昨日は日本に住む

父の誕生日でした。

 

 

 

あとで知ったのですが

日本では父の日でもあったんですね。

 

 

 

ちょっと前に韓国海苔を大量に送っていたので

特別誕生日に何かを送る、

ということはしませんでしたが

 

 

 

孫の元気な姿を見せるのが

一番のプレゼントになるのでは、と思い

 

 

 

お誕生日の朝、こどもたちと一緒に

動画通話をしました。

 

 

 

 

3歳の上の子と一緒に

”お誕生日おめでとう”

の歌を日本語で。

 

 

 

娘は照れながらも

たくさん吸収した日本語で

 

 

 

じぃじ、ばぁばが見守るなか

しっかり歌っていました。

 

 

 

そして

「じぃじ、お誕生日おめでとう!」

って、ちゃんと言えた。

 

 

 

父はとっても嬉しそうな顔をして

喜んでいました。

 

 

 

”祖父母と日本語でやりとりできるように

私がちゃんと話してきて良かった”

 

 

 

心からそう思えた瞬間でもありました。

 

 

 

苦労して生まれてきてくれた我が子が

祖父母と会話できないなんて

そんなの絶対にイヤ

 

 

 

って、生まれる前から

お腹に向かって

沢山日本語で話しかけた甲斐が

ありました。(笑)

 

 

 

久しぶりに見る父の顔は

なんだか本当に

おじいちゃんになったなあという感じで。

 

 

 

髪ももう白のほうが多くなってて

頬もなんだかちょっと

ほんのりピンク色になってて

 

 

 

もうだいぶ前に亡くなった

私のおじいちゃんそっくりになっていました。

 

 

 

でも、そんな顔色を見て、

元気そうで良かったと安心しました。

 

 

 

もうかれこれ2年も日本に帰れていないけれど

父も母も、良い顔してる。

 

 

 

シワもどんどん増えてきているのに

何故だかキレイだなぁって

心の中でひとり感動していました。

 

(と同時に切なさも…)

 

 

 

 

1歳半の下の娘とは

産まれてから父はまだ一度も会えずにいて

 

 

世界がこんな状況になってしまって

いつ会わせてあげられることやら。

 

 

そのことを思うと

いつも胸が痛くなるのですが

皆そうなのだから

泣き言を言っても仕方がない。

 


 

愛嬌たっぷりで

よちよち歩きで危なっかしくて

 

 

 

大人の真似を一生懸命する姿が

これまた愛くるしく

いまが一番可愛い時期なのに…

 

 

 

”抱っこさせてあげたい”

”孫に直接会わせてあげたい”

 

 

 

そんな想いが、もうこれ以上限界…

 

 

 

になる前に、一度日本に一時帰国しようかと

密かにたくらんでいるのですが

実現できるのかどうか。

 

 

 

そんなこんなで

子ども達と両親が、わちゃわちゃ話してから

ちょっと一段落したあとに

 

 

 

父が、最近描いたという石アートを

嬉しそうに見せてきてくれました。

 

 

 

河原で拾ったという、

キレイに丸みをおびた石に

父は絵を描くのですが

 

 

 

これがまたクオリティー高くて

こっちが驚いちゃうほどなんです。

 

 

 

小さな石なのに

その絵を見れば

多くを聞かずとも

情景を感じることができる。

 

 

 

そんな石アートなんです。

(石アートって

私が勝手にそう呼んでいる)

 

 

 

 

一面に広がる花畑

そこにポツンと立つ

着物を着た女性の姿

 

 

 

牛舎をひく男性の姿に

夕焼けが美しい風景画

 

 

 

竹林の中にチョコンとたたずむ

カワセミの姿

 

 

 

完全に父の世界観が表現されていました。

 

 

 

「お父さんすごーい!

上手~!」

 

 

 

って言ったら

誇らしげな顔で

次々に描いたものを見せてくれました。

 

 

 

盛り上がった所で私も

アートの話を引っ張り出してきて

 

 

 

「アートセラピー本格的に

やっていきたいって思ってるんだけど

やっぱりすごい」

 

 

「お父さんがやってることも

気付いたら癒しになってると思うの。」

 

 

 

「アートって子どもからお年寄りまで

全世代が出来ることなんだよね」

 

 

 

母 「絵が上手じゃないとダメなんでしょ?」

 

 

 

私 「そんなことないんだよ。

ある時から評価されるようになるから

みんなそう思ってしまうの。

 

こんなに純粋に

楽しく絵を描いていた子どもたちも

評価されるようになるから

可能性の芽を摘まれちゃうの」

 

 

「その植え付けられてしまった想いを

取り払いたいの」

 

 

 

父 「確かにそうだな」

 

 

 

なーんて

父と子でふんふん、、なるほど、と

通じるものがあって

 

 

 

 

こんな歳になって

父とアートを共有していることが

なんだかとっても嬉しかったのです。

 

 

 

 

 

 

 

そんな話を横で聞いていた母も 

「そうそう、ダンス始めたのよー」

「30代の人もいるの」

 

 

 

なんて嬉しそうに話してくれて

幾つになっても堂々と

自分のやりたいことをやっている人って

カッコイイなーと思った私なのでした。

 

 

 

いくつになっても

始めるのに遅いなんてことはない

 

 

大人になっても

こども心を忘れずにいよう

 

 

 

70代の父が夢中でアートをするように

 

60代の母が嬉しそうにダンスをするように

 

 

 

 

皆、表現者として生まれたのだから…