セラピストへの道  Part 1 | Moonlight Otto

セラピストへの道  Part 1

HPには長すぎて書けないけれど・・・


私がセラピストを目指すに至った足跡あしを少しずつ綴っていこうと思います。


完結編がいつになるのかは私にも??ですが、どうか気長にお付き合い下さいねかたつむり







7年間にわたるOL生活を経て1986年に結婚。


夫の勤務地であった仙台で新婚生活をスタート、慣れないながらも何とか主婦業に専念していました。


初めて経験する東北地方の冬の寒さを何とか無事乗り切り、やっと訪れた春のありがたみを噛みしめていた矢先に待っていたのは・・・




「オランダに転勤するかも!」 帰宅した夫からの衝撃的な言葉で幕が落とされました。

海外支店はないよね?新婚早々まさかの転職??声にならない心の声が。

東京育ちの私にとっては仙台でさえ、充分異国な気分。

なのに海外?それもオランダ?オランダってどこ?何語話すの?頭の中は???だらけです。





何かの間違いを願ったもののそれは現実となり、年目の結婚記念日には既にオランダの住人に。

提携会社へのトレ-ニ-派遣として最長5年の赴任との事でした。

言葉も文化も常識も全く違う海外生活。


それなりに貴重な体験でしたが、知らず知らずにストレスもためこんでいたようです。


取り敢えず若さで乗り切れたというのが正直なところ。





結局2年後の1989年オランダより帰国。


「一生一度の海外生活、過ぎてみれば貴重な体験だったね~」と感慨深く話していた私達でしたが、その後も1994年~1999年ニューヨーク、2002年~2007年香港と結婚後の通産12年間を海外で過ごしてきました。人生どうなるか?なんてワカラナイ!これが私の実感です。


それぞれの国でかけがえの無い友と出逢い、貴重な体験もさせて貰い、その事には感謝の気持ちでいっぱいです。








一方、私のセラピストへの道はこの海外生活と同時進行でした。

まず最初のオランダ、まだ充分に若く気力もありましたが、すでに兆しは始まっていました。

頻繁に起こる頭痛、肩こり、そして20代の若さで人生初のぎっくり腰に。


救急外来のある病院で診察を受けましたが、家に帰って安静に!と言われ何の治療もしてくれません。


(今考えれば当然ですが・・・)





そして、日本に帰国した後にも身体の不調は続き、ぎっくり腰は毎年恒例となります。

おまけに逆カルチャーショックから今で言うパニック障害を経験。

当時はそんな病名を聞いたことさえなく、どこの医者にいっても「異常なし」、心療内科など無かった頃の話です。いくら本人にとっては辛く、明らかに異常でも、診断がつかない限り何の対処法もなくお薬も出ない。


周囲からは贅沢病だとか怠け病だとか言われ益々追い詰められる中、1人悶々と日々を過ごしていました。





前触れもなく突然襲ってくる恐怖感、手足が急に冷たくなり脂汗が出てきて、このまま死んでしまうのでは?などとドンドン不安感がエスカレートしていくのです。いつ何時起こるか解らないこのパニック、だんだん外出にも自信を無くし1人ではとても出掛けられない状態になっていきました。





夫は30代の働き盛り。朝早くから夜遅くまで必死に働き、休日はボロボロになった身体を休める為の大切な時間です。


私は弱音も吐けず苦しみを打ち明ける事も出来ずに孤独感満載な毎日が1年以上続きました。


家事や近所の買い物は何とかこなしていましたが、運転中にパニックに陥ってからはそれも怖くなり益々追い詰められていきます。医学的な原因は見つからず、対処のしようもない(涙)焦りと不安だけが日々大きくなっていきました。





日々の支えはオランダで飼い始めたヨークシャーテリアのラン♂、無邪気な可愛らしさには本当に助けられれました。お散歩だけは何が何でも!だった事が完全引きこもりにならずに済んだ要因。


今思うと本当に有難い事でした。











フ~ッ 初回から長くなってしまいましたあせる

お付き合いいただき、ありがとうございましたラブラブ


この続きはまた次回ニコニコ に つづく・・・







今日はあの頃の私に「キツかったね~ でも良くガンバッタネ~」と労ってあげる事にします。