私の住む地域では

やっと桜のつぼみが

ちらほらと見えるようになりました。

 

 

 

日本では一足先に

桜が咲いているという

お知らせを耳にして

桜が待ち遠しい私です。

 

 

 

そして

西洋占星術における

新年の幕開けを意味する

 

 

 

宇宙元旦の3月20日を明日に控え

私にもいろんな変化が

訪れているようです。

 

 

 

新生活がスタートした

 

 

今年から長女が小学校へ入学し

次女が幼稚園年中にあがりました。

 

 

 

2人セットの

楽チン幼稚園生活から

 

 

 

小学生と幼稚園児それぞれの

生活スタイルに合わせた

新生活がスタートしました。

 

 

 

それに伴いママの導線も

変わってきますね~

 

 

 

朝起きる時間も早まりましたし

家を出る時間も

前よりグッと早くなりました。

 

 

 

まだ寒さの残る韓国の春の朝は

とにかく油断できません。

 

 

 

最高気温が上がるからと言って

薄着で出た日には、寒すぎて

外でのバス待ちが体にこたえるほどです。

 

 

 

長女の小学校は

自宅から20分先にある

田舎の学校を選んだのですが

 

 

 

こどもたちの生活も

バラバラで

 

 

 

車で学校指定のバス停まで

長女を送ったあとの

スクールバスの出発時間と

 

 

 

自宅を循環してくる

幼稚園バスの出発時間の差が

10分ほどしかなく

 

 

 

移動時間がタイトすぎるため

2人とも自家用車での

送迎になっちゃいました。

 

 

 

長女と次女を一緒に送っていけば

見送りが一度で済むのでしょうが

これまた次女がなかなかのマイペースで…

 

 

 

次女を待っていては遅刻確実なので

先に長女を送ってから再び家に戻って

 

 

 

次女の支度をしてからまた家を出る

という導線になり

 

 

 

習い事やお買い物の用事を含めると

わたしはいったい市内を

 

 

 

何回グルグル走っているのか

分からなくなる日もあります。笑

 

 

 

でもきっとそんな日が

懐かしかったと思える日が

 

 

 

あっという間にやってくるのかも

しれませんね。

 

 

 

 

転勤族の子として生まれた

 

 

今日はそんな私の

生まれたときのエピソードを

ちょっぴりご紹介。

 

 

 

といっても見出しを

ご覧になったまんまなのですが 笑

 

 

 

いまから40ウン年前

豪雪地帯で知られる

新潟県長岡市にて

 

 

 

大門家の第4子として

わたしは生まれました。

 

 

 

当時、父は既に4回転勤しており

そのうち住まいは3度変わっていて

上の兄姉たちも赤ちゃんの頃から

引越しを経験していました。

 

 

 

そんな父の転勤先で

生まれた私でしたが

その2年後に

人生初の引越を経験します。

 

 

 

現在の南魚沼市で当時は六日町という

さらに豪雪地帯で有名な

小さな地域に引越したのでした。

 

 

 

2歳のときの記憶を覚えている方

いらっしゃいますか?

 

 

 

自慢じゃないですが

わたしは全っ然覚えてなくて

 

 

 

唯一残っている写真を見て

こういう所に

住んでたんだなーと

 

 

 

大きくなってから

自分の生い立ちを知るしか

なかったんですね。

 

 

 

いつもそれを

寂しく思っていましたが

 

 

 

写真から伺える私の表情は

とてもニコニコしていて

穏やかな顔つきをしていましたし

 

 

 

兄姉とけっこう一緒に

写っている写真が

残っているのを見ると

 

 

 

平凡な昭和の家庭の中で

愛されて育ったことは

読み取れるのでした。

 

 

 

出身どちらですか?へのトラウマ

 

この質問

よく聞かれませんか?

 

 

 

出身どちらですか?って

何歳になってもどこに行っても

誰に会っても絶対に聞かれるなかで

 

 

 

わたしは自分にとってのふるさとが

どこなのか分からなくて

悩み苦しんできました。

 

 

 

なんだそんなことでって

思われるかもしれませんが

 

 

 

転勤族の子どもにとって

これは結構

しんどい問題でもあるんですよね。

 

 

 

学校で自分のふるさとについて

紹介してくださいとか

 

 

小さい頃はどんな暮らしだったか

作文で書いてきてくださいとか

 

 

 

学校に行っても

会社の面接でも

社会人になっても

新しい出会いがあるたびに

 

 

 

出身どちらですか?

 

 

 

もう勘弁してー!

というほど

聞かれましたね 笑

 

 

 

各地を転々としているわたしは

その度に出生地を言ったり

 

 

 

転勤歴を全部言ったり

そのとき

両親が住んでいた場を言ったり

 

 

 

東京生活が長かったので

「東京です」と答えたり

 

 

 

新しい出会いがあるたび

同じ質問に

もう何百回と答えてきました。

 

 

 

韓国に来てもそれは一緒で

日本から来ましたって言うと決まって

「日本のどちらですか?」

 

 

って聞かれますし

現地の日本人にも聞かれますし

 

 

 

日本を出ても

どこにいっても

これは全世界共通。

 

 

一生ついてまわる質問なんですね 笑

 

 

もう降参!って

開き直りました^^

 

 

 

どこがふるさとか。は問題じゃない?

 

どこがふるさとなのかな?

 

 

 

親になって一つ分かったのは

 

 

 

どこで生まれたかは

重要じゃないってこと。

 

 

 

どこで生まれたって

生まれてくれてありがとう

 

 

 

どこで育ったって

育ってくれてありがとう

 

 

 

両親はそんな気持ち

だったのかもしれないって。

 

 

 

みんなからの祝福を受けて

家族から愛をたっぷり受けて

生まれてきた

自分だったんだって。

 

 

 

何をそんなにこだわっていたのかな

 

 

 

家族がいる場所が

私の家で

 

 

 

両親の住む場所が

私のふるさとなんだ。

 

 

 

どこにいっても

ブレない絆があれば

関係ないんだなって

 

 

 

先日兄と話していたとき

そんなことに

気づかされました。

 

 

 

私のふるさとは

両親の住む場所

 

 

 

あるときは地域社会。

あるときは広い世界。

 

 

 

ふるさとがなくて

苦しんでいるとしたら

 

 

 

逆に言えばそれは

どこに身をおきたいかを

自由に選択できるということ。

 

 

 

どこに行っても

いいんだよーって

選択を与えられてるということ。

 

 

 

いまはそれが分からなくても

わたしが身をおきたい

居場所の方から

 

 

 

突然ひょっこりと

訪ねてきてくれるかもしれません。

 

 

 

ふるさとを持つ事を選ばずに

生まれてきたのかもしれないし

 

 

 

一か所に留まっていられない

性格だったのかもしれない。

 

 

 

もし

出身はどちらですか?

と聞かれて

苦しくなってしまったら

 

 

 

これは私の考えですが

あなたが一番好きだった場所を

堂々と答えても良いんです。

 

 

 

 

自由を与えられた身なのですから

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日も

私が私を満たしてあげる一日を♪