か、ここまではいつもと違う口調で
書いていました(笑)
何かしらのメッセージなのかな(o^・^o)
ここで決別を決意するとか☆←ここだけ小さく書く(笑)



ただ、ひとつだけ確かな事は☆

スピリチュアル関係で出逢った人達(女性)に

この話をすると…

『ツインレイではないんじゃないかな』
『縁を切った方がいい』

と言われていたので💦

確かに、相手からされてきた行為は最低最悪

なもので、これを『真実の愛』や『許し』で

片付けてしまっていいのだろうか??

と、思う自分がいるので

やっぱり魂は『この人ではないよ!』

と教えてくれていたのかも知れないです。

霊的な目覚めのキッカケを作ってくれた人

だったかも知れないし、半分程度は

ツインレイの過程に当てはまっていたので

死にそうな程苦しんでいても、ツインレイ

だと思い込んでいたから生きてこれた

というのもあるかもな…!?

と、今ではその当時の苦しみすらすっかり

忘れていたけれど、ちょっと思い出した

ので『今』の気持ちを書いてみました。

ちなみに、ツインレイに当てはめてみると

今は家族の問題もほぼ解決して社会奉仕

という段階にいるのだろうな…

と、なんとなくそんな気がしています。




今の仕事は、これまで身に付けた経験を

活かして少なからず役に立っているのと、
(大袈裟過ぎるほど感謝されるので受け止めきれない💦)

新たな課題もぼんやりと見えています。

私は『ここ』にいるだけで良いんだ☘️✨

と思える場所がやっと見付かった気がする

ので、暫くはこのまま過ごそうと思います。

同じような仕事をしていても、

私自身も物事の捉え方が変わったのもあり、

環境も人間関係もまったく違っていて快適

なのと、そこに執着はなくなっているので

流れに身を任せている感じです。

なので、コロナで騒いでいる時期も

仕事で困ったりもせず過ごせていたし、

ほぼ穏やかに過ごせたのかな?

と思います。

むやみに不安にならなくなったという事も

穏やかに過ごせる要因だと思います☘️✨

最後に、

ツインレイだと思い込んでいたとしても

今が穏やかに過ごせているので

あの過酷な数年間があったお陰で『今』が

あると懐かしく思ったりしています。