おはようございます曇り

 

今日は、朝が一番気温が高いということで

とりあえず早朝に散歩に行ってきました。

 

今日、お昼に、次男とお嫁さんが顔見せにきてくれるはずなんです。

むーぎー(小型犬の雑種)をつれて

お嫁さんとむーぎーは1年以上ぶり

いつもの家事をしながら、楽しみにしている自分を感じました。

 

お嫁さん

1年間一度も連絡をくれなかったけどね

人生自分の思うようになんて、なかなかなりませんよね

来てくれるだけでも、うれしいし、彼女や彼女のご両親が健康ですごされていたのならそれで充分かな。

 

それにしても

次男のことは、次男がうんざりするほど好きなんですが(苦笑)

ほんと申し訳ないなと思うのは

次男が産まれてから、我が家は傾きはじめて

大丈夫、立て直せると頑張ったのは私だけで

元夫は勝手にギャンブルの借金をどんどん増やし

次男が幼稚園に通ってるころ

もうにっちもさっちもいかなくなり

離婚して息子2人と1Kのボロアパートに移り住んだので

次男の小さいころの写真が、本当に少ないのよね

そして、そのアパートも雨漏りで1年で別のアパートに移って

そこの環境が悪かったので

さらに1年後ぐらいに借家に引っ越したから

写真も、整理できないままに、荷物の奥底にいっちゃって

なかなかゆっくり見られない

介護も終わったら絶対に写真の整理をしようと思っております。

(よそ様より少ないと思うんですけどね)

そうしておかないと、死んでも死にきれないですね。

 

写真も少ないんやけど

私の記憶も

めちゃくちゃしんどくて辛くて不安定な時期の子育てだったから

記憶自体が少ないと思う。

 

赤ちゃんの頃、ミルクで太りすぎて『武蔵丸』って言われてたけど

腕が痛くてもかわいくてかわいくてずっと抱っこできた次男

 

幼稚園の頃、毎日しくしく泣きながら幼稚園の先生に手を引かれて登園していたこと

内職の引き取りの男性と玄関先でしゃべっていたら

いつもカーテンをちょっぴりあけて、じっと私のことを見ていた次男

 

実家の近くに住んで小学校入学となったけど

実はこの頃の私の記憶があまりない

仕事を首になって、生活のことで頭がいっぱい不安がいっぱいの頃だった。

次男の入学式の姿が思い出せない

それが悲しいな

タイムマシンで見に行きたい。

 

小学校の運動会の日、たいてい仕事やった

それでもお昼休みなどに走って子供の顔を見に行った

元夫も同じようにちょこっと見に来てた、私を見つけたら、逃げていた

私にとっては運動会の日の昼食も教室に戻って給食を食べる はとても有難かったな。

だって、一日中応援することもできなかったし、一緒にお弁当を食べることができなかったから

顔を見に行ったら、いつも次男は顔がぱっと明るくなって、とても張り切ってみせてくれた

かわいかったなぁ。

 

その後、小学校の高学年で、次男が偉そうだという理由で、しばらく「はみご」にされていたけど

そんなにこじれずに何とかもとに戻った。自分のせいだから、しょうがないね。

この頃から、私は家でドレス屋さんをしてたので、毎日帰ってくる息子を迎えることができるようになった

(ダブルワークはしてたけど)

 

でも逆に、学校に参観に行くことや、運動会を見に行くことを照れるようになったから

良い時期を見逃したな~とほんとうに悔しいです。

 

子供の頃の次男の顔はいつも輝いたような笑顔

ぽちゃっとしていて、おちょけで、おしゃべりだった

もう、ほんと、目の中にいれてもいたくないほどのかわいさだった(私には)

 

今年30歳になるなんて

お正月に会った時は「おっさん」になりかけていた

息子は「またや」とうっとおしがるけれど

会った時はいつも昔話をしたいの

記憶を確認したくなるの

そして、もし昔ばなしの中で

次男が不満があったなら

私はいつでも謝りたい

夢中で暮らしていたけど

足りないことだらけだったから

(長男にはそれで謝ったことが何度かあった、長男は「我慢」をいっぱいしたからね)

 

 

次男には「不憫だと」思って、できるだけのことはしたし、甘やかした

私の父も死ぬまでずっと、すごく甘やかせてくれた

それでもきっと次男なりの不足の日々だったと思う

そういう思いは心の奥にしまわずに

私にぶつけてほしいんだ

全部親である私の不徳の致すところだから

 

今日はお嫁さんも来るから昔話はないかな

その分、お嫁さんと話して、むーぎーと遊ぼう

 

また息子だけ来た時にゆっくり話そう

次男と昔話がしたい。