おはようございます晴れ

 

このブログは

姑を良く書いてないので

 

そういうネガティブな文章が

苦手、読みたくない方は

ここでお戻りください

わざわざ来てくださったのに

すいません。

 

 

明日、姑がショートステイから戻る予定です。

 

3月27日月曜日から2泊3日の予定でしたが

(28日に日帰り旅行に夫婦で行ったため、お世話ができないので入れました)

 

ちなみに、姑は要介護1です

それも最初は地元の(大阪市ではない)市会議員さんに働きかけて

要介護になるようにしてもらったというのです。

そんなことができるのか私はわからないですが

それから3年後ぐらいに再度介護度認定調査を受けても要介護1でした。

 

要介護1なら、ボケてないので、身の回りのことは本当はマイペースでもできるはずですが

(麻痺もなし)

なぜかできない、やらないという感じで

おさんどんはすべて私が作ったり(パンの時もあるけど)

食器を洗ったりしています。(うちに引き取って5年以上になります)

 

引き取った時、私の母も同時期に引き取りました。

その時は実母も要介護1だったのではないかと思いますが

実母は認知症がはっきりでていました。

 

最初、私は『よかれと思って』

母と姑の部屋を隣同士にしました。

部屋と部屋の間の壁に窓がついているという変わった作りなんですけど

 

私の母はいつもその窓から見られていることをストレスに感じていたし

母は一人が好きだけど

姑は人懐っこく接するのが好きみたいで

部屋に(ノック無しで)勝手に入ってきたり

あるいは母が部屋にいないときまで

勝手に入っていたので(生活習慣の違いを感じました)

ますます母はストレスを感じていたようです。

 

それなのに

何か問題が起こると、母がボケていることを知っている姑は

なんでも「母がやった」といいました。

 

母はわけがわからず、いいなりです。

私もトラブル時に見ていたわけではないので

姑の話しをうのみにしていました。

 

外に散歩に出ると

いつも私の母の腕にぶら下がるように腕を組んでもたれかかって

母は3度、よろけてしまいひどく捻挫していました。

母は脳幹出血のせいでふらふらしているのです。

姑は悪気が無いので、やめてと言えませんでした

私も「仲たがい」は避けたかったので

なかなかものが言えませんでした。

 

朝は朝食を食べに来るのも2人一緒にやってきました

姑が部屋に呼びに行って、連れてきていたのです

というか

母の部屋に入り浸っていました。

そして母の持ち物やベッドなどをうらやましがっていました。

(そんな大したものは持ってないのに)

 

姑のためにもベッドを買っても

私の母のとタイプが違うと言ってすねて、そのベッドには寝てくれない

そんな姑でした。

 

ちなみに母のベッドは

父を介護中に借りずに買った介護ベッドでしたが

とても古くて電動部分は使えないようなしろものでした。

 

そんなある日

朝、朝食に姑だけ来ました

私が「母は?」と聞くと「知らない」と言います

 

私はピンと来て

慌てて実母の部屋に駆け付けると

実母はベッドから数歩歩いたぐらいのところで

脱糞脱尿してうつ伏せで倒れて意識を失っていました。

 

驚いて、救急車を呼びました

その時、姑は部屋に入らず廊下から部屋の中を見ていました。

 

そして姑はデイに行く日だったので

ほとんど言葉を交わさず

「どうしたの」とも聞かれず

そそくさと行ってしまいました。

 

その時の私は気が動転していて

姑の言動まで考えられなくて

救急車の到着まで

動かせないけれど

母の汚物を拭きとり

下半身だけそっと着替えさせました。

 

母は一命をとりとめてましたが

その後4か月入院&リハビリして、また戻ってきました。

 

その間のことです

「母がやった」というトラブル、例えばドアを開けっぱなしにして猫を逃がす

水を止めるのを忘れて延々出ている

このようなことがずっと続き、私は

「母がやった」のではなく

母のせいにさせられていたとわかりました。

 

母のストレスのために

母が退院した時に

母と姑の住んでる階を分けて

母の部屋に行かないようにお願いしました。

 

すると

脳梗塞や脳出血で認知症が進んでも

母は猫を逃がしてしまうことも

水を出しっぱなしにすることも

一度もなかったのです。

(去年、施設に入るまで)

 

私は悲しいし、心がもやもやしました

夫には話しましたが

やはりこれからもずっと住む姑には何も言えませんでした。

もちろん息子らにも話していません。

 

私と姑の間もひどいことを言われたことは何度もあるし

常識はずれな対応をされて傷ついたことも何度もありますが

 

私の母を貶めたことが、どうしても許せないのです。

 

母が倒れていた日も

姑はいつものごとく朝、母の部屋に行ったはずです

でも糞尿にまみれて倒れている母を見て

驚いて

見なかったことにしたのでしょう

せめて私を呼びに来てくれたら

1時間でも早く救急車を呼べたのに

なぜいつも通りの時間に

普通の表情で台所に来たのか

 

今更姑に聞いても

「しらない、覚えてない」と言われるだけなので

それもしていません。

 

そして姑と実母の階を変えても食事を一緒にとっていたので

姑は母の認知について、いつもじろじろ見て

露骨な態度を取りました。

 

母もそうされていることに気が付いていました

私は耐えられなくなって

姑から母を隠したくなって

3食の時間をずらしました

 

先に姑に食べてもらい

その後に母を呼びに行きました。

 

さらに時がすぎて

姑も母も自室で食べるようになり

私が運ぶようになりました。

 

それでも母が台所に突然やってきたりして

その時姑がいたら

何を言われるかと私はいつもドキドキしていました。

 

「まぁ!おかあさん、そんなことできなくなったの?」

「そんなことわからんの?」

 

悪気がなかったかもしれないですが、指摘されるのが死ぬほど嫌でした。

 

こんな日々を過ごしたのちに、母は特養に入所になりました。

徘徊の恐れが多くなり

同時に二人の世話をするのが限界でした。

 

もし姑の世話が無かったら

もう少し一緒にいられたのに

その時も心の中で、そう 思いました。

 

話を現在に戻すと

 

姑ををショートステイに入れた3日目に母は亡くなりました。

ショートステイに延長のお願いをすると、簡単に認めてもらいました。

とりあえず葬式の翌日まで延長しました。

 

すると、お通夜の日に、ショートから電話があり

院内感染で姑がインフルエンザにかかったとのこと

 

インフルが完全に治るまで、引き続き見てくださることになりました。

 

私はずっと体調を崩しながら、通夜葬儀初七日までやり通し

もうくたくただったので

葬儀の翌日に戻ってこないことを有難いと思いました。

 

葬儀の翌日自分のかかりつけ医に行くと

体内の炎症反応が大きく上がっており

きっとリウマチ発作が出てるのでしょうとのこと

安静にしてもらいたいとのことでしたが

 

母の病院代の件や役所関係

特養の荷物の引き取りや退所届など

やることは山積みでした

 

今もお香典のお返しの資料つくりなどしています

しんどいながらもやっと体も落ち着いてきました

(四九日までは七日七日もありますが)

 

そしてやっとインフルが落ち着いて明日姑はかえってきます

きっと「めっちゃ病人」と振舞い

いろいろと要求してくると思います

気を引き締めて頑張ります。

 

ちなみにショートでは、確認しましたが、病人食ではなく普通食を普通に食べているようですが。

 

家に来て5年間、風邪一つ引かず、ゴロゴロ寝ていても何の病気にもならなかった姑が

この時期に、ショートでインフルエンザに罹って、長々とショートステイにいたことが

私には「姑があたった罰」に思えてなりませんでした。

だけど

ショートステイで職員さんをあごで使って女王気取りですごせたでしょうから

姑はあまり辛くなかったかもしれないですね。

 

姑はショートステイでの食事のオカズが気に入らなかったら

自分で「このおかずの調理法を自分だけ変えて」と言うそうですから。

 

インフルも予防接種を受けていましたから

一、ニ度は熱が8度台まで出たようですが

あとはずっと7度をウロウロしていたそうです。

 

姑への罰でなくても

姑がタイミングよく

長くショートへ入ってくれて

私はとってもとっても助かりました。

それを有難いと思っておきます。

 

長い愚痴を最後まで読んでくださった方

ありがとうございました、ごめんなさいね。