おはようございます傘

 

今日で(前倒しの)母の三七日です。

 

お坊様のご都合もあるし

一人でもお参りが多い方がいいとおっしゃって

夫が参加できる土曜日になりました。

 

母が亡くなって、もう18日が過ぎたなんて

何だか信じられません

 

もちろん母は特養にいたので

毎日一緒に過ごせていた時からはしばらく空いてしまってましたが

それも10か月間の事

 

母がもうどこにもいないなんて、ほんと実感がわきません

特養のコロナの面会禁止は5月に解禁になる予定だと

母が亡くなってから、特養のケアマネさんに聞きました。

 

本当に残念です。

 

小さい時からの母との葛藤を、5年の介護で

時間をかけて流してくれて

最終的には認知症がひどくなった母のことを

愛おしいとやっと思えたことは

私にとってすごく良かったと思っています。

 

 

【慢性虚血性心疾患】

これが母の死因となっています。

これは地元の警察署で出された「死体検案書」に書かれてある言葉です。

 

今でも、この名前ってどういうことやろうって思っています。

 

母は3月27日月曜日に、特養の中で転び、大腿骨骨折のために特養と連携した外科病院に搬送されて、入院しました。

その時に私も呼ばれて、医師より30日の木曜日に手術して、その後リハビリに入ることを聞きました。

手術前の「念書」に5~6枚サインをしました。(輸血の可能性や万が一の体の拘束など)

でもよくあるお年寄りの「大腿骨骨折」で骨頭が折れているので

そこを人工のものに変えるとのお話でした。

 

その後3分だけ面会を許され

私は久しぶりに至近距離で、母と面会しました。

母はきっと痛み止めの点滴が入っているのか

痛がるそぶりもなく

会話の呂律も悪くなく

顔色も普通でした。

(母は点滴を抜いてしまうので、首筋?に(気が付かないように)点滴されていました。

 

「施設でこけた」ことに関しては

「(学校の)先生に書類をもっていこうとして、あわててた」と

つくろってはいましたが

自分が転んだから、今入院していることをわかっていました。

 

「私、手術の日も来るからね、手術、痛いかもしれんけど、頑張ってや!!」そう言って

マスクだから笑顔が見せられなかったけど

私の大声の応援は母に届いていたように見えました。

 

私が医師に母の徘徊の心配を告げたら

医師と看護師が声を合わせて

「今は(骨折しているのに)歩けませんよ!」と言われて

私も「そうですよね」と少し安心して

病院にお任せして、帰りました。

 

明日の火曜日が母の代理の日帰り旅行、木曜日は手術

そう自分で確認しながら、車を走らせて帰りました。

 

これが母に会えた最後でした。

(長くなるので続きます)