11月28日にモヤモヤ病の開頭間接バイパス手術を受けて3週間経過した。

実感として脳の血流が良くなったとか、もともと良い頭がさらにさえわたって今ならハーバードにも入れそう、とかそういうことはまだない。医師の話では半年くらいで血流が改善してくるとのこと

間接バイパスでは頭蓋骨は開けるがそれ以上はせず、脳を覆っている硬膜の上に頭部の筋肉をかぶせて頭蓋骨をその上に戻すので、ブラックジャックよろしく脳の血管やまして脳の神経をいじるようなことは無い

なので身体のしびれや不随、言語、記憶障害何もないです

これにはひたすら感謝しかない

私はただ手術を受けただけで、世の中には大変な思いをされてる方が大勢いらっしゃいます

 

手術は勝手に頭を全部丸めると思っていましたが、実際にはまさかの逆モヒカンスタイルだったので(過去歴参照)、退院翌日に家のバリカンで妻に丸刈りにしてもらいました。

 

11月27日手術前日 朝10時入院。入院前に採血、胸と頭部のレントゲン、心電図あり。その日は身体拘束一切なし。以前にも入院したことがあるので自由の身であるうちに病院内のコンビニで缶コーヒーやコーラのミニボトルを大人買いして、明日大手術にもかかわらず日常よりテンション高め。夜9時まで飲食可能

11月28日 手術当日。3時間ほどしか眠れず。朝食無し。朝6時以降は飲水も不可。5時半くらいにペットボトルの「ヘーイお茶」を2口くらい飲んだ。早くに医師が来て、術部位である頭の右側に「こっち」と油性ペンで記入。手術の前日からオペを担当する医師2人と、麻酔科の女性の先生の計3人が病室に私を訪ねに来てくれました。術後の血栓防止とのことでキツめの弾性ストッキングを着用。手術着に着替え、下着も病室で脱いでくださいとのことなので全裸にハイソックス、はだけそうな術衣という、普段の私らしいスタイルで手術開始10分前に歩いて違う階にある手術室に向かう。

手術室は雰囲気がガラッと変わり、ざっと見たところ4、5個のブースがあり、何件かの手術を同時に行えそう。言葉は悪いがどこかの食品工場のようで完全滅菌されているのが空気で分かる感じ。ただ自分にとっては一大事でも、病院や先生にとっては毎日の仕事でありルーティンなんだという実感がもてて逆に安心する(手術の予定を立てるときにも医師は「今月にも同じ手術受ける別の方がいるんですよ」とのことだった)

手術室の前に置かれたパイプ椅子に腰をかけると手術室専属の看護師さんが来て

全身麻酔は初めてか、喘息はないか、体に金属が入っていないか、ロト6をあてるコツを何か知っているか、星座は、初恋の相手はなど尋ねられ、そうこうすると執刀医の先生がご到着。ドラマにあるような全身ミドリのオペ衣でゴム手袋「メス!」みたいなのと全然違い(ちなみにメスはあの小刀ではなく、電気メスとのこと、皮膚への侵襲がより少ない)、病院内の普段着のようなもの(もちろん制服)に病院名のロゴが入ったスタジャンを羽織り、「ちとコンビニ行ってきやす」みたいな感じだったのでそれもまた安心した(件数をこなして慣れているオペなのだ)。

いよいよ手術台に横たわると看護師さんと2,3言はなし、先生の「眠くなる薬入れますね」のあと油性マジックのような有機溶媒のにおいがすると思ったとたん、記憶はそこまで。

同日11月28日午後1時40分

「〇〇さん手術終わったよー」の先生の声で目覚めると同時に鼻から気管がずるずるぬかれながら気が付く。ICUのベッド。8時の手術開始、13:40分の目覚め。

痛み一切なし。鼻とのどに気管がさっきまで入っていた違和感がうっすらあるだけ。朦朧とすることも無く、家で目が覚めるのと同じ。左側に付き添いで来てくれていた妹がおり、どんなギャグを言ってやろうか考える余裕すらあった。「だれだっけ?」って言うと大事になりそうなのでやめとく

両手を見ると左手に1本、右手に2本の点滴ライン。そのうち右手の1本は動脈とのこと。

鼻の穴に酸素チューブ、指先に酸素モニター。体の数カ所に心電図モニター、尿道カテーテル、足には今朝はいた弾性ストッキングの上にさらに子供用の浮き輪のような数秒おきに膨らんで足をマッサージする風船(血栓防止のため)。

この状態で数時間経過。夕食なし。口が完全に乾いてしまったので看護師さんに伝えると、割りばしの先っちょに小さなスポンジがついたような小学校の図画工作のような道具と水を持ってきてくれて、それで唇や口の中を潤わした。

至れり尽くせりだし、ありがたい限りなのだが、今回の入院手術でこの時間が一番しんどかったー。なにせ体の不自由と口の渇き、オペ直後の頭を自由にできず、体が休まる姿勢を取りにくいので大手術を受けたことも忘れて思わずため気を付いてしまった

11月29日

一般病棟へ戻る。ICU滞在は24時間弱くらい。

戻る前に核医学検査と言って、体に微弱な放射性物質を入れてMRIをうけ、脳血流を詳しく調べる。これもまたしんどかった。上記の拘束が続いたままこんどは目にティッシュの目隠し、マスク、頭が動かないように固定され、その上さらに薬剤を静脈注射。その状態で技師さんから「すみません、30分くらい待ってから撮影します。脳血流に影響するので音楽とかかけれないんです」とのこと。閉所恐怖症はないのだが、無音、全身の違和感、この30分はほんとに長かった。

撮影後、一般病棟の元のベッドへ戻る。我が家かと思うような安心感。夕食をいただくがさすがの私も食欲がなく、3割ほどたべてごちそうさま。看護師さん「半分くらい食べれたら点滴外せるから無理せず頑張ってね」の声かけ。点滴取りたいがマジで食えない。ただいろいろと気にかけてくれる看護師さんで、抗生剤など終わり次第、必要のないルートは順次抜去。足の風船抜去、尿道カテーテルも、あらかじめ渡されていた手術日程表よりも1日早く抜去してくれたので、体の自由度が80%くらいまで回復。1,2回、車いすで看護師さん付き添いでトイレにいったが、そのあとは自分で歩いてトイレへ行った(すげー!開頭手術翌日には歩いてる!)。

11月30日

執刀医の先生が来てくれて、体調確認。「今日くらいから腫れるかも」と。すでに腫れ始めており、ガッツ石松状態(ガッツさんすみません。試合後の話です。ブラックレイン以来、俳優としてファンです。)

入院した27日の夜以来、頭洗ってないが、さすが気にならない。ガーゼとクッション材で頑丈に保護されており、鏡で見ると乾いて細かく砕けた血やら刈られた髪の毛が乗ってる。腫れと炎症による漠然とした痛みはあるが生傷による痛みはない。体調も普段通りに戻りつつある。スマホできゃりーぱみゅぱみゅの原宿いやほいなど聞きながら過ごす。ロキソニンが処方されており、ありがたく服用する。服用で炎症による痛みや熱感も治まる。頭の右を下のするのはまだ怖いので、上か左を向きながら寝返りをうって就寝。わりと普通に寝た気がする。

12月1日

執刀医の先生がいらしてガーゼとクッション材をとる。自分の頭皮と創部に久しぶりに対面。なかなかグロい。傷がじゃなくて、びっしりとしたホッチキスがね(過去ブログ参照)。「やさしく洗う分にはシャワー浴びていいですよ。」

しばしガーゼがとれた余韻を味わってからゆっくり立ち上がってシャワーへ向かう。

恐る恐る微温湯をあててみるが痛みは全くない。例えばの話、洗濯ばさみで皮膚を挟んでみると、初めは痛いがだんだん慣れて麻痺してしまうのに似ていて、創部のホッチキスが食いこみっぱななしなので、すでに麻痺してる感じ。痛みが無いというか、感覚がないのに近い。しばらくあったかい湯に打たれるがままにすると「はあー乗り越えたんだー手術受ける前と後で何にも変わってないんだー」と実感がこみ上げてようやくホッとする。感無量。

12月2日以降

点滴も順次終了、ルートも取れて自由の身、入院生活が申し訳ないくらいエンジョイモードに突入。買ってあったコーヒーやコーラを飲みながらアマゾンプライムで映画など見てすごす。

 

==今日中に周囲の制止を振り切ってでもブラジルの人に伝えなければならないことまとめ==

・正直術後のほうがしんどかった。(看護師さん、スタッフさんにはまじ感謝)

・手術は当たり前だけどマジで無痛(日本の医療水準にまじ感謝)

・アマゾンプライムは神