罪悪感にもいろいろな種類があると思うけれど、
私の中でとても大きかった罪悪感の一つは、「食べてしまうこと」だった。
私は長い間、過食の症状にすごく悩まされてきた。
「よし、今日はもう食べないぞ。ちゃんとコントロールするぞ」
そう思って一日をスタートする。
でも、ちょっと一口多く食べてしまったり、
おかわりをしてしまった瞬間から、
そこからどんどん止まらなくなる。
まるで獣に取り憑かれたかのように、
自分を失った感覚で、一気に食べ続けてしまう。
不思議なことに、食べている最中はあまり罪悪感はない。
ただ、何かに突き動かされているような感覚。
そして食べ終わった後に、
ガーンと一気に落ちる。
強烈な罪悪感が押し寄せてくる。
そんなパターンを、何度も繰り返してきた。
そこから抜けるきっかけはいくつもあったけれど、
その一つが、イタリア人との出会いだった。
(これは別の投稿にも書いた)
人生のほとんどすべてのことは、
一瞬でガラッと変わったように見える出来事であっても、
実はその前に、たくさんの段階や積み重ねがある。
摂食障害も、まさにそうだったと思う。
人生に波があるように、摂食障害にも波がある。
治ったと思っても、またぶり返すこともある。
「もう完治したな」と思えたのは、
スウェーデンに移住すると決めたときだった。
新しい世界。
新しい人。
新しい場所。
興奮して、キラキラして、
まるでハネムーン期間のような時間。
でも、その期間が終わると、現実がやってくる。
仕事はどうする?
レジュメをいくら送っても返事は来ない。
そもそも、自分に自信がなかった。
そんな中で、家に一人でいて、
昼ごはんを食べたあと、
そこから過食が止まらなくなる。
そんなこともあった。
程度の差はあれど、
私はずっと「食べること」で、
安心感や自己コントロール感を得て、
自分を守ってきたんだと思う。
不安定で、未知の世界。
どうなるかわからないという
不確実性への不安。
でも、本当の意味で摂食障害を超えられたのは、
「自己受容」をしたときだった。
この罪悪感と、どう向き合うのか。
罪悪感について、小田桐 あさぎさんはこう言っていた。
「罪悪感というのは、本当はやりたいことがあるけれど、
社会的なエクスペクテーションや価値観との摩擦で生まれるもの」だと。
だから、
「本当はやりたいなら、やらせてあげなさい」。
その言葉を聞いたとき、
どこか腑に落ちるものがあった。
こんなにも罪悪感を感じるということは、
本当は、やりたいんだ。
じゃあ、やらせてあげよう。
そう思えたことで、
自分の中に「許し」が生まれた。
そして、
「これをしたら、きっと何かとんでもなく悪いことが起きる」
と頭の中で想像していたことが、
実際には起こらなかった。
あれ?
案外、大丈夫だった。
そんな体験を、何度も重ねていった。
だから私は、
罪悪感に押しつぶされる必要はないと思っている。
罪悪感に気づいたときは、
「今、罪悪感があるな」とただ認識する。
そして、
「これは本当は自分がやりたいことなんだな」
と気づくヒントにしてほしい。
やるか、やらないかは、後で決めればいい。
でもまずは、
「やりたい」という気持ちを尊重してあげる。
そして、一度やらせてあげる。
そして、やってみて、感じてみる。
頭で理解するだけでは、何も変わらない。
体感して、体験して、
腑に落としていく。
それこそが、
人生を創造するということ。
自分で人生の舵を取るということ。
そして、自分の足で人生を進んでいくということなんだと思う。