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    - 秋の悲歎 -

 

 私は透明な秋の薄暮の中に墜ちる。戦慄は去つた。道路のあらゆる直線が甦る。あれらのこんもりとした貪婪な樹々さへも闇を招いてはゐない。

私はたゞ微かに煙を擧げる私のパイプによつてのみ生きる。あの、ほつそりとした白陶土製のかの女の頸に、私は千の靜かな接吻をも惜しみはしない。~(略)~

 私は炊煙の立ち騰る都會を夢みはしない----土瀝青(チヤン)色の疲れた空に炊煙の立ち騰る都會などを。~(略)~黒猫と共に坐る殘虐が常に私の習ひであつた......

 夕暮、私は立ち去つたかの女の殘像と友である。~(略)~
私はあまりに硬い、あまりに透明な秋の空氣を憎まうか?

 繁みの中に坐らう。枝々の鋭角の黒みから生れ出る、かの「虚無」の性相(フイジオグノミー)をさへ點檢しないで濟む怖ろしい怠惰が、今私には許されてある。今は降り行くべき時だ----金屬や蜘蛛の巣や瞳孔の榮える、あらゆる悲慘の市(いち)にまで。私には舵は要らない。街燈に薄光るあの枯芝生の堅い斜面に身を委せよう。それといつも變らぬ角度を保つ、錫箔のやうな池の水面を愛しよう......私は私自身を救助しよう。

 


 



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    - 盲目の秋 -

       I

風が立ち、浪が騒ぎ、
  無限の前に腕を振る。

その間〈かん〉、小さな紅〈くれなゐ〉の花が見えはするが、
  それもやがては潰れてしまふ。

風が立ち、浪が騒ぎ、
  無限のまへに腕を振る。

もう永遠に帰らないことを思つて
  酷薄な嘆息するのも幾たびであらう……

私の青春はもはや堅い血管となり、
  その中を曼珠沙華〈ひがんばな〉と夕陽とがゆきすぎる。

それはしづかで、きらびやかで、なみなみと湛〈(たた)〉へ、
  去りゆく女が最後にくれる笑〈ゑま〉ひのやうに、

厳〈おごそ〉かで、ゆたかで、それでゐて佗〈(わび)〉しく
  異様で、温かで、きらめいて胸に残る……

      あゝ、胸に残る……

風が立ち、浪が騒ぎ、
  無限のまへに腕を振る。



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【参考】全文が知りたい方はこちらのsiteで・・・


 富永太郎 「富永太郎についてのページ

      『秋の悲嘆』のページ

 中原中也 「中原中也記念館 」 

      『盲目の秋』のページ