突然ですが

 

 

 

あなたはいま幸せですか?

 

 

 

と聞かれたら皆さんは

どのように答えるでしょうか?

 

 

 

Yo!ハッピーすぎるYo!
最高です!

言う事ありません!

 

 

って方

いるかもしれません。

 

 

 

私はと言うと

 

 

 

「はい幸せです!」

 

 

 

とは決して即答できない

日々を送っていました。

 

 

なぜなら

幸せって何?

幸せとはどんな状態のことをいうの?

 

 

というほど

苦しんでいたからです。

 

 

今日はそんな葛藤だらけの

苦しすぎる人生から

脱出したかった私が

 

 

最終的にどんな選択をしたかの

エピソードを紹介していきますね^^

 

 

 

今日はそのエピソード①です。

 

 

 

自分に自信がなさすぎた

 

 

私は物心ついた時から

自分に自信がなく

人の目を気にして生きてきました。

 

 

 

 

友達の目

家族の目

他人の目

先生の目

 

 

 

人の態度・表情・気に敏感で

感じて察してしまう分

状況判断するのも早くて

 

 

 

相手が何を言わんとしているのか

何を求めているのか

 

 

 

ピタリと当てたことが

今までに何度もありました。

 

 

 

それに加えて

常に人間関係が入れ替わる

転勤族だったこともあり

 

 

 

明るかった性格とは裏腹に

本当の自分を人に見せたり

本音を言ったり

 

 

 

奥底で抱えている

深い思いなどを

人に話したことがなかったので

 

 

 

辛くても傷ついたとしても

一人で抱えているような人でした。

 

 

 

弱音を吐く事は

良くないことだと思い込んでいたし

辛くても頑張ることしか知らなかったので

 

 

 

そんな自分をどう扱っていいのか

どう乗り越えていったらいいのか

 

 

 

モヤモヤ葛藤するものの

根本的な解決策など

知る由もありません。

 

 

 

だからこそ、より

自分に自信をもちたくて

自分を本当に変えたくて

 

 

 

語学に通ってみたり

好きな場所に行ってみたり

好きな服を買ってみたりもしましたが

 

 

 

何をしてもどこに行ったとしても

根本を変えない限り

何一つ変わる訳がありません。

 

 

 

時に楽しいこともありましたが

笑いながらも裏では涙を流している

ピエロのような日々を送っていたのでした。

 

 

 

 

 

韓国嫁入りして待っていたのは

 

 

 

葛藤を抱えながらも

頑張って生きていた私ですが

 

 

28のとき韓国の方とのご縁を頂き

結婚を機に30で韓国に渡りました。

 

 

 

もともと新しい土地に行く事自体は

引越し経験もあって慣れていたので

 

 

 

日本を超えて海外に行くことは

さほど怖くはありませんでした。

 

 

 

何がいちばん大変だったかというと

まったく違う文化背景でした。

 

 

 

日本国内での引越しとはワケが違い

移住当初は本当に苦労の連続で!

 

 

 

当時義父母との同居生活から

スタートしたこともあり

そこからのストレスはかなり大きく

 

 

 

それプラス言語の壁、文化の壁

カルチャーショックなどもあり

 

 

 

生活そのものがあまりに大変で

心身にもそれが出てしまうほどでした。

 

 

 

急性胃腸炎、精神不安定

過度なストレス、嘔吐。。。

 

 

 

誰とも話したくない

誰とも顔を合わせたくない

帰りたい。。

 

 

 

完全なるホームシックでした。

 

 

 

慣れない国での

生活ストレスが原因なのか

結婚してもなかなか子どもを授かれず

 

 

 

同居生活がお互いストレスとなってしまい

結局義父母と別居することになりました。

 

 

 

夫と2人で出発した家は

狭いマンションではありましたが

 

 

 

1人の時間が必要だった私にとって

まるで天国に来たかのようで

前の生活とは天と地の差でした。

 

 

 

その後原因不明の不妊だったり

病院に通ったりと様々ありましたが

 

 

 

その1年後晴れて

長女を授かることが

できたのでした。

 

 

 

孤独な子育てと感情抑圧

 

 

出産予定日の数週間前

母が日本からお手伝いに

かけつけてくれました。

 

 

 

思いのほか出産予定日を過ぎても

生まれそうな予兆はなく

母の滞在期間は長引くばかり。

 

 

 

日本に父をひとり残したまま

来てくれていたので

 

 

 

私が無事出産したものの

しばらく経たないうちに

母が帰国する日を迎えました。

 

 

 

子どもが新生児でもあり

私も産後間もなかったので

 

 

 

空港までは夫が見送り

母とは玄関でお別れしたのですが

 

 

 

笑顔で母を見送ってから

家に入った途端

 

 

 

あまりにも家の中が静かすぎて

その瞬間ものすごい不安に

襲われたのです。

 

 

 

海外での出産に

初めての育児。

 

 

 

小さすぎる新生児と

初めて2人きりになった現実を

つきつけられ

 

 

ものすごく

怖くなったのです。

 

 

 

娘がニコニコ笑っている横で

わたしは泣き崩れたのでした。

 

 

 

その時分かったのは

人に頼ることを知らず

弱音も吐けず一人

 

 

 

慣れない環境を

乗り越えていかなければならないと

常に気を張ってきた人生であったことと

 

 

 

自分が不器用に生きる事しか

出来なかったのだということでした。

 

 

 

その日以来

わたしも子育てを通し心が鍛えられ

子どもと共に成長してきましたが

 

 

 

自我が芽生える一歳すぎた頃

我が子の行動が目につき始めます。

 

 

 

同じ月齢の子の行動とは

ちょっと違う。

 

 

 

ヒドイ癇癪や落ち着きの無さ

私の手を振り払い

1人でどんどん行ってしまう娘。

 

 

 

子どもと対そうとすればするほど

自分の弱さや

足りなさを見せられ

 

 

 

私には子育てのセンスがないんだと

心底悩むようになったのでした。

 

 

 

 

 

激しすぎる夫婦の関係

 

 

 

当時新生児の扱いに緊張し

腫れモノに触るようだった夫も

 

 

 

子どもが大きくなるにつれ

慣れてきたのか

 

 

 

出産現場に立ち会ったとき

初めて我が子を抱いたときの

あの時の夫はどこへいったのやら?

 

 

 

次第に

意見のズレや考え方の違いが

夫婦の間で出てくるようになりました。

 

 

 

夫とぶつかる事が増えていました。

 

 

 

それによる感情表現の違いに

衝撃を受けることも多くあり

それが私の中でトラウマになっていました。

 

 

 

2人で協力し合い成長していくために

一緒になったはずなのに

なんでこんな事になってしまったんだろう...

 

 

 

 

次女を授かったときも

嬉しさの反面

夫は仕事のストレスからか

イライラすることも多く

 

 

 

私が口を開けば

面倒だと言わんばかりの態度を示し

 

 

 

その度にわたしは夫の態度に傷くし

かといって私自身も負けまいと

 

 

 

プライドが山のように高かったため

自分を強く見せることしかできなくて

 

 

 

夫はそんな私の姿に嫌気がさしたのか

時に家の壁に穴があくこともあれば

物が破損したりすることもあり

 

 

 

何度も激しすぎる

夫婦の関係となっていたのです。

 

 

 

 

機嫌がいいときは

いいけれど

こじれると相当こじれる関係。

 

 

 

傷つき傷つけ合うことしか

できない関係。

 

 

 

 

その状態が数年続きました。

 

 

 

 

どこでどうなってしまったのか。

 

 

 

小さな子ども達を育てることだけでも

心身共に大変なのに

夫との関係はもっと大変で

 

 

 

自分の力では

もうどうしようもできない

限界点を迎えていたのでした。

 

 

 

その時わたしの心も家族も

崩壊寸前でした。

 

 

 

 

 

もう限界。の先に出会ったもの

 

 

この結婚生活を放棄する?

 
 
 
何度もそう考えました。
 
 
 
終えてしまえば楽になるのに。
これ以上傷つかずにすむのに。
 
 
 
 
何度も何度も考えました。
 
 
 
 
でも
ずっと耐えていたのでした。
 
 
 
なぜか放棄することが出来なかったし
帰ることが出来ませんでした。
 
 
 
日本に帰ったところで
今後も私は同じ課題にぶつかるだろうし
苦労するのが目に見えていたからです。
 
 
 
 
放棄?
 
 
 
そこじゃない気がする。
 
 
 
生活を変えたい。
 
 
 
家族との関係を変えたい。
 
 
 
それには自分を変えないと変わらない。
 
 
 
自分を変えたい...
 
 
 
 
変わりたい!
 
 

 
自分が変わる事で
子どもたちと夫との関係を
修復したい。
 
 
 
 
そうしてわたしが
心底変わりたい!と切願していた頃
 
 
 
”チャイルドセラピスト講座”
というものが
あることを知るのでした。
 
 
 
知人を通して知った
子どもの頃の勘違いや誤解を癒し躾ける
チャイルドセラピー。
 
 
 
そのチャイルドセラピーを学べる講座で
知人が、夫と子どもとの関係が
回復していっていると聞き
私はそこにわずかな希望を感じたのでした。
 
 
 
そうして私は
 
 
 
変わりたい。
この地獄のような現実を変えたい!
 
 
 
という一心でチャイルドセラピーを
受講することを決めたのでした。
 
 
 
それが私の人生と自信のなさを
ひっくり返すきっかけとなった
チャイルドセラピーと
 
 
 
 
チャイルドセラピーの創始者である
西谷真美先生との出会いでした。
 
 

 

 

 

 

 

 
 
エピソード②へ続く...