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今日は、イヅボーの誕生日。17歳。『フラニー』は読み終わったようだ。なぜだかわからないが、僕は、イヅボーのことがとても好きだ。赤いダウンが似合うね。

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誕生日は一生に一度しかない。その後の同月同日は、リボーン(再生)の日、と僕は思っている。一年に一度生まれ変わる。

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朝風呂では、ティム・オブライエンのヴェトナム戦争に関する暗く真摯なエッセイ。
ぐったりした。
彼の小説は一冊しか読んだことがない。それもずいぶん前。
アメリカ人は自分の国の呼び方で人に名前をつけるのが好きだ。というか、呼べる呼び方に変えたいのか。その昔、ケヴィンに、英語名を自分で考えてと言われ、サイトウ君は、ティム、と名乗った。瞬間、ティム・オブライエンのことがアタマに浮かんだのを覚えている。

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ケヴィンが連れてきたアメリカ人の友人が飲み屋で酔って、「ホールデンは僕だ!」ってなことを言っていたな。サリンジャーのライ麦畑の主人公。そのケヴィンの友人は、最近読んだ最高の小説は、アーヴィングの"A Prayer for Owen Meany"(1989)だって言ってた、いや、叫んでたな。ニホンゴの題名は、『オウエンのために祈りを』。
もう20年前くらいの話になるのか・・・

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ケヴィンはその後、リヒテンシュタイン公国に留学。
かの地から絵葉書が届く。僕、Bobの元に・・・

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ジンセイには死なないための仕組みがイロイロと必要だ。
生きるための仕組みが死なないための仕組みを全て包含してくれればヨイのだが。
いや、このふたつのことを僕は理解しているのか?

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誕生日のお祝いも仕組み。
アイなんぞは?
生きるための仕組み?死なないための仕組み?

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生きやすくするための仕組み?
死ににくくするための仕組み?

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はい!ここで大きなシンバルの音!