モーニング娘。 画像掲示板
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モーニング娘。 画像掲示板

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

女性歌手グループ、女性アイドルグループである。略称はモー娘。ハロー!プロジェクトの一員。

主なメンバー
高橋愛(たかはし あい、1986年9月14日 - ) - 5期、リーダー 新垣里沙(にいがき りさ、1988年10月20日 - ) - 5期、サブリーダー 亀井絵里(かめい えり、1988年12月23日 - ) - 6期 道重さゆみ(みちしげ さゆみ、1989年7月13日 - ) - 6期 田中れいな(たなか れいな、1989年11月11日 - ) - 6期 久住小春(くすみ こはる、1992年7月15日 - ) - 7期 光井愛佳(みつい あいか、1993年1月12日 - ) - 8期 ジュンジュン(ジュンジュン、1988年2月11日 - ) - 8期、留学生 リンリン(リンリン、1991年3月11日 - ) - 8期、留学生
モーニング娘。 卒業および脱退メンバー
モーニング娘。
この発表は公式サイトでの発表やマスメディアを通じて行い、コンサートでの最終公演日程などを前々からファンに伝えている。
福田・石黒・市井はために卒業したため、卒業とハロー!プロジェクトも卒業しているが(石黒と市井は後に芸能活動を再開した〈市井はその後引退〉)、中澤以降に卒業(脱退)したメンバーは基本的にはソロまたはグループとしてそのままハロー!プロジェクトに在籍して芸能活動を継続している。
紺野は学業専念を理由に卒業と同時にハロー!プロジェクトからも卒業し芸能界から引退した(その後復帰し芸能活動を再開している)。後藤は卒業後もハロー!プロジェクトのメンバーとして活動していたが、2007年10月に弟の祐樹が窃盗などの事件を起こしたことをきっかけにメンバーに迷惑をかけることや活動の方向性の違いを理由としてハロー!プロジェクトから脱退した(現在は、エイベックスに所属し、歌手業に専念している。)。小川は卒業後芸能活動を休止して海外留学を行っていたが、その間もハロー!プロジェクトに籍を置いていた(現在は芸能活動を再開している)。
卒業(脱退)の発表は、後藤以前は1~2か月程前の発表だったが、後藤と同時に卒業が発表された保田以降は、緊急脱退となった矢口と藤本を除き、卒業の半年~1年前になった。
紺野・小川・吉澤は3~4か月前と、慣例よりは短くなった。これまで卒業の発表も卒業自体も同時に行ったのは、卒業後にユニットを組んで活動することが予定されていた辻と加護のみであるが、それ以外にも、時期を別にして卒業する複数のメンバーの卒業が同時に発表されることがある(後藤真希と保田圭、飯田圭織と石川梨華、紺野あさ美と小川麻琴)。
浮揚、注目度のアップ、ひいては結束を強固にしてきた。本来は「モーニング娘。は早く卒業することを目標とすべき枠である方が良い」という自立的意味合いを持った「卒業」であるが、籍をハロー!プロジェクトに残し、現役モーニング娘。共演も卒業メンバーがまとまって「モーニング娘。OG チーム」としてクイズ番組に出演するなど元モーニング娘。紺野と語学留学していた小川を除き、中澤以降の卒業はハロー!プロジェクト内での「定期人事異動」的色彩が濃いというある。卒業(脱退)した後もほとんどのメンバーは「ハロー!プロジェクト・エルダークラブ」に残っていたが、2008年10月19日、2009年3月31日をもって、「エルダークラブ」に所属するメンバー全員の卒業が発表され、モーニング娘。
OG関係では、中澤裕子、飯田圭織、安倍なつみ、保田圭、矢口真里、石川梨華、吉澤ひとみ、辻希美、藤本美貴、紺野あさ美及び小川麻琴が、卒業することとなった。名前 発表日 卒業年齢 加入期 ハロプロへの在籍状況卒業・脱退日 卒業興行の開催地福田明日香 1999年1月17日 14歳 1期 卒業とハロプロからも卒業1999年4月18日 東京厚生年金会館
石黒彩 1999年12月5日 21歳 1期 卒業とハロプロからも卒業(後に他事務所で活動再開)2000年1月7日 大阪厚生年金会館
市井紗耶香 2000年5月7日 16歳 2期 卒業とハロプロからも卒業2000年5月21日 日本武道館
中澤裕子 2001年3月7日 27歳 1期 ソロとしてハロプロに在籍
2009年3月31日ハロプロから卒業予定2001年4月15日 大阪城ホール
後藤真希 2002年7月31日 17歳 3期

ソロとしてハロプロに在籍2007年10月28日にハロプロから卒業2008年6月に事務所を移籍2002年9月23日 横浜アリーナ
保田圭 2002年7月31日 22歳 2期 ソロとしてハロプロに在籍
2009年3月31日ハロプロから卒業予定2003年5月5日 さいたまスーパーアリーナ安倍なつみ 2003年7月27日 22歳 1期 ソロとしてハロプロに在籍
2009年3月31日ハロプロから卒業予定2004年1月25日 横浜アリーナ
辻希美 2004年1月3日 17歳 4期

加護と共に卒業ユニットとしてハロプロに在籍2007年3月に加護の契約解除に伴いソロに移行(2007年5月から妊娠・出産に伴い活動休止中)2009年3月31日ハロプロから卒業予定2004年8月1日 代々木第一体育館
加護亜依 2004年1月3日 16歳 4期

辻と共に卒業・同日に複数メンバーがユニットとしてハロプロに在籍2007年3月に契約解除により脱退(2008年4月に芸能界に復帰、事務所はアップフロントグループ関係ではない)2004年8月1日 代々木第一体育館
飯田圭織 2004年5月23日 23歳 1期 ソロとしてハロプロに在籍(2007年9月から妊娠・出産に伴い活動休止中)
2009年3月31日ハロプロから卒業予定2005年1月30日 横浜アリーナ
矢口真里 2005年4月14日 22歳 2期 ソロとしてハロプロに在籍
2009年3月31日ハロプロから卒業予定2005年4月14日 なし
石川梨華 2004年5月23日 20歳 4期 ユニットとしてハロプロに在籍
2008年7月より解散に伴いソロに移行2009年3月31日ハロプロから卒業予定2005年5月7日 日本武道館
紺野あさ美 2006年4月28日 19歳 5期

学業専念のため卒業とハロプロからも卒業2007年7月15日にソロとしてハロプロに復帰・在籍2009年3月31日ハロプロから卒業予定2006年7月23日 代々木第一体育館
小川麻琴 2006年4月28日 18歳 5期

卒業後、語学留学のため一時活動休止(ハロプロには在籍のまま)2008年6月にソロとして活動再開・在籍2009年3月31日ハロプロから卒業予定2006年8月27日 新宿コマ劇場
吉澤ひとみ 2007年1月2日 22歳 4期 ソロとしてハロプロに在籍
2009年3月31日ハロプロから卒業予定2007年5月6日 さいたまスーパーアリーナ藤本美貴 2007年6月1日 22歳 6期 ソロとしてハロプロに在籍
2009年3月31日ハロプロから卒業予定2007年6月1日 なし

※卒業・脱退した日付順で表示されている。

矢口のモーニング娘。
ステージは、2005年4月10日の大阪厚生年金会館公演だった。 藤本のモーニング娘。
ステージは、2007年5月6日のさいたまスーパーアリーナ公演だった。
これ以外にも、2005年4月14日の矢口の場合は、公式サイトには「モーニング娘。を辞し、ソロ活動を行う」という表現がなされている(ただし、テレビ番組やスポーツ新聞などマスコミによっては「卒業」と扱われることもある。)。これにより、矢口自身も卒業とも脱退とも言わず「モーニング娘。を辞めた」といった表現をとっていることがある。藤本も交際が「FRIDAY」にて報道されたことを理由に2007年6月1日付で脱退した。「卒業」という表現自体は最初にグループを時から本人による呼び掛けのメッセージの中などで使用されており、1999年に出版された自伝「もうひとりの明日香」に収録された年表には「モーニング娘。を卒業、芸能界を引退」と表記されている。
年表では、矢口と藤本のみが「脱退」、その他のメンバーが「卒業」 2008年4月25日放送の「音楽戦士 MUSIC FIGHTER」(日本テレビ系)で紹介された福田から市井までと矢口・藤本が「脱退」、その他のメンバーが「卒業」
と使い分けられている。
記載順序
公式本やコンサートのパンフレットなどの公式出版物や公式サイトなどでは、同じ者は生年月日順で記載している。
この順序が使用されることが多い。リーダーやサブリーダーについては過去にこの順序を適用した場合に先頭や2番目にならない時期があったが、そのような場合には順番を変更してリーダーとサブリーダーがそれぞれ先頭や2番目になるように記載する場合もあった。卒業したメンバーの名前を並べる時にはこの順序が使用されている場合と卒業・脱退の時期が早い順番で並べられている場合とがある、また、在籍期間などを比較するためのメンバーの変遷表などでは、在籍しているかどうかに関係なく、全員を上記の順序で並べられていることがある。
組といった派生ユニット内で名前を並べる時も、通常はこの順序である。
モーニング娘。 歴代リーダー
歴代 名前 期間
初代 中澤裕子 結成~2001年4月15日
2代目 飯田圭織 2001年4月16日~2005年1月30日
3代目 矢口真里 2005年1月31日~4月14日
4代目 吉澤ひとみ 2005年4月15日~2007年5月6日5代目 藤本美貴 2007年5月7日~6月1日
6代目 高橋愛 2007年6月2日~

モーニング娘。 備考

初代リーダーは、5万枚手売りを達成してメジャーデビューが決まってから決定した。
飯田が「リーダーをやりたい」と発言していたが、結局中澤に決定した。
モーニング娘。 歴代サブリーダー

2001年4月16日に飯田が第2代リーダーに就任するのに創設された。
初代に保田が就任した。保田が初代であるのかどうかについては明らかにはされていなかったが、2007年11月に行われた「Yahoo!ライブトーク」では保田が「初代サブリーダーである。」とされている。歴代 名前 期間
初代 保田圭 2001年4月16日~2003年5月5日
2代目 矢口真里 2003年5月6日※~2005年1月30日
3代目 吉澤ひとみ 2005年1月31日~4月14日4代目 藤本美貴 2005年4月15日※~2007年5月6日
5代目 高橋愛 2007年5月7日~6月1日
6代目 新垣里沙 2007年6月2日~

モーニング娘。 備考

矢口と藤本の就任日については、上表では前任者が退任した日の翌日を就任日としているが、保田・吉澤・高橋については就任前に、また新垣については就任と同時にサブリーダーに就任する旨の発表があったのに対して、矢口と藤本の場合は就任時点で発表されず、ある程度の期間が経過してからテレビ番組(矢口:「ハロー!モーニング。」2003年8月3日放送分、藤本:「音楽戦士 MUSIC FIGHTER」2005年7月15日放送分)でのトーク中に自らその時点でサブリーダーである旨が語られただけであるため、就任した日時が正確でない(空席の期間がある)可能性がある。
当初はモーニング娘。中澤のグループ脱退に伴い、それを引き継ぐ飯田への不安視が創設の背景にあると思われた。2001年3月7日の中澤脱退発表時は飯田・安倍・保田・矢口による集団指導体制になるという発表もされていた。飯田のリーダー就任が中澤卒業直後の翌4月16日に記者会見にて発表されたこと、サブリーダーに初期メンバー安倍が就任しなかったことなどを踏まえると、後任人事選考にあたってメンバー内で保田を処遇するための「名誉職」として創設されたとも考えられる。矢口以降は現在サブリーダーの新垣を除いて全てリーダーに就任しているため実質的に「サブリーダー=次期リーダー(候補)」となっている。 保田就任以前(中澤リーダー時代)は、サブリーダーという役職は公表されていない。
石黒在籍時は彼女が中澤に次ぐ年長者でポジション的にもNo.2と見なされることはあったが、サブリーダーであるとはていなかった。
12歳差、4期加入時に約15歳差と最大で、最小は約5歳差である。期間に20代とメンバーが在籍しており、中学生メンバーが在籍していないのは1999年4月~8月、2005年4月、2008年4月以降のみである。2008年12月23日時点の平均年齢は18.66歳である。
モーニング娘。 推移年表
日時 メンバー 増減 人数 平均年齢
1997年9月7日結成 【1期】中澤裕子・石黒彩・飯田圭織・安倍な・福田明日香 - 5人 17.401998年5月3日 【2期】保田圭・矢口真里・市井紗耶香加入 +3 8人 16.751999年4月18日 福田明日香脱退 -1 7人 18.29
1999年8月22日 【3期】後藤真希加入 +1 8人 18.002000年1月7日 石黒彩脱退 -1 7人 18.14
2000年4月16日 【4期】石川梨華・吉澤ひと・辻希美・加護亜依加入 +4 11人 16.552000年5月21日 市井紗耶香脱退 -1 10人 16.60
2001年4月15日 中澤裕子卒業 -1 9人 16.56
2001年8月26日 【5期】高橋愛・紺野あさ美・小川麻琴・新垣里沙加入 +4 13人 15.772002年9月23日 後藤真希卒業 -1 12人 16.92
2003年1月19日 【6期】藤本美貴・亀井絵里・道重さゆみ・田中れいな加入 +4 16人 16.562003年5月5日 保田圭卒業 -1 15人 16.47
2004年1月25日 安倍な卒業 -1 14人 16.862004年8月1日 加護亜依・辻希美卒業 -2 12人 17.42
2005年1月30日 飯田圭織卒業 -1 11人 17.64
2005年4月14日 矢口真里がモーニング娘。
を辞し、ソロ活動 -1 10人 17.402005年5月1日 【7期】久住小春加入 +1 11人 16.912005年5月7日 石川梨華卒業 -1 10人 16.70
2006年7月23日 紺野あさ美卒業 -1 9人 17.78
2006年8月27日 小川麻琴卒業 -1 8人 17.75
2006年12月10日 【8期】光井愛佳加入 +1 9人 17.782007年3月15日 【8期】(留学生)ジュンジュン・リンリン加入 +2 11人 17.822007年5月6日 吉澤ひとみ卒業 -1 10人 17.502007年6月1日 藤本美貴がモーニング娘。
を辞し、ソロ活動 -1 9人 17.00

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「モーニング娘。の結成日」として解釈しうる日が複数あるためであると考えられる。「モーニング娘。の結成日」として解釈しうる日としては、
1997年8月20日 - グループの結成について実際にメンバーに対する意思確認が行われた日
「モーニング娘。5+3-1」(宝島社)ではこの時を「モーニング娘。誕生の瞬間」としている。

1997年9月7日 - グループの結成が発表された日(8月20日収録分の「ASAYAN」放送日)
公式サイトや公式資料ではこの日をモーニング娘。

1997年9月8日 - プロデューサーのつんく♂が「モーニング娘」を発案した日(「。」はまだない) 1997年9月14日 - モーニング娘。
というグループ名が決定したことが公表された日(「ASAYAN」放送日) 1997年11月3日 - 5万枚手売り初日(インディーズデビューの日) 1997年11月30日 - 5万枚手売りを達成し、メジャーデビューが決まった日
「モーニング娘。×つんく♂」(ソニー・マガジンズ)では結成時のメンバーの在籍期間をこの日からにしている。

1998年1月28日 - メジャーデビューの日
などがある。
つんく♂がモーニング娘。誕生10年記念隊に寄せたコメントでは「モーニング娘。は1997年の9月8日に、お台場はフジテレビのとある楽屋で、僕が命名したときに魂が入った。」という記述と「2007年11月3日の10歳のお誕生日」(つまり結成日は1997年11月3日)という記述の両方がある。サイトや資料やマスコミなどでは、インディーズデビューの日やメジャーデビューの日をモーニング娘。日としているものが多い。
モーニング娘。 追加メンバーの加入日について
追加メンバーの加入日についても、しばしば公式資料やマスコミ報道などで異なった日付が書かれていることがある。
結成日と同様に「加入日」と解釈しうる日があるためである。
「加入日」として解釈しうる日としては、
1. 加入が実際に決まった日 2. 加入が本人に伝達された日 3. 加入が公表された日(合格が発表された番組の放送日) 4. 初合流したコンサートなどの日 5. 初参加したCDの発売日
といった日がある。
このうち1.と2.については公表されないことが多いため、通常は3.以降のいずれかの日が加入日とされている。加入が公表された日を加入日としていることが多い。加入が後になればなる程合格発表から合流までの期間が長くなる傾向にある。コンサートに出演した時に覚える必要の曲が多くなるなどの事情がためだと考えられる。合格発表からコンサートツアーに本格的に合流するまでの間に「お披露目」的に本格合流する以前のコンサート(1つ前のツアーの最終公演など)に挨拶だけ、あるいは1曲だけ参加することが行われることがある。6期メンバー以降はその間にファンクラブの会員を対象に握手会を行っている。
ため、新メンバーが加入した日より後にリリースされたCDや写真集に新メンバーが参加していないと言うことが起きる。
中でも、2001年10月13日放送の「めちゃ^(2)イケてるッ!」(フジテレビ系)内のコーナー「私立岡村女子高等学校。」の修学旅行企画では5期メンバーが参加しておらず、また2003年4月5日放送の同番組の期末テスト企画では6期メンバーが参加していないのも、テレビ出演よりためだと思われる。期 公表日 お披露目日 コンサート正式合流日 初参加CD発売日
2 1998年5月3日 - 1998年7月12日※1 1998年5月27日
3 1999年8月22日 1999年8月23日 1999年9月19日 1999年9月9日
4 2000年4月16日 - 2000年5月20日 2000年5月17日
5 2001年8月26日 - 2001年10月21日※2 2001年10月31日
6(藤本) 2003年1月7日 2003年5月5日 2003年5月31日※3 2003年7月30日6(藤本以外) 2003年1月19日 2003年5月5日 2003年7月19日 2003年7月30日7 2005年5月1日 2005年5月6日 2005年7月10日 2005年7月27日
8 2006年12月10日 2007年1月27日 2007年3月17日 2007年2月14日
8(留学生) 2007年3月15日 2007年5月6日 2007年7月15日 2007年7月25日
※1:モーニング娘。
日であり、初期メンバーにため、厳密には「この日から合流した」という表現はおかしいとも言える。※2:紺野あさ美のみTV番組収録中の怪我(うたばん事故)のためこの日は挨拶のみ。
曲に合流したのは2001年11月3日からである。※3:ミュージカル「江戸っ娘。忠臣蔵」初日。
合流は6期メンバーと同じ2003年7月19日からである。
モーニング娘。 加入・脱退(卒業)を繰り返すグループ編成
「モーニング娘。は、加入と脱退(卒業)を繰り返しながら進化していくグループである。」と公式に表明されている。
このメンバーチェンジを繰り返しながらグループを存続させていく方法は、メンバーが脱退しても解散しないグループとして、プエルトリコのアイドルグループメヌードを結成に深く関わったという福田一郎(故人)が提案し、グループ編成されたということが公式に発表されている。1997年~1999 年頃に出演していたテレビ番組内での状況、そして番組内でのつんく♂やメンバーの発言、コンサートのMCとの矛盾点もあり、1997年の結成当時から加入と脱退(卒業)を繰り返すシステムを考えていたかどうか、もしくはそのシステムが結成当時から確立していたかどうかは不明な点が多い。
後につんくは♂「モーニング娘。はその年(1998年)の紅白に出て解散する予定だった。」と語っていること(「モーニング娘。×つんく♂」でのインタビューなど)。
時、メンバーの追加・脱退がないまま即解散の可能性があったこと(詳細は後述のモーニング娘。#歴史参照)。
候補に第1期メンバーの属性から連想された名前が挙がってこと。
メンバーの入れ替えを前提としているならばそのような名前は候補として挙がることはない(詳細は後述のモーニング娘。#グループ名の由来参照)。
オーディションや活動をドキュメンタリー風にテレビ番組「ASAYAN」において福田一郎が上記の提案を行ったシーンが放送されなかったこと(詳細は後述のモーニング娘。#歴史参照)。新メンバーの加入が発表された時、メンバーはおり、その時の衝撃が大きかったことは数年後にメンバー自身によって語られていること。
加入・脱退が実際に行われた後でもメンバーは加入・脱退を一度だけのものと思っていた節の発言があり、事務所やスタッフから繰り返されるグループであるという説明を受けていない点(福田明日香脱退発表後に出演した1999年3月23日放送の「とくばん」〈TBS系〉で司会の石橋貴明からのメンバー補充を行うのかとの問いに、中澤裕子は「行わないのではないか」、安倍なつみは「増えないと思います」と答えていたこと。)。
このことが福田一郎の告別式(偲ぶ会)の会場にて発表され、発表が遅れたこと。
件に関して、田中義剛がブログにおいてブレイク秘話と一緒にエピソードとして指示によってメヌードを参考としてグループを結成したという経緯が掲載されており、さらに「ASAYAN」はモーニング娘。
実際に当時放送された内容とメンバー達が実際に経験したことが異なることは1999年に出版された同番組の公式本とされる「モーニング娘。5+3-1」の中で明らかにされている。福田一郎は音楽評論家であり、物書きを本職としているため、タレントとは露出も当然少なく、山崎ら事務所上層部の出演も一切なかったように同番組に出演していたのはプロジェクトに関わったすべての人間では一部であることは間違いない。福田一郎が同番組に出演していなかったという理由だけで関係性を否定することはできない。メジャーデビューのわずか3か月後に2期として新メンバーを追加で加入させている事実を考えるとこの時点でメンバーの増加を考えたグループ編成であったのではと推測できる。福田一郎の告別式(偲ぶ会)と厳正された場所であったことで信憑性が高いことや故人の前で卒業&現役メンバー全員で「LOVEマシーン」を披露していること、中澤裕子が語った秘話など、福田一郎が本グループと深く関わりがあったことは間違いない。予想外に脱退したメンバー(福田明日香・石黒彩・市井紗耶香)を補充する名目で同番組に影響は大きい。追加メンバーオーディションを行うことで『夢のオーディション・バラエティ』を標榜していた継続的な出演が可能になったことが活動に有利に働いたと言える。比較
公式的な関連性を指摘されているものとして、メンバーチェンジを繰り返しながら存続するグループという点で、宝塚歌劇団(以下、宝塚)との類似性が挙げられる。
芸能界においてメンバーチェンジを繰り返しながら優れたエンターテインメントを提供し、スターを輩出し続ける集団として宝塚は鉄壁の地位を誇っており、同じ女性の集団という共通点もあるためとされる。2003年4月に放送された「エンタの神様」(日本テレビ系)の中でモーニング娘。と宝塚が一緒になって「Mr.Moonlight~愛のビッグバンド~」を歌うという共演を行った際につんく♂や振付師である夏まゆみが曲作りや振り付けで宝塚を意識した部分がことを語っている。同番組ではモーニング娘。段差のステージでのパフォーマンスは元々宝塚が大階段という形で行ってものであるとも語られていた。グループに入って来る人間をその時期によって分けるやり方やグループを複数のさくら組やおとめ組などの「組」に分けて活動させるやり方も宝塚と共通している。宝塚の退団はため、そのような部分も共通する。2006年8月にモーニング娘。ハロー!プロジェクトが宝塚と組んでミュージカル「リボンの騎士」を上演した際もミュージカルの構成を担当した宝塚の演出家木村信司が「モーニング娘。と宝塚は似た雰囲気を持っている」とコメントしている。2008年8月にも同じスタイルでミュージカル「シンデレラ」が上演された。結成から「ザ☆ピ~ス!」のヒットあたりまでは宝塚との類似性について語られることはなかった。
下記に挙げるように、「期」や「組」は2002年以降に見られる。第2期メンバーや1999年9月加入の後藤真希(第 3期メンバー)は単に「新メンバー」または「追加メンバー」と呼ばれていただけであり、第4期メンバーは「第3次追加メンバー」と呼ばれ、2001年8月追加の第5期メンバーも追加された当時は「新メンバー」と呼ばれていた「期」と呼ばれるのは第6期からであり、その時点から遡って1期~5期と呼ばれるようになった。
グループ(ユニット)に分けての活動も、メジャーデビューと「ミニモニ。」が続いた。
安倍なつみはユニットには所属せず、矢口真里と加護亜依はユニットを掛け持ちし、中澤裕子はソロでも活動させるなど、全員を均等にグループ分けしているものではなかった。
均等にグループを「組」と分けて活動すると発表したのは2003年1月28日からである。
アイドルグループなどとの比較
宝塚と比較される以前からモーニング娘。
比較対象として幾つかのアイドルグループが持ち上がっていた。「モーニング娘。×つんく♂」などでグループとの比較がなされている。
ハロー!プロジェクトは、活動状況やグループ展開などの戦略的売り込み方法など共通点が多々あるため、女性版ジャニーズと捉えられることが多い。モーニング娘。 画像掲示板その中でもSMAPはモーニング娘。比較されることが多かった。 相違点としては、SMAPはオートレース選手への転向に伴う脱退後もメンバーを補充しなかったこと、グループに属したままでのソロ活動が頻繁であることが挙げられる。

オスカープロモーション(上戸彩、美少女クラブ31)
芸能プロダクションのオスカープロモーション所属タレントによるユニット、美少女クラブ31とも比較されることがあった。
全日本国民的美少女コンテスト出身者などで構成された「美少女クラブ21」が結成された。
グループ結成の記者会見席上においてオスカー側の関係者が質疑応答で「将来はモーニング娘。のようなグループを目指し、グループ作りをして行きたい」と発言していることや「森田クラブ」「ティーンエイジクラブ」「D.D.D」などのグループ内ユニット展開の他、活動展開は明らかにモーニング娘。オスカープロモーションがモーニング娘。共通性が比較対照とされる要因である。
と美少女クラブの相違点は、グループとしての活動よりもソロでの活動割合が多い、歌手活動を重視で活動するモーニング娘。に対し、グラビア重視で活動しているという活動状況である。 美少女クラブと同様に、同じ国民的美少女コンテスト出身の上戸彩とも頻繁に比較されることがある。

おニャン子クラブ
1985年~1987年に活動していた女性アイドルグループ、「おニャン子クラブ」(以下、おニャン子)がある。
おニャン子からの国生さゆり・城之内早苗・岩井由紀子・吉沢秋絵・河合その子・新田恵利・高井麻巳子などのソロデビュー、「うしろゆびさされ組」「ニャンギラス」「うしろ髪ひかれ隊」などのグループ内ユニット展開が共通点である(おニャン子のグループ内ユニット展開は、宝塚の影響ではなく、モデルにした「オールナイターズ」からの流れである。)。
相違点としては、おニャン子は番組企画のテレビ局主導グループで番組のアシスタント的役割であったのに対し、モーニング娘。
出身がオーディション番組とバラエティ番組の違い(最初から歌手デビューを目指して番組に参加したモーニング娘。とバラエティ番組のアシスタント的立場から始まったおニャン子の目的意識の違い)、パフォーマンスクオリティの違い(つんく♂とおニャン子の仕掛け人の1人である秋元康の2人で行われた対談で、秋元はおニャン子は女子校の放課後をイメージさせた素人の延長線上の素人集団だったが、モーニング娘。は歌唱力、ダンス、仕事に対する意識など完成されたプロの集団であると語った。)などが挙げられる。 2000年~2001年頃までおニャン子と比較されることもあったが、第5期メンバーが加入した頃になると比較されなくなった。
おニャン子と同様に秋元がプロデュースするグループで、素人性を売りにしていることなどで、平成のおニャン子と言われる「AKB48」とも夏まゆみが関係していることなどで一部で比較されることがある。

野猿

「サマーナイトタウン」や「抱いてHOLD ON ME!」がヒットしていた1998年~1999年頃は、「うたばん」で野猿vsモーニング娘。
番組の企画でメンバーの入れ替えが行われたり、中澤裕子のOL出身という経歴と野猿の番組スタッフ出身という、一般人から芸能人へ転身したところが似ていると石橋貴明が発言していたりと、番組内で野猿と比較されることもあった。 相違点としては、野猿は男性グループであること、「とんねるずのみなさんのおかげでした」(フジテレビ系)で企画された番組企画のグループであること、メンバーは番組スタッフを続けたことである。

ザ・ドリフターズ

ナンシー関(故人)は、自身のコラムの中でザ・ドリフターズ(以下ドリフ)とモーニング娘。
を比較していたことがあった。中澤裕子をいかりや長介、安倍なつみを後藤真希を志村けんに例えたもので、中澤卒業をいかりや長介のいないドリフになるという指摘がファンサイトなどでなされて脱退後に勢いに陰りが見えたモーニング娘。が後藤真希加入で息を吹き返したところが、ドリフの荒井注脱退・志村けん加入と重なるという指摘である。その後の中澤卒業・第5期メンバー加入およびナンシー関の逝去により、ドリフとの比較はななくなった。
東京パフォーマンスドール

つんく♂は、1990年代初期~中期に主に原宿ルイードを拠点に活動していたアイドルグループ「東京パフォーマンスドール」(篠原涼子・仲間由紀恵・穴井夕子などを輩出したグループ。以下、TPD)のライブ会場(通称:ダンスサミット)に足を運ぶなどTPDに魅了されていたこと、当時シャ乱QのメンバーとしてTPDがパーソナリティを務めるラジオ番組にゲスト出演した際に、将来はグループを作りたいと発言していることからも、TPDがモーニング娘。
共通点としては、モーニング娘。
ようにグループ内ユニットとして「ゴルビーズ」「原宿ジェンヌ」などユニットがメンバーのソロデビュー展開、卒業と新規加入が研修生(ハロー!プロジェクトでいう「ハロプロエッグ」「ハロプロ関西」)などが存在したこと、ダンスや歌唱力などプロとして高いレベルのエンターテインメントを表現していたこと、姉妹ユニットの存在などである。と同様に宝塚から影響を受けていると言われている。 相違点としては、グループで、メンバーの所属事務所がイベント会場を持ってことなどである。
姉妹ユニットである大阪パフォーマンスドール(OPD)からはメンバーの稲葉貴子が1999年にハロー!プロジェクト入りしている(加入当時は太陽とシスコムーンのメンバーだった)。
と同様に同世代の少女達の憧れの対象として、多少活動期間が比較も1998年から解散辺りまであった。グループ同士としてライバルとしての比較も多かったが、年齢的にも近く、飯田圭織がSPEEDのメンバーである上原多香子と東京都立代々木高等学校の定時制クラスで同級生だったといったことなどもあって、中澤裕子などが後に語っている様にメンバー間は仲が良かったようである。
出身メンバーでも後藤真希が、ハロプロメンバーでも松浦亜弥がファンであったことを公表している。1999年9月に「LOVEマシーン」が発売し、一気に人気が上昇すると、翌10月に解散発表が発売から解散、さらに第4期メンバー加入までに多くのファンがモーニング娘。
このことがモーニング娘。を黄金の時代へと導いている。ハロー!プロジェクトと沖縄アクターズスクールはダンスグループ、スクールや研修生の存在など組織的に似ていることから、モーニング娘。 画像掲示板比較対照に挙がる。
であるが、つんく♂がプロ野球セントラル・リーグのチーム「読売ジャイアンツ」(以下、ジャイアンツ)のファンであることで、ジャイアンツとの比較をすることがある。安倍なつみが卒業した当時、それを長嶋茂雄がジャイアンツを引退した時にだぶらせ、1つの時代の区切りかもしれないと語っている。後藤真希の卒業後に藤本美貴と6期メンバーが加入することが決定した当時の「うたばん」で司会の中居正広と石橋貴明が後藤の卒業を松井秀喜のFA移籍、5期メンバーの加入を加入に例えている。つんく♂はモーニング娘。全員4番打者であるとも語っている。ジャイアンツとの違いとして、プロ野球の様にトレードやFA制度もないため、強引な戦力補強は行わず、ドラフト(オーディション)での補強しか行わないなどの相違点がある。
ピンク・レディー

多人数グループと2人組の相違はあるが、活動状況が類似していることで、昭和の「ASAYAN」的なオーディション番組「スター誕生!」(日本テレビ系)をきっかけにデビューが決まった「ピンク・レディー」とも比較される。
と同様にオーディション番組がきっかけでデビューが決まっている経緯と、デビューまでの過程で番組内において厳しい試練が与えられ、それをなければデビューできないという大河ドラマ的な演出で視聴者を魅了していった点、メジャーデビュー以前にインディーズでシングルを発売している点、男女関係なく大人から子供まで幅広い支持層を得ていた国民的アイドルだった点、同世代の少女達の憧れの対象だった親しみやすい歌の振り付けを基本にしていた点、玩具から文房具・お菓子・食品・漫画など幅広いキャラクター商品展開などの商業的戦略が酷似している点、ピンク・レディーは「UFO」、モーニング娘。ミリオン級の大ヒット曲(代表曲)を持っている点、モーニング娘。のつんく♂と同様にピンク・レディーの曲の作詞のほとんどを阿久悠1人で手掛けている点、モーニング娘。ハロー!プロジェクトの振付師である夏まゆみと同様にピンク・レディーの振り付けを担当していた専属の振付師土居甫がいたことなど、共通点が多い 後にピンク・レディーとモーニング娘。
が共演した際に、ピンク・レディーのメンバー(未唯・増田惠子)が「私達とモーニング娘。は似ている」とコメントしている。 相違点としては、ピンク・レディーの場合はメンバーが固定されており、メンバーチェンジなどは一切行われなかったことである。
中澤裕子は、2000年4月9日放送のハロー!モーニング。
2003年2月7日放送の「徹子の部屋」(テレビ朝日系)出演時に「子供の頃ピンク・レディーになるのが夢だったが、モーニング娘。になったことで、その夢を叶うことができた。」と語っている。 モーニング娘。 画像掲示板 ちなみに、モーニング娘。
ピンク・レディーのカバー曲「ペッパー警部」を2008年9月24日にリリース。入れ替えやユニット(「COLOR」「RATHER UNIQUE」など)やソロ活動を行っている「EXILE」とも比較される。
ように「EXILES」という総称があり、EXILEのライブにEXILESメンバーが多く出演している。
ボーカリストが「ASAYAN」落選組出身である、メンバーの年齢差が大きい、追加メンバーをオーディションで採用、といった共通点が挙げられる。
EXILEが「さんまのまんま」に出演した際は司会の明石家さんまに「男モー娘。」と言われていた。
企画で岡村隆史がモーニング娘。
ライブに出演し、ダンスを披露したが、EXILEも同じようにライブに岡村が出演した。 相違点といえば、モーニング娘。
全メンバーがボーカルとダンスを担当しているのに対し、EXILEはボーカルとダンスを担当するメンバーが別になっているところが挙げられる。アイドル評論などからグループ編成に関する推察がなされている。
『モーニングセットのように、お得感があり、楽しめるユニット』ということで命名された。
「バイキング」から連想した物であり、「バイキング娘。」になっていた可能性もある。「。」について
当初のつんく♂の命名では「。」が付いてかった。
当時「ASAYAN」ではテロップのほとんどすべてに「。」を付けていたため、ユニット名発表の際(1997年9月14日放送)にもステージ上の画面で「ユニット名はモーニング娘。」と表示されることになった。それに対して司会のナインティナインの岡村隆史が「僕質問なんですけど、モーニング娘のあと『。』付いてますやん。(中略)あれは『。』は付いてるんですか?」と問いかけたところ、相方の矢部浩之が「ちょっと待ってもらえます。(舞台袖を見ながら)あれ僕の意見でいいすか今、あっそうですか。(正面に向き直り)あの『。』は…要ります!」と言ったため「。」付が表記になった。その後の感想で、グループ名を希望していたメンバー福田明日香が「漢字も『まる』もついて、お得だな~」と発言した。番組「うたばん」で「。」について聞かれた時にメンバーのほとんどは不要と答えた。
中澤裕子の誕生日(26歳)を前に1999年6月13日に放送されたフジテレビ系の番組「ハッピーバースデー!」での安斎勝洋による姓名判断で「『。』が付いたことで画数が23画となり、理想的なグループ名となった。」と言われた後、肯定的な発言をしている。22画ではグループが分裂するとため、番組でリーダー(当時)の中澤が「『。』は大事。」と語っている。形で、商標登録されている英語の正式名称も「Morning Musume。」と「。」が付いている。
ハロー!プロジェクトに関連するグループ名、ユニット名、番組名などにも「。」が付いているものが数多くある(「カントリー娘。」「ココナッツ娘。」「ミニモニ。」「エコモニ。」「ハロー!モーニング。」「モー。たいへんでした」「エアモニ。」「モーニング刑事。」「江戸っ娘。忠臣蔵」など)。 モーニング娘。 画像掲示板 単語の中に句点を含む語としては初めてではないのだが、モーニング娘。
取り上げられるに伴って、日本語の乱れの例、ないしはそれを広めたきっかけとして取り上げられたことがある。実際には、草野心平が『河童と蛙』(教育出版の教科書でも取り上げられている詩)のなかで文の終わりでないところに「。」を付けた事例があり、芸能人でも藤岡弘、の事例がある。グループを「モーニング」または「むすめ」と呼ぶことが多い。
メンバーに関わらず自らを「もーむす」と呼ぶことは台本などで強制されない限りまずない。ファンも同調し「もーむす」とは基本的に呼ばない。 「モー娘。」という表記自体は、ファンやマスコミが使い始めた呼び方であるものの、所属事務所によって商標登録されており、映画「ピンチランナー」のキャッチコピーで「モー娘。、走る!」として使われるなど、現在では事務所側も認めたものとなっている。
「モー娘。」という表記が一般的に使われるようになった以降にファンになった者は、あまり抵抗なく「モー娘。」という表記を使うこともある。
熱狂的なファンのことを「モーヲタ」と呼ぶ。彼女らのことをモー娘。「モーニング娘。」のことについてあまりよく分からない人は「モーむすめ」と言う人もいる。
ずれも「モームスメ」である。
モーニング娘。 歴史

モーニング娘。 誕生(1997年)
1997年9月7日、テレビ東京系のオーディション番組『ASAYAN』(2002年3月24日終了)内において4月から行われていた「シャ乱Qロックヴォーカリストオーディション」(優勝は平家みちよ)の最終選考で落選した中から中澤裕子・石黒彩・飯田圭織・安倍なつみ・福田明日香の5 人が選抜され、結成された(放送収録は8月20日)。
結成経緯に対し、後につんく♂がオーディション時に合宿をする理由として「グループ活動に必要な協調性があるかどうかを見るため」と語っていることなどと合わせ考えると、ソロヴォーカリストを選ぶのに合宿をするのは不自然であるといった理由などから、最初から女性ヴォーカルグループを作るためにオーディションを開いたのではないか、とする説もある。グループ名は、9月14日の放送分において「モーニング娘。」と決まった。インディーズで活動を開始した。
メジャーデビューを目指すにはシングル『愛の種』を制限期間5日間、さらに手売りで5万枚売り上げなければならない厳しい試練があるとして、全国でCDの手売り販売を行う「愛の種」発売キャンペーンを行わなければならなかった。そのキャンペーンが11月3日から大阪・心斎橋のHMVを皮切りに開始したが、ここでの売り上げ枚数は16,610枚と目標を大きく上回った(HMVでの1日1店舗における1タイトルの売り上げは世界記録)。その後も全国各地を巡り、同月30日のナゴヤ球場でのキャンペーンでは9,533枚を売り上げ、目標の5万枚を完売させ、メジャーデビューを果たした。おり、プロモーション関係などの様々な経費を一環としてテレビ東京側が負担することと引き替えにモーニング娘。
に関する半分を譲渡したものであると見られる。これに対して、2ndシングルの「サマーナイトタウン」以降の曲についてはアップフロント音楽出版のみが権利者となっている。
発言もおり、一部で物議をかもした。追加メンバー募集の発表時は、内容を知らされずに「重大発表がある」とだけ聞かされた初代リーダーの中澤裕子がその重大発表の内容を「モーニング娘。の解散」だと思ったと後に語っており、当時の現場にはそのような雰囲気があったことを伺わせる(「モーニング娘。5+3-1」より)。
急激に状況は改善されていったデビュー曲の時点では衣装は用意されて洗濯なども自分で行っていたり、穴が開いたら自分で繕っていた。
衣装以外はすべて自前の私服であり、家族や友人から借りた服でしばしばテレビに出ることもあった。マネージャーもいない状況で移動時や写真も状況であった。
モーニング娘。 ブレイク期(1998年~1999年)
1998年1月28日にメジャーデビューを果たす。
デビュー曲の『モーニングコーヒー』はオリコンシングルチャート6位に入る。 1998年4月~6月に(テレビ東京、平家みちよと共演)が放送される。モーニング娘。 画像掲示板
5月に追加メンバーとして保田圭・矢口真里・市井紗耶香が加入し、同月27日に2ndシングル『サマーナイトタウン』が発売され、オリコンシングルチャート4位に入る。
1998年夏に(平家みちよと共演)が上映される。
1998年9月6日の新聞の番組表で初めて「モー娘」という略称表記が登場する。
3rdシングル『抱いてHOLD ON ME!』(同月9日発売)でオリコンシングルチャート1位を獲得した。
オリコンカラオケチャートでは8週連続1位を達成。この曲で同年の「第40回輝く!日本レコード大賞」最優秀新人賞を受賞、また、第49回で初出場を果たす。結成が発表され、翌11月18日に『ラストキッス』でデビューした。
1999年1月に福田が学業優先を理由に脱退を表明した後、全国ツアーを行い、7都市・19公演で4万人を動員した。
福田はこのコンサート最終日の4月18日をもって脱退した。間は人気に陰りが見え、7月14日に鈴木亜美(当時は鈴木あみ)がTM NETWORKのヒット曲をカバーした「BE TOGETHER」と同日発売として「ASAYAN」で6thシングル『ふるさと』ではオリコンシングルチャート5位まで落ち込む。
9月には第3期メンバーの後藤真希加入後に発売した『LOVEマシーン』(同月9日発売)がシングルとして初のミリオンセラー(195万枚)を記録して再ブレイク。
1位を阻止したのがモーニング娘。グループ内ユニットである「プッチモニ」の『ちょこっとLOVE』(11月25日発売)であった。その曲もミリオンを突破し、スターダムにのし上がったのがこの時期だった。
モーニング娘。 黄金期(2000年~2002年)
2000年に入ると、1月26日に『恋のダンスサイト』が発売され、オリコンによると123万枚の売り上げを記録しミリオンセラーを記録。
その後、『ハッピーサマーウエディング』(5月17日発売)や『恋愛レボリューション21』(12月13日発売)も100万枚に迫る大ヒットを記録した。 石黒彩が2000年1月8日に卒業した後、4月には4期メンバーとして石川梨華・吉澤ひとみ・辻希美・加護亜依が加入し、翌5月には市井紗耶香が卒業した。
この頃から中国ブレンド茶「飲茶楼」(2月、JT)や「Dream Net」(4月、現・OCN)をCMに出演するようになる。
がメインで出演する単発特別番組も放送されるようになる。 2000年3月29日に発売された3rdアルバム『3rd~LOVEパラダイス~』でアルバムとしてミリオンセラーを達成した。
放送がスタートした。
レギュラーテレビ番組に出演してからしばらくして「ASAYAN」も卒業となり、以降同番組では不定期でモーニング娘。企画が放送された。
2001年1月に矢口真里をリーダーとして結成された「ミニモニ。」が早くも低年齢層にファン層を拡大した。
2001年頃からメンバーそれぞれの個人活動が多くなると併せてメンバーのソロ写真集が発売されるようになる。
2001年1月31日に発売された初ベストアルバム『ベスト! モーニング娘。1』は、初回盤も発売初日で完売するなど、トリプルミリオンに迫る売り上げを記録した。
この頃、ほとんど毎週のように『うたばん』(TBS系)にゲスト出演し、個人の知名度が一気に向上する(2006年9月22日に放送された『とくばん』で発表された「うたばん」へのゲスト出演回数は第1位)。
(フジテレビ系)の中でも『私立岡村女子高等学校。』として各メンバーの個性にクローズアップした企画が何度か放送された。
同番組では国民的アイドルグループと紹介され、これ以降マスコミ各社も国民的アイドルと形容するようになった。 同グループとして初のゴールデンタイムでのレギュラーテレビ番組『モー。たいへんでした』(日本テレビ系)も始まる(2001年4月~2002年3月)。
2001年4月16日に初代リーダーだった中澤裕子が卒業し、リーダーに飯田圭織が就任、飯田より年上だった保田圭はサブリーダーに就任した。
同時期に石川梨華が「カントリー娘。」の助っ人として呼ばれ、「カントリー娘。に石川梨華(モーニング娘。)」として活動を開始した。 モーニング娘。 画像掲示板 2001年5月3日~27日に初主演ミュージカル『LOVEセンチュリー~夢は見なけりゃ始まらない~』を東京・日生劇場で上演した。
卒業していた中澤裕子も出演した。
2001年8月26日にテレビ東京系で放送された特別番組『LOVEオーディション21』の結果、5期メンバーとして高橋愛・紺野あさ美・小川麻琴・新垣里沙が加入し、13人体制となる。
2002年に入ると、1月2日にスペシャルドラマ『モーニング娘。新春!LOVEストーリーズ』(TBS系。翌2003年の同時期にも『モーニング娘。サスペンスドラマスペシャル』を放送)が放送された。
2002年5月24日~6月23日にはミュージカル『モーニング・タウン』を上演した。
長者番付では当時在籍していたメンバーが公示され、中でも辻希美と加護亜依は当時中学生だったので特に話題になった。
翌2003年以降も公示された納税額は何人かが公示された。5期以降のメンバーは一度も公示されたことはない。
モーニング娘。 転換期(2002年~2004年)
2002年7月31日に後藤と保田の卒業発表や「タンポポ」「プッチモニ」「ミニモニ」のメンバーチェンジ発表などを行ったが、ファンからは大反発を受けた。モーニング娘。
同卒業メンバーのファンサイト上ではこのハロプロ構造改変を「7・31」や「ハローマゲドン」と呼ばれていた(「この構造改変が必ずしも人気低下の原因ではない、ハロプロ自体は構造改変の後に全盛期を迎えている」という意見もある)。メンバーの卒業発表は卒業期日よりかなり前に発表されることになる。
安倍なつみの卒業決定から2005年5月の石川梨華の卒業までの間は「卒業時期が既に決定しているメンバー」が在籍していた。
2002年12月から2003年1月にかけて、卒業した後藤真希とハロー!プロジェクト・キッズ(6月30日デビュー)との共演で映画『仔犬ダンの物語』が上映された(ただし出演したのは併映作であるミニモニ。主演作品に出演した当時のミニモニ。のメンバーと高橋愛を除いた8人およびハロー!プロジェクト・キッズのうち須藤茉麻・菅谷梨沙子〈以上現在のBerryz工房メンバー〉・鈴木愛理・萩原舞〈以上現在の℃-uteメンバー〉を除いた11人)。
上映とアニメ映画『劇場版とっとこハム太郎 ハムハムハムージャ!幻のプリンセス』が上映され、卒業した後藤とともに「モーハムず」(後藤は「ゴハム」)として声優に挑戦した。合格者発表(最終選考に残った亀井絵里・道重さゆみ・田中れいなの3人とも加入)を前に2002年3月からソロで活動していた藤本美貴の加入が発表される。
藤本も含めてメンバーは史上最多(2006年12月現在まで)の16人となる(ただし16人での活動は同年5月の保田圭の卒業コンサートのみで、それまでに発売されたシングル2枚およびアルバム1枚は12人で出している。)。 2003年5月31日~6月29日につんく♂と五木ひろしの共同プロデュースによるミュージカル『江戸っ娘。忠臣蔵』を明治座で上演した(6期メンバーからは藤本美貴のみ参加)。
2003年8月には、紺野あさ美と藤本美貴がカントリー娘。
助っ人として呼ばれ、『カントリー娘。に紺野と藤本(モーニング娘。)』として活動を開始した。 2003年9月には、メンバーを『モーニング娘。さくら組』『モーニング娘。おとめ組』の2つに分けての活動も開始し、それぞれシングルCDを2枚ずつリリースし、全国ツアーも行った。
辻希美と卒業後は正式なアナウンスがないまま2組とも活動休止状態となる。 2004年1月に長くエース格に安倍なつみが卒業した。
同月には辻希美と加護亜依が揃っての卒業発表、そして5月には飯田圭織と卒業も発表され、人気メンバーが卒業することになる。 2004年5月29日~6月13日にはミュージカル『HELP!熱っちぃ地球を冷ますんだっ』を上演した。
その後同月19日と20日には幕張メッセで「モーニング娘。“熱っちぃ地球を冷ますんだっ。”文化祭」を開催した。このイベントでは環境問題を重要に受け止め、地球温暖化問題をアピールし、自然の大切さを訴えかけている(なお、2005年10月の第2回からはパシフィコ横浜で開催し、2006年9月に第3回を、2007年10月に第4回を同地で開催している。)。この時期には小池百合子環境大臣(当時)を表敬訪問するなど、環境問題について真剣に取り組むイベントが増える。
ユニット「W」を結成し、活動を開始していた。 2004年9月にはメインで歌える『エース』となるべき7期メンバーの募集を行った(『ラッキー7オーディション』)が、翌2005年1月の最終選考の結果、エースと呼べる程までの人材がいないという理由で、前代未聞の「該当者なし」という結果に終わる。
2004年12月31日の第55回NHK紅白歌合戦では、卒業した辻希美とユニットWと共演し、複数ユニットによるメドレーを行った。
展開(2005年~)
2004年末から松浦亜弥と共演したEPSON「カラリオ」のCMに出演後、モーニング娘。
2005年1月に2代目リーダーだった飯田圭織が卒業したのに伴い、結成当時の第1期メンバーは卒業した。
再実施版『モーニング娘。オーディション2005』を行い、5月に久住小春が7期メンバーとして加入した。
このオーディション開催中の4月14日に3代目リーダーだった矢口真里が恋愛スキャンダルで脱退し、吉澤ひとみが4代目リーダーに就任した。 2005年5月7日に石川梨華が卒業した。
石川は2004年9月に自らをリーダーとする美勇伝を結成している(~2008年6月)。 2005年8月27日に27thシングル『色っぽい じれったい』(7月27日発売)で「LOVEマシーン」以来6年ぶりとなる握手会イベント『「モーニング娘。/色っぽい じれったい」発売記念東名阪握手サーキット』を3都市で開催した。
メンバー10人が3組に分かれ、それぞれの組が1日で3会場を移動し、各地でイベントを行った。 2005年12月31日の第56回NHK紅白歌合戦では、卒業メンバー(引退又は事務所を移籍した福田明日香・石黒彩・市井紗耶香を除く)を加えた19名の特別編成で出場し、スキウタ紅組1位の曲となった『LOVEマシーン』を歌った。
この年は松浦亜弥→DEF.DIVA→新旧モーニング娘。メドレーとなった。 2006年3月に発売された29thシングル『SEXY BOY~そよ風に寄り添って~』の売り上げは、5万枚をオリコン累計で割り込んだ。
2006年7月にはモーニング娘。
内ユニット(ソロユニット)月島きらり starring 久住小春 (モーニング娘。9月にはGAMで藤本美貴も松浦亜弥とともにユニット活動を開始する。現役メンバーを含むユニットによるシングルCDの発売はカントリー娘。に紺野と藤本(モーニング娘。)の2004年8月以来2年1か月ぶりである。 2006年7月23日には紺野あさ美が学業専念のために、8月27日には小川麻琴がためにそれぞれ卒業した。
小川はハロー!プロジェクトに籍を残したまま留学へ向かうのに対し、紺野は同時に卒業となった。活動継続を公言しない卒業は市井紗耶香以来、「勉学」による芸能活動休止は福田明日香以来である。卒業者である石川梨華との間には1年2か月の開きがあり、卒業の間隔としては中澤裕子と後藤真希の1年5か月に次ぐ長さである。加入も計算に含めた同一メンバー構成の維持された期間としては、5期加入から後藤卒業までの1年1か月を上回り最長となった(2008年8月に藤本脱退からの期間が1年2ヶ月を数え、この記録を上回った。)。同一メンバー構成でシングルを4枚リリースするのも過去最多記録である(これまでの記録は2nd~4th、13th~15th、16th~18th、 19th~21stのそれぞれ3枚)。その後、紺野は2007年7月15日からハロー!プロジェクトに復帰、小川も2008年6月7日からハロー!プロジェクトでソロとして在籍している。 モーニング娘。 画像掲示板 2006年8月1日~27日に宝塚歌劇団と共同制作した『リボンの騎士 ザ・ミュージカル』を上演した。
当初は紺野あさ美もこのミュージカルに出演する予定だったが、前述の卒業発表で出演でなくなった。小川麻琴はこのミュージカルを卒業している。 2006年10月31日~12月3日の2006世界バレーでは、WaT×ハロー!プロジェクトとしてWaT、DEF.DIVA、Berryz工房と共にオフィシャルサポーターに任命された。
主にWaTが女子大会に対して、ハロー!プロジェクトは宣伝・応援を行った。 2006年11月8日発売の31stシングル『歩いてる』では、18thシングル『AS FOR ONE DAY』3年7か月ぶりとなる通算10枚目のオリコンシングルチャート週間1位を獲得し、ピンク・レディーの9作を抜いて女性グループ歴代首位に立った。
6・7期メンバーにとっては初の1位となった(藤本美貴はごまっとう名義の『SHALL WE LOVE?』で1位獲得経験あり)。 2006年7月30日より『モーニング娘。Happy8期オーディション』を開催し、12月10日に光井愛佳が8期メンバーとして加入することが発表された。
2006年12月31日の第57回NHK紅白歌合戦に「GAM&モーニング娘。」として出場した。
メドレー形式となったが、光井愛佳は出場しなかった。 2007年に入ると、1月2日に『Hello! Project 2007 Winter~ワンダフルハーツ 乙女Gocoro~』の初日の東京公演において『モーニング娘。コンサートツアー2007春~SEXY 8 ビート~』の最終日である5月6日をもって吉澤ひとみがモーニング娘。
を卒業し、リーダーとサブリーダーがそれぞれ藤本美貴と高橋愛になることが発表された。同時期に卒業メンバーの安倍なつみ・飯田圭織・後藤真希および現役メンバーの新垣里沙と久住小春の5人で「モーニング娘。誕生10年記念隊」を結成した。

モーニング娘。 画像掲示板

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

モーニング娘。 画像掲示板
2007年3月15日に8期(留学生)メンバーとしての加入が発表された。
2007年5月7日付けのオリコンチャートにおいてモーニング娘。
総シングル売上枚数が1108.5万枚となり、ピンク・レディーを抜き女性グループで歴代1位となった。 2007年5月6日に吉澤ひとみが卒業したのに伴い、「ASAYAN」でオーディションを受けて合格したメンバーは卒業した。
2007年6月1日に恋愛スキャンダルで5代目リーダーだった藤本美貴が脱退し、高橋愛が6代目リーダーに就任した。
東京と大阪でモーニング娘。
2007年10月24日にこれまでに発売された34枚のシングルとハロー!プロジェクト10周年記念曲の全35曲を収録した『モーニング娘。 ALL SINGLES COMPLETE ~10th ANNIVERSARY~』(CD2枚組)を発売した。
12月19日にはこれまでに発売された35枚のシングルのプロモーションビデオを収録した『DVD映像ザ・モーニング娘。 ALL SINGLES COMPLETE 全35曲 ~10th ANNIVERSARY~』(DVD2枚組)を発売した。 2007年12月31日に放送された第58回NHK紅白歌合戦ではBerryz工房・℃-uteと共に「ハロプロワンダフルオールスターズ」を結成した。モーニング娘。 画像掲示板
がメンバーで「LOVEマシーン」を歌唱した後にBerryz工房と℃-uteが放送日直前にリリースされた新曲(「付き合ってるのに片思い」「都会っ子 純情」)を歌唱、そして「LALALA 幸せの歌」を全員で歌唱した。第57回で出場しなかった光井愛佳もジュンジュン・リンリンとともに初出演した。 2008年4月16日に発売された36thシングル『リゾナント ブルー』は、同時リリースで発売された。
2008年5月24日の台湾公演で海外公演を行った。
その後、6月1日に韓国でも行われ、同月28日の上海の日本人アーティストとして初出演された。 2008年8月1日放送の『ヒットメーカー 阿久悠物語』(日本テレビ)に高橋・新垣がピンク・レディー役で出演。
これをきっかけとして、ピンク・レディーの『ペッパー警部』をカバーしたシングル『ペッパー警部』を9月24日に、カバーアルバム『COVER YOU』を11月26日に発売。モーニング娘。 画像掲示板 2008年8月6日~25日に宝塚歌劇団と共同制作した『シンデレラ ザ・ミュージカル』が上演された。
上演に6月11日にスペシャルユニット『High-King』が結成された。 2008年8月17日に藤本の脱退から443日目を数えたのに伴い、同一メンバー構成の維持された期間が、石川卒業から紺野卒業までを上回り最長となった。
2008年9月28日ハロモニ@最終回これにより8年半続いたモー娘。
ハロープロジェクト全体として紅白出場は全滅した(カントリー娘。の里田まいは今回はPaboとしての出場であり、ハロープロジェクトとしてではない)。
特徴

モーニング娘。
中でも3・4期メンバーでは模様が放送されている。
中澤裕子が叱っている姿が放送された。
3期メンバー

市井紗耶香→後藤真希

4期メンバー

保田圭→石川梨華(テーマ:歌) 矢口真里→吉澤ひとみ(テーマ:表現力)


飯田圭織→辻希美(テーマ:リズム) 後藤真希→加護亜依(テーマ:挨拶・礼儀)
5期メンバー

教育係の制度はない。
2001年11月2日に放送された「ミュージックステーション」(テレビ朝日系)での5期メンバー初登場時に吉澤ひとみ→高橋愛、石川梨華→小川麻琴、安倍なつみ→紺野あさ美、矢口真里→新垣里沙、という組み合わせで新メンバーの紹介を行った。
タモリが「教育担当者が決まっているんですね」と感想を述べたのに対してその場では誰も否定しなかったため、この組み合わせが教育係だと言われたこともあったが、後にメンバーの発言によって明確に否定されている。メンバーの発言はなかった。
「6期メンバーとほぼ入れ替わりで卒業する保田圭が6期メンバーにモーニング娘。の精神を伝える」という企画が2003年5月11日の「ハロー!モーニング。」(テレビ東京系)で放送されており、この時点では教育係という呼び方はていなかった。2007年11月にYahoo!ライブトークでは保田圭が6期メンバーの教育係であったとされているが、2008年4月25日放送の「音楽戦士 MUSIC FIGHTER」では出演したメンバーが「5期と6期には教育係はいない」と語っている。
7期メンバー

道重さゆみ→久住小春

8期メンバー

2008年4月25日放送の「音楽戦士 MUSIC FIGHTER」において、ジュンジュンが遅刻が多いため、マネージャーが亀井か田中を教育係にすることを検討している、と田中が明かした。
その直前に亀井が待ち合わせに必ず30分遅刻するというトークをしていたため、「亀井ちゃんに教育させたらアカン」とつっこまれた。楽曲はメイン(主旋律)とことから、「ASAYAN」でメインパート争奪戦として取り上げられていた。
サビの歌唱を中心として歌唱パートが多いメインと、その他に区別できる。歌唱の中心である「メイン」に加え、ジャケット写真やダンスフォーメーション位置の中心(センターポジション)にいる「センター」も注目されるようになった。
メインやセンターを一度も経験せずにモーニング娘。を卒業したメンバーも多い。推移はモーニング娘。
メインやセンターについて公式発表されることもあるものの、多くの場合公式に発表されないため、誰が見ても明らかな場合もある一方で、誰がメインやセンターなのかはっきりせず意見が分かれる場合も多い。
モーニング娘。 パート割り

歌唱パートの割り振りは、メンバー構成が10人以上の大所帯である時期が多くあるために、曲によってはソロ歌唱フレーズがなかったり、1フレーズのみというメンバーがいる場合が多い。
パート割りがライナー(歌詞カード)に記述されたのは 『女子かしまし物語』のみである。
『つんく♂ベスト作品集(下)「シャ乱Q~モーニング娘。」~つんく♂芸能生活15周年記念アルバム~』に収録されている19曲については、ブックレットにパート割りが記載されている。 PVでは、各メンバーがそれぞれソロパートが割り当てられている部分で大写しにされていることが多い。
『LOVEマシーン』まではレコーディングを行い、ミックスダウンでパート割りを決定していた。
その後、レコーディングでのプロツールスの本格的なレコーディング時に担当パートのみを歌唱してアレンジすることが多くなる。 コンサートなどで卒業・脱退したメンバーが受け持っていたパートの曲を歌う時は、いなくなったメンバーの受け持ちパートを残っているメンバーの誰かが引き継いで歌う。
卒業コンサートや紅白歌合戦などの特別な場やコンサートの構成上においてメンバーの入れ替えに関係なくパートの変更が行われることもある。
モーニング娘。 エース格メンバー

エース格とは、ユニットの中心格(シンボル)という意味合いである。
エースに該当しないメンバーが素質的または才能的、そして人気が劣っているという意味合ない。エースについてはつんく♂ら関係者やマスコミによってしばしば言及されることがあるものの、リーダーなどのように公式発表されることはないので、ある時点で誰がエースなのか、特定の時点でのエースは1人に限られるのか、そもそもエースと呼びうる存在がいるのかといった点で意見が分かれる場合が多い。
歴史の中で、一般的にエース格とされているのは安倍なつみと後藤真希の2人、もしくは3人である。広義には高橋愛・藤本美貴・田中れいな・久住小春らを指すこともある。
結成時から頃までの初期のモーニング娘。
エースと考えられるのは、安倍なつみである。インディーズデビュー曲である『愛の種』とメジャーデビュー曲である『モーニングコーヒー』に関わった桜井鉄太郎によれば、モーニング娘。実際に安倍はモーニング娘。曲のすべてでメインボーカルを務めており、中でも 『ふるさと』はモーニング娘。名義でリリースされた曲であるにも拘らずソロパートがあるのが安倍1人であり、他のメンバーは単にバックコーラスを務めているに過ぎない。歴史の中でこのような例は他には存在しない。かつてつんく♂は安倍についてモーニング娘。に在籍しソロデビューもしていなかった頃、当時安倍がユニット活動に参加せずソロデビューもしない理由として、安倍が「モーニング娘。の顔であり、マザーシップだからモーニング娘。としての活動に専念させている。」としばしば語っていたが、ここでいう「顔」や「マザーシップ」は「エース」と同じ意味だと思われる。安倍はソロ活動を開始したのはかなり遅かったものの、モーニング娘。CMは安倍のソロ出演CMであるSALA(カネボウ→クラシエ)であり、ソロでの本格的なドラマ出演やソロ写真集の発売などはモーニング娘。メンバーの中では安倍がである。
石川梨華は、ソロ写真集の発売は安倍に次いでハロー!プロジェクトの歴史の中で初めて「カントリー娘。に石川梨華(モーニング娘。)」という名前が入ったユニットを持つなどしていたものの、在籍時代にはセンターを務めることがあまりなかったため、必ずしもエース格とされていたいが、卒業発表から卒業までの過程において「H.P.オールスターズ」でのソロパートおよび歌い終わり時のセンターや、出演などエース的なメンバーが任されるような仕事に多く関わったこともあり、エース格であると認識する写真週刊誌やスポーツ紙が多くなった。
石川がエース格を務めたのは人気にやや陰りが見えた時期であるため、時期にエースを務めた安倍や後藤と同列視すべきではないとする意見もあるが、つんく♂も記事で石川はエースとして頑張って来たと発言[要出典]している。「シャボン玉」でメインを任されたことや新ユニット「あぁ!」のリーダーを任されたことなどで後藤真希と対比する形で「エース」として報道された[要出典]。
高橋愛とともにシングル曲のソロパートが多いメンバーであり、2005年のシャッフルユニット「エレジーズ」や2人が選抜で加入している。
2003年1月に当時ソロ歌手として活動していた藤本美貴のモーニング娘。
7期メンバーの募集時にオーディションの目的が「エースを探す」であるとされたため、モーニング娘。
エースがいない(またはいなくなる)ことになるのかがファンの間で議論になった。このオーディションは結果が該当者なしだったため、翌2005年2月に再度7期メンバーを募集し、同年5月1日にモーニング娘。に加入した久住小春について、つんく♂は「エースを超えるミラクル」であると評した。サンケイスポーツが呼称を頻繁に使用し、以下のメンバーに用いられた。

エース:安倍な後藤真希(共にソロデビュー時)、石川梨華(卒業時[17])、藤本美貴(セクシーオトナジャン結成時)、高橋愛(2002年7月のハロプロ改変時) 新エース:田中れいな(2006年以降) エース候補:久住小春(石川卒業時)
さらに、『モーニング娘。 ALL SINGLES COMPLETE ~10th ANNIVERSARY~』の紹介記事では、「LOVEマシーン」とのジャケット写真比較にて安倍なつみを「当時のエース」、久住小春を「現エース」として報じられた。
法則
石黒彩から安倍なつみの卒業まで、「LOVEマシーン」のシングルジャケット写真8人の立ち位置右上から6人が以下の様に並び通りの順番となった(石黒彩→市井紗耶香→中澤裕子→後藤真希→保田圭→安倍なつみ)。
飯田 保田 中澤 石黒
矢口 安倍 後藤 市井

通算3人目の卒業者となる中澤卒業後の2001年6月頃にネット上で話題となっているが、それ以前にも2人目の市井卒業時にネット上で議論されたことが確認されている。
リリース時に在籍していない辻希美と卒業により法則は破られたと考えられた。最初に卒業した福田明日香も「LOVEマシーン」のリリース時に在籍していなかったという反論がある上、その後飯田圭織が卒業した後にジャケット写真8人の立ち位置左下の矢口真里が最後に脱退した経過を考えると、法則は破られていないというある。
2005年5月11日放送の「トリビアの泉」(フジテレビ系)においてこの法則が紹介された。
タモリが「メンバーとは何度も共演したが全然知らなかった。」と発言したが後述する経緯などからするとカマトトである可能性が高い。それ以前にも「アッコにおまかせ!」(TBS系)や「情報プレゼンター とくダネ!」(フジテレビ系)で報道していた。矢口が脱退した時も「ブロードキャスター」(TBS系)内のコーナー「お父さんのためのワイドショー講座」で放送された。2003年4月24日放送の「うたばん」(TBS系)である。
保田のモーニング娘。卒業を主題としたおり、その一環として当時のリーダーだった飯田が「LOVEマシーンのジャケットに関する噂」として話している。
モーニング娘。 楽曲オリジナルメンバー

2008年9月現在、モーニング娘。
最古参メンバーは5期メンバーの高橋愛と新垣里沙であるため、シングル曲で13枚目のシングル「Mr.Moonlight ~愛のビッグバンド~」より前の曲はオリジナルとして歌ったメンバーが1人も現存しない(「そうだ! We're ALIVE」にカップリング曲として収録された「モーニングコーヒー(2002 ver.)」などリメイクされたものは除く)。通り、曲はコンサートにて卒業メンバーのパートを引き継いだ形で歌う。
ハロー!プロジェクトのコンサートでは当時の『卒業メンバー』である中澤裕子・飯田圭織・安倍なつみ・保田圭・後藤真希・石川梨華・辻希美・加護亜依が「LOVEマシーン」を披露した(この時矢口真里は司会扱いで不参加であったが、同年大晦日の第56回NHK紅白歌合戦で実現した。)。現役メンバーも同曲をコンサートで歌い続けている。
グループ内ユニットとしての「タンポポ」「プッチモニ」「ミニモニ。」などの活動も活発であった。このグループ内ユニットとは結成からメイン歌唱の安倍なつみに対してコーラス担当となっていた飯田圭織と歌唱力を活かすため、グループ内ユニットである「タンポポ」が発案され結成されたことが始まりである。
追加メンバー3名からは相性を重視して矢口真里が選抜された。「プッチモニ」が結成され、モーニング娘。
ミリオンセラーとなる。ハロー!プロジェクトからココナッツ娘。ミカを迎えて70万枚を超える大ヒットを記録し、成功する。メンバーを既存のハロプロユニットである「カントリー娘。」に加えるレンタルを開始した。
2002年7月31日のユニット改編(ハローマゲドン。タンポポ、プッチモニ、ミニモニ。のメンバー総入れ替え。)はそれぞれのファンからの反発を買うことになった。
その結果、タンポポはシングル1曲のみ、プッチモニはアルバム収録曲のリリースはシングルリリースなしで両ユニットとも活動休止状態に、ミニモニ。改編後の路線変更を売り上げが半減し、ミカの卒業をもって活動を停止した。
2004年6月には「エコモニ。」が結成され、環境活動限定ながらアルバム曲が収録されるなど活動を続けている。
2006年からはハロプロ枠内のユニット「GAM」「きら☆ぴか」「アテナ&ロビケロッツ」「MilkyWay」「High-King」といったユニット活動が再開している。グループ内ユニットの扱いになるのかどうか見解が分かれている。
モーニング娘。 円陣および気合い入れ
モーニング娘。
ライブや本番前などにメンバー全員で円陣を組み、右手を重なり合わせ、掛け声を掛け合う気合い入れを行うことが仕来りになっており、モーニング娘。独特の習慣である。メンバー間の絆や結束力を高め鼓舞し、『最高のパフォーマンスをしよう』という目的で結成当時から行われており、ファンの間でも有名である。いきまっしょい!!
円陣を組み、リーダーが差し出した手の上からメンバーが手を重ね、『がんばっていきまっ』(リーダー格のメンバー)『しょい!!』(メンバー全員)という掛け声を合わせる。
この気合い入れはモーニング娘。通常は舞台裏で行われるが、2006年の第57回NHK紅白歌合戦ではステージ上で行われた。敷村良子原作で1995年に坊っちゃん文学賞を受賞した小説「がんばっていきまっしょい」が由来である。時に気合い入れ時の掛け声である。
メンバー全員で両手を繋ぐように円を作り、一斉に掛け声を合わせる形を取っている。(メンバー全員)という形になる。ライブDVDなどに収録されている。
さくら組とモーニング娘。組には下記の気合い入れも行っていた。
さくら組の気合い入れ。
気合い入れ。この他にも、各グループごとに独特の気合い入れや掛け声が存在する。
女性グループとして以下のオリコンのシングル主要5部門でトップ記録を独占している。33rdシングル『悲しみトワイライト』の初登場週においてシングルCD総売り上げ1,103.7万枚を達成し、1,108.5万枚とそれまで1位だったピンク・レディーを抜いて1位を達成した。
同曲は翌5月7日付けのオリコンシングルチャートで初登場2位を記録している。通算CDセールスが1,000万枚を突破したのはピンク・レディー、SPEEDに続き女性グループ史上3組目である(2003年7月発売の19thシングル『シャボン玉』にて1,000万枚を突破)。
女性グループシングルCDオリコン1位回数:10作(歴代最多)
1998年9月発売の3rdシングル『抱いてHOLD ON ME!』で記録が始まり、2003年4月発売の18thシングル『AS FOR ONE DAY』で1位だったピンク・レディーとタイ記録となり、2006年11月発売の31stシングル『歩いてる』においてピンク・レディーを抜き単独1位になった。

女性グループシングルCDオリコン1位連続年:6年(1998年~2003年)
1998年9月発売の3rdシングル『抱いてHOLD ON ME!』で記録が始まり、2000年1月発売の8thシングル『恋のダンスサイト』でそれまで1位だったピンク・レディーおよび持って記録3年とトップタイと12thシングル『ザ☆ピ~ス!』で単独1位を達成し、18thシングル『AS FOR ONE DAY』まで継続したが、2004年~2005年にオリコン1位を達成した曲がなかったため、記録が中断した。

女性グループシングルCDオリコントップ10回数:37作すべて(歴代最多)
1998年1月発売のデビューシングル『モーニングコーヒー』で記録が始まり、2002年11月に15thシングル『Do it! Now』(同年7月発売)でそれまで1位だったMAXおよびWinkとトップタイを達成し、16thシングル『ここにいるぜぇ!』(10月発売)で単独1位を達成した。
この34作はソロアーティストも含めた女性アーティスト部門では歴代単独2位になる(1位は浜崎あゆみの40作)。33rdシングル『悲しみトワイライト』で小泉今日子および歴代2位タイとなり、同年7月発売の34thシングル『女に 幸あれ』で歴代単独2位に浮上した。デビューシングル『モーニングコーヒー』で記録が始まり、2003年2月発売の17thシングル『モーニング娘。のひょっこりひょうたん島』でそれまで1位だったMAXの6年と並ぶトップタイとなり、21stシングル『愛あらばIT'S ALL RIGHT』で単独1位を達成した。
36thシングル『リゾナント ブルー』で記録を11年に伸ばし、継続中である。他に以下の記録がある。

女性グループシングルCDオリコン連続トップ5記録:33作

1998年5月発売の2ndシングル『サマーナイトタウン』で記録が始まり、2007年7月発売の34thシングル『女に 幸あれ』まで継続した。
35thシングル『みかん』の現在までの最高位が6位であり、後発的な要因で同曲が5位以内に入らない限り、記録は中断する。以下の2部門でトップ記録を有しており、シングルの記録とあわせて「7冠」とされることもある。
1stアルバム『ファーストタイム』で記録が始まり、2007年3月発売の8thアルバム『SEXY 8 BEAT』で達成した。

女性グループアルバム通算TOP10獲得作品数:11作(歴代1位タイ)
1998年7月発売の1stアルバム『ファーストタイム』で記録が始まり、2007年10月発売の『モーニング娘。 ALL SINGLES COMPLETE ~10th ANNIVERSARY~』で通算11作目となり、プリンセス・プリンセスと並ぶ女性グループ歴代1位タイ記録となった。
記録
ミュージックDVDオリコン1位回数:12作

モーニング娘。 世界記録

『1店舗における同一CDの1日の売り上げ枚数』の世界記録:15,612枚(1997年11月3日大阪・HMV心斎橋での「愛の種」手売りイベントにおいて)
モーニング娘。 NHK紅白歌合戦関係

女性グループとして:後藤真希(モーニング娘。・後藤真希・DEF.DIVA)(1999年の第50回・2003年の第54回・2005年の第56回)、藤本美貴(藤本美貴・モーニング娘。・GAM)(2002年の第53回・2003年の第54回・2006年の第57回) 平成生まれの出場歌手第1号:道重さゆみ・田中れいな(2003年の第54回)。
他、2000年頃から広告に掲載している。 一般紙の中でも広告を掲載するのは読売新聞だが、下記のような企画も行われた。

2000年12月28日付けの夕刊には、20世紀末に因み、ほとんどの広告が「モーニング娘。のゆく世紀・くる世紀」として掲載された。
ミュージカル「モーニング・タウン」にはキリンビバレッジとのスポンサーを務めた。
この時期には新規購読者に特典としており、同年1月には既存の購読者にもモーニング娘。ポスターやカレンダーが配布されていた。 2007年1月16日付けの朝刊には、見開きの2ページにわたってモーニング娘。
組閣写真を模した写真に全メンバー23人(当時)の巨大な顔がコラージュされた写真が使われ、中央に「それではいっしょに唄いましょう。」、下に「構造改革は行いますが、解散は致しません。今年9月に10周年を迎えるモーニング娘。です」というキャッチコピーが添えられた。2000年7月18日夕刊に掲載された中澤裕子単独インタビューでは、一般紙としてモーニング娘。
表記を使用した(別冊宝島608「モーニング娘。バイブル」〈宝島社〉の調査による)。
2007年3月24日付けの朝日新聞夕刊には、1面広告で8枚目のアルバム「SEXY 8 BEAT」の宣伝を行った。
歴代メンバー25人のうち身長が160cm以上あるのは石黒彩・飯田圭織・吉澤ひとみ・道重さゆみ・久住小春・ジュンジュンの6人のみである。最大は歴代通算では飯田と矢口真里の24cm差、現役メンバーではジュンジュンと田中れいなの18cm差である。
中学生時代にピアスを付けていたのは後藤真希(中2:オーディション時~1999年暮れ)と田中(中1:オーディション時、中3:2005年~)と吉澤(中3:2000年10月~)だった。石黒は耳の他に鼻にもピアスをしていた。 歴代メンバー出身地を都道府県別に分けると最も多いのは北海道で、石黒・飯田・安倍・紺野・藤本の5名を輩出しており、結成時から紺野卒業時までは常に2名以上のメンバーが同時に在籍していた(最高時は石黒以外の4名。 2007年6月に藤本の脱退により結成以来初めて「北海道出身のメンバーが1人も在籍していない」状況になった。)。
以下、東京都の4名(福田・後藤・辻・亀井、同時在籍は「後藤・辻」と「辻・亀井」のみ)、神奈川県の3名(矢口・石川・新垣、全員が同時在籍していた時期が長いが、最多タイ止まり)と続く。2006年8月に小川麻琴が卒業したため同年9月時点でのメンバーは史上初めて全員の出身都道府県が異なるという状態となった。誰とも重ならず、また2007年3月加入の中国人留学生2名も出身省(日本の都道府県に相当)が異なるため、同月以降もこの状態は継続中である(高橋=福井県、新垣=神奈川県、田中=福岡県、道重=山口県、亀井=東京都、久住=新潟県、光井=滋賀県、ジュンジュン=湖南省、リンリン=浙江省)。 2003年6月3日には、「子役特区」を提案した。
内閣府で同年9月3日の会談で坂口厚労相が「9時までは認める」と述べたのに対し、鴻池担当相が「それでいいです」と応じたという。これにより、2004年11月16日の労働政策審議会に対する答申にて、2005年1月1日より全国的に子役の出演が午後8時までから午後9時までに延長されることになった。 2004年1月23日のテレビ東京の年頭の記者懇親会では、同局がモーニング娘。
テレビ東京系レギュラー番組は少なさもあり、テレビ東京とアップフロントグループは必ずしも蜜月関係とはいえない。
海外にも熱狂的ファンが多数存在し、特にアジア(主に台湾、香港、韓国)では他の日本人アイドルと共に人気が高い(中国語圏での表記は早安少女組。なお、この表記については2007年5月20日の「ハロモニ@」で取り上げられた。)。エイベックスやジャニーズ事務所などと比較するとプロモーション活動はあまり積極的とはいえなかったが、2006年7月に卒業メンバーの一人である後藤真希が韓国でファンを相手にイベントを開催し、11月に同国でライブを開催した。同年12月10日の光井加入時に「2007年は結成10周年の年であり、2007年をアジアの中の日本として位置付ける」ことや翌2007年3月15日にジュンジュンとリンリンが加入したこともあり、今後もハロプロ全体でアジア戦略を模索している。
2007年10月26日~28日の3日間を高橋・新垣・久住の3名で韓国を、同月29日~31日の3日間をメンバー9人全員で台湾をそれぞれ訪問した。
10周年ベストアルバムが両国で公式リリースされるため、そのプロモーションとして実現した。メディア取材がテレビ・ラジオ出演などを精力的にこなした。 2008年5月24日に台湾公演を行った。
これに同年4月16日からの数日間高橋・田中・ジュンジュンの3人によるPR活動を行った。6月1日に韓国公演、同月28日に2010年の上海万博に先駆けて行われるコンサート「放歌世博」に日本人アーティストとしてアジア進出計画はと進行している模様である。
2008年4月16日に発売された36thシングル『リゾナント ブルー』は、同時リリースを実現した。

その他にも英語・フランス語・ドイツ語でのファンサイトも存在し、日本を「クール」と見る諸外国の人々からは一定の認知を受け世界的なアイドルスターと言える。
2003年9月にモーニング娘。
ハロー!プロジェクトのメンバーによる芸能人フットサルチーム『Gatas Brilhantes H.P.』(現在同チームからのモーニング娘。メンバーはなし)が結成され、現在では芸能プロダクションを巻き込んで芸能界全体がフットサルで盛り上がっている。2006年1月にはキックベースボールチーム「メトロラビッツH.P.」も結成している。ポスターでは有名人が自衛官の制服を着て写っているのがモーニング娘。
そのポスターで通例が破られる形(自衛官制服非着用)でポスターに採用された。
子供達のファンが多いことで、メンバーの色恋沙汰はご法度であり、グループ在籍期間の間は交際そのものが禁止とされる。中澤裕子でさえ、芸能界デビュー以降の恋愛談義は御法度であり、メンバーがテレビ番組で恋愛の話をすることはないが、容赦なく話す共演者が多い。2000年には安倍なつみが自宅マンションに出入りしたことが写真週刊誌「FOCUS」に掲載され、それを受け事務所が「アイドルの自覚が足りないと注意した」ことが「スポーツ報知」に報じられた。リーダーの地位にある場合はメンバーの規範となることが求められるため、在任中に恋愛スキャンダルが発覚した3代目リーダーの矢口真里と5代目リーダーの藤本美貴は脱退に追い込まれている。恋愛ではない。未成年が多いグループでの自覚なき行動(直接に恋愛とは書けるはずがないので)で、あくまで「個人の自覚」や範疇である。アニメ「ヤッターマン(リメイク版)」第8話で、ドロンボー一味が変装したとき、「ドロンボーニング娘。」と、グループ名のパロディが行われた。
この他、みずしな孝之作の漫画「幕張サボテンキャンパス」などにおける「ピーナッツ娘。」などのパロディでグループ名が使われている。

モーニング娘。 画像

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



急に休んだ人がいるらしくて、仕事先から急な出勤要請がきました。モーニング娘。 画像の勉強中だったのですが、いったん終わらせて仕事です。しばらく仕事をして帰ってきてから再度学習をはじめます。ちょっと計画が狂いました。こんなこともあるでしょう。

なせだか思うようにいきません。今日は少々調子が悪いみたいです。そろそろ食事の時間なのでモーニング娘。 画像の勉強はこれくらいで終わりにしようと思います。同じ勉強をしている人のサイトを見てみると私はまだ甘いなあと思いましたが、がんばっていきたいと思います。

さてさて、後は済んでいないことを片付けてしまおうかと思います。就寝前にホットミルクを飲むと寝つきがよくなります。心身ともに万全にして明日は今日以上にモーニング娘。 画像の勉強に張り切っていこうと思います。



モーニング娘 メンバー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



今夜のメニューはどうしようかと思案しているところです。煮物は昨日食べたばかりだし。私には晩御飯はなかなか大事なことでミネラルのバランスをきっちり管理しないと体がうまいぐあいに動かないのです。

若干わかりやすい箇所にあたったせいで、モーニング娘 メンバーの学習がさくさくと終わりました。ページを読み進めるとどんどん新知識が出てきてやる気が沸いてくるんですよ。モーニング娘 メンバーの学習に大切なのは能力よりもこの勉強をおもしろいことだと思うことが出来るかどうかであることをいま一度、再確認しました。どのようなことでもやる気が源であると思います。

さてさて、後は済んでいない仕事をやっつけておこうと思います。布団に入る前にお酒を飲むとすっきり眠れるようになります。身も心も万全にして明日はまたモーニング娘 メンバーの学習に気持ちを上向きにしていこうと思います。



モーニング娘。 泣いちゃうかも

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



天気もいいし、このようなときは本当に勉強日和です。モーニング娘。 泣いちゃうかもの学習にもやる気が出てきます。モーニング娘。 泣いちゃうかもの勉強に当たる前に他の仕事を手早く終了させておきます。こうした段取りも大事なのです。

モーニング娘。 泣いちゃうかもの学習にはけっこう理解が困難なところもあります。手元の資料だけではわからないこともうんとあります。そういう場面で役立つのがパソコンです。検索をかけるとたいがいのことは調べることができますのでモーニング娘。 泣いちゃうかもの勉強にもパソコンを使用することはよくあります。本日もやはり活躍してくれました。しかしひとつ弱点があります。さまざまなサイトが見つかってこれが結構楽しいので、無駄に時間を使ってしまうところがあります。今日も面白いホームページを発見してモーニング娘。 泣いちゃうかもの学習が多少おろそかに・・・。

さて、中途半端に残っているものをやっつけてしまおうと思います。布団に入る前にストレッチすると疲れがよく取れるようになります。身も心も万全にして明日は一日モーニング娘。 泣いちゃうかもの学習に気合を入れていこうと思います。



アロハロ!3 モーニング娘。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



近頃痛ましい報道が多いですね。どんなことでも精神的にゆとりがないといけないなと思いますね。アロハロ!3 モーニング娘。の勉強をするひとつの理由は目標があることによって心にゆとりが作れるのでという理由もあるのです。

アロハロ!3 モーニング娘。の勉強を進めていて特に難解でもないポイントで変に考え込んでしまったので思ったよりも前に進めることができませんでした。瑣末なことが気になってしまう性格の持ち主で、こんなことがときどき起こるのです。何でも完全にやろうとするのはよくないですね。アロハロ!3 モーニング娘。の学習に留まらず、他のことでもやりすぎるのはよくないということですがそう思いました。

さて、後は残っている作業を整理しておこうかと思います。少し柔軟体操をすると疲れが残らないようになります。身も心も万全にして明日はさらにアロハロ!3 モーニング娘。の勉強に気持ちを上向きにしていこうと思います。



モーニング娘 動画

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



友人などにモーニング娘 動画の勉強の話をすると、なんでモーニング娘 動画の勉強なんかするの、なんて尋ねられたりします。確かに、普通の人は興味を示さないことですよね。一般的にはモーニング娘 動画の勉強なんかチャレンジしようとは思わないでしょうから。どうしてと聞かれると困るんですが、面白いからなんですよね。

いつもは部屋でモーニング娘 動画の勉強をしているのですが今日はちょっと外に出てみようと思い立って、少し離れたカフェでモーニング娘 動画の学習をしていました。想像と違って集中しやすいところでモーニング娘 動画の勉強をはかどらせるにはけっこう穴場なんですね。外に出ればよいエクササイズにもなりますので、体にも効果的です。脳の働きも活発になります。

それでは、まだ残っているものを片付けてしまおうと思います。寝る前に体をほぐすと疲労が回復するようになります。身も心も万全にして明日も一日モーニング娘 動画の勉強に気合を入れていこうと思います。



モーニング娘。 アルバム

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



友人などにモーニング娘。 アルバムの勉強のはなしをしているとなぜモーニング娘。 アルバムの勉強なんてしているの、なんていわれます。よくよく考えてみると、大抵興味を示さないことなのかもしれませんね。一般的にはモーニング娘。 アルバムの勉強なんかを取り組んでみようとは思わないでしょうから。何でといわれると答えに窮するのですが好きなんですよね。

いつもは自分の家でモーニング娘。 アルバムの勉強をしています。本日は少し別のところでと思い、駅前のファミレスでモーニング娘。 アルバムの学習をしていました。ここが意外と集中しやすいところでモーニング娘。 アルバムの学習を進めるにはけっこう穴場なんです。動きますのでちょうど運動にもなりますし、体にもいいですね。脳の働きもよくなります。

それでは、中途半端に残っている仕事を完了させてしまおうかと思います。お風呂の後に柔軟体操をすると体調がよくなります。心身ともに万全にして明日もさらにモーニング娘。 アルバムの勉強に力を入れていこうと思います。



モーニング娘。 youtube

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


モーニング娘。 youtube
こうやっていつも日記を書き連ねていて考えるのですが、文章を書くのって簡単ではないものですね。文章にするのが下手なもので、書くときにいつもけっこう苦心しています。ただ普通の生活では文を書く機会なんてまずもってありませんから、言葉の練習だと考えてやっています。

本日のモーニング娘。 youtubeの勉強は若干がんばってやりました。モーニング娘。 youtubeの学習もそこそこ進みましたので、本日はここまでにしようと思います。一度こうしてPCをはじめてしまうとけっこう止められないのですがもう食事の準備もしておかないと。それにしても、モーニング娘。 youtubeの学習は楽しいです。

さてさて、中途半端に残っているものをやっつけておこうかと思います。就寝前にストレッチすると夢見がよくなります。身も心もリフレッシュして明日は今日以上にモーニング娘。 youtubeの勉強に頑張ろうと思います。



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