narators who can't be trused 、「信頼できない語り手」、だって。一人称の語り。
一人称の語りは、その語り手に依存してしまうので、語り手次第、ということか。
リアルの世界では、語られる対象は、自分で確かめることができなくもない。
だが、虚構の物語り世界、一人称で語られる物語り世界では、語り手を通してしか、対象に近づけない。
アメリカの、南部の、小説家、T.R.ピアソン(Peason)のインタビューを読み直していたら、出てきたのが、冒頭の英語の言葉。出てきたというか、以前読んだ時にチェックをしていたので、目がいった。
アメリカで、南部、か。フォークナー、オコナー。
年が明けたら、ピアソンの『甘美なる来生へ』(”Off for the Sweet Hereafter”を読んでみよう。翻訳、この作品しかないかなあ。
『甘美なる来生へ』は、一人称複数の語り手なんだって。
”Blue Ridge”では、一人称の語り手がひとりに、二人称の語り手がひとり、ふたつの視座から語られるらしい。
??
ああ、いったい、なんの話を書こうと思っていたのだっけ?
途中でやめよう。
どうせ、白昼夢だし・・・
なんか、ブロンズのつ小さな壺が出てきた。
今宵、ひとりで飲みたい。
いつも?
いつものように、ひとりで飲みたい・・・
甘美なる酔狂へ・・・
