頭の体調は良くなってきている。バルプロ酸を400mg/日から800mgに増やしてもらったからだ。

当初はそんなつもりのなかった精神神経科に通うことになったけど、正解だった

先生には「結局のところあさ7時に出勤して夜8時に帰宅するまでなんなく社会生活を送れている僕のような人間が、先生の大事な

時間を使っていいのでしょうか?」と尋ねたけど。先生は「もちろんですよ。これが僕の仕事ですから。」と答えるのみだった。

こんなにバルプロ酸が効くなら20年前から服用していたら僕の人生はだいぶ違うものになっていたに違いない

わざわざブログに書いて一応、世に発信していること自体、僕が本当のところは健康である理由だろう。

まだこの大嫌いな世の中に対してなんとかして働きかけようとしているわけだ

大の男がひみつに自分だけのノートに日記をつけているところなど想像するだけで背筋が凍りそうだ

現代という時代と人間が嫌いで仕方ない

健康診断は正常値でなければならず、煙草を吸ってはならず、道を踏み外さぬように、間違いを犯さず、保険に入り、何重にも自分の安全を保障し、病院の滅菌ガラス容器の中に生まれ、火葬場のセラミック製の台の上で超高温で焼かれてこの世を去っていくわけだ。人間ってこんな”目的”のためにいきてるんだっけ???×1万。ブロイラーの中のニワトリとか、水栽培のレタスのほうがまだドラマチックな生き方をしているのではなかろうか。それにくらべて現代人の一生など、シャーレの寒天培地の上で培養されるブドウ球菌よりひどいと思おう。
コロナがまた流行っているとかほざく”専門家”が嫌いで、小学校6年間の半分をマスクで過ごさせて何の悪気も感じない大人連中が嫌いで、外を走る車をわざわざ洗う人間とか、本当に必要かどうか”自分の頭で”判断のできないままに処方薬を喜んで飲み、ワクチンを打ってうれしがっている年寄りが嫌いで仕方ない。バルプロ酸が効いていないとき、僕はこんなことばかりを延々と考え続けてやがては世の中が全部死ぬか自分が死ぬかの二者択一のような極端な選択に自分を追い込んで常にイライラしている。さらにひどいことに日本は医療に関して(無論それだけじゃないが)完全にアメリカの言いなり、思うつぼである、「(ファイザー製の)ワクチンを打ちましょう」cmが延々流され続けていたころは気が狂いそうだった。おれが狂っているのか、世の中が狂っているのか。

ハルシオンを服用しているので文字ミス連発するかも

バルプロ酸が効いている数時間はたぶん普通の人間の感覚でいられる

健康でいるべきだし、幼い命は小さなろうそくの灯を守るように手をかざしてはぐくまねばならず、美味しい食べ物や旅行で人生を豊かにすることが幸福であり、長生きすべきである。普通にそう思える。

次回診察でバルプロ酸の血中濃度を測るけど、通常の用量としても、もう少し増やす余地はあるだろう。

 

ハンニバルレクターの言葉が大好きだ

「私たちは野蛮じゃないが利口でもない。すべてはハンパ。もしも社会が合理的なら、私を殺すか、役立てるかするだろう。君は夢を見るかね?」現代社会は”ものを言う人間”を殺しも役立てもしない。ただそこにいないかのように無視するだけである。今朝、たしか立憲民主党だったと思うけど、「(イスラエルの紛争をうけて)軍備予算の増強を訴えていく」と言っていた。政治家はわかりやすいストーリーで市民がなびくと考えているわけだ。そしてじっさいなびく人間もいるわけだから、僕の気が変になるのも理由のないことじゃない。僕は日本がいちど根底的に医療も経済も滅びることを切望している。こんなぼろ船はハンパもいいところであるいちど沈むか全焼するか壊滅的な暴動が起きたらどんなにさっぱりするだろう。もし20年間に戻れたなら中国やロシアで生きてゆく術を学びたい

レクターノ別の言葉

「傷は大切にしないといけないよ。なぜなら傷は、過去が現実であったことを証明する唯一の証なのだから」

僕も過去のブログでえらく才気ばしったことを書いているけど、消さずいじらずそのままにしよう。かつて頭のおかしかった証として。

完全な社会システムなどないことはよくわかっている。人間社会は良いと悪いの間を気の遠くなる時間をかけて揺れ動くほかない。普通に、そう思いながら生きられればいいのだけど。たぶん僕すこし性急なところがあるらしい。この性格はこの先も変わらないだろう。バルプロ酸なしではいられないかもしれない。つまり自分も処方薬を飲む人間のひとりである。ただし。僕は自分のあたまで考えていることだけは付け加えておく。少なくとも自分ではそう思っている。