脳幹出血では多くの人が亡くなっています。有名人も然り。
なぜかというと「生命維持活動」に必要な神経核や繊維が集まっているからです。たとえずれて生き延びても後遺障害は醜いものです。そして程度は軽傷から重傷までいろいろあります。
片麻痺と簡単に人は言いますが、片足がマヒで動けないのはいいが、片手であることは結構きついです。
裏を返せば、それだけ手の巧緻運動はすごいということです。神経学的にも頚髄ほとんどから腕神経叢として出て、複雑に繊維が絡み合ってできています。
普段何気なく使っている手ですが、大変精巧なものです。いまさらながら数多くの合併症をかかえて、気づくのは「手」の麻痺です。片麻痺である以上歩けないのは納得します。しかし手の動きは予想以上に複雑かつ重要です。発作以来左手はブランとぶら下がっているだけ。
それに比べると他の神経は単純ともいえます。さらに体幹麻痺は結構面倒です。普段全く意識しない体幹ですが(スポーツ選手がインナーマッスルを意識するくらい)生活のいろいろな場面で使用するものなのですね。
最近に味が変わってきたと言いましたね。それがどうも2日ほど前に良い方向で、収まったらしい。そのせいか幾つかの食材はそうでないが、久しぶりに料理の食材感と、のど越しの感覚が戻ってきたようだ。口の中と咽頭あたりの感覚が戻ってきた。
このように脳出血後12年と11か月でも、変わりうるということを身をもって示すことができた。
従来の判断(神経学的に6か月経てばもう変わらない)とは随分と異なります。そうであっても皆さん決してあきらめないように。物事は何でもあきらめた時が最後であります。不断の努力こそが大切です。
思えば初めて家に帰ってきたときには、オムツに胃ろうで、なおかつ味はこんなものだと思っていた。オムツも胃ろうも今はない。しかしとても長時間外出は無理だろうと思っていた。それがここまで回復するとは。
最近思うのですが、もうベッドとテーブルの間だけの生活も疲れてきました。長期の変化を伝えるために、今まで頑張ってきましたが、もう良いですか。
前にも言いましたが、よく外(電車の中やレストラン)では健常者は家内など介護者ばかりに話をします。障碍者の意見を聴くなどはめったにありません。
先日聞いたのですが、近しい人が「もう人間としては終わっている人だ」と。はっきり言って、満足にコミュニケーションも取れない障碍者には、人権などはないのでしょう。勿論内容によるでしょうけれども。