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昨夜は、『西瓜糖の日々』、いちばん読み直したかった箇所の直前まで読んで、クローズ。
『存在の耐えられない軽さ』に切り替えた。
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存在の…は、というより、クンデラは、といったほうがよいのかな?、クンデラの物語世界は、作者の意図というのが「堂々と」見え隠れしている。
いまここでの登場人物の言動、考えといったものが、後の場面に「整然と」つながる。
だから、というわけでもないが、クンデラの小説は複数回読んだほうがなるほど感があると思うな。
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まあ、何回か読まなきゃ分からないのは、僕の場合、かもね。
よけいなお世話だね。
実際、この本を読んだ直後だという秀才の友だちと話をしたんだけど、この本の構成や登場人物の役割に関しての指摘を聞いていて、その読解能力に驚いたなぁ。
俺はいつまでたっても本もオンナ心も読み解くことができないなぁ・・・
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なんちゃって。
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今日は、午後から出張。
資料間に合うか?
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西瓜糖は、明日の朝、露天風呂でフィニッシュを決めよう!
(今夜泊まるところにあるのよ。)
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今朝のウォーキング、昨日もそうか、足がピクピクした。
まだ軽くしか走れない。
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風呂。
"in Watermelon Sugar"のThe Statue of Mirrorsの章を音読。
透明で悲しいね。
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ん?
透明って、なんで悲しいんだ?
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露天風呂で考えよう。
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その他は、『存在の耐えられない軽さ』を。
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そうだそうだ、『西瓜糖の日々』と"in Watermelon Sugar"、チェックした箇所をPCに打ち込んでいかなきゃ。
『存在の耐えられない軽さ』も、本のあちこちに挟んだ付箋に書き込みながら読んでいるので、読み終わったら、こいつもPCに打ち込まなきゃ
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打ち込む?
打ち込むって、なんだか、ヨイ言葉だなぁ?
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本日も打ち込みましょう!
