テオは私の叔母が飼っている19歳の雄猫さんでした。


雄猫で19歳なので、もうかなりの御高齢で、体はガリガリで食も細り、ほぼ1日畳んだ布団の間にはさまって寝ていたそうです。

それでも特に病気をしたことがなく、2階の寝室から1階のトイレには自力で行けていたそうです。

叔母には海外で生活している息子夫婦がいて、孫ちゃんも2人いるので、毎年孫に会いに出かけていて、その間私か叔母のもう一人の息子が
猫の面倒をみていました。

今年も1か月海外の息子のところに行くので後半の2週間の猫の面倒をみてもらえないかと連絡がきました。

出かけたのは5月中旬で帰ってくるのは6月中旬。前半の2週間は日本にいる息子が見るけれど、その息子も追っかけでやってくるので
後半2週間みてほしいと。

3~4日に1度きてくれればいいからと、そのくらいの旅行にもしょっちゅう行っているから何も問題ないと。

話しがあった時私はレオンを亡くしたばかりで、ロビンからも目を離せない時期になっていたのですが、往復3時間ぐらいで

3、4日に1度なら行けるからとOKしました。ただ、そんな高齢なテオとひと月離れて大丈夫なの?と聞いたら全然大丈夫とのこと。

これをお読みの方はもううすうすわかったかもしれないですが、私が様子を見に行った6月初め、お世話初日にテオはもう歩けなくなっていました。
いつもいる叔母のベットから落ちたところで横たわっていました。


あわててラインで報告しましたが叔母は先週まで様子を見てくれていた息子は大丈夫だと言っていたと言って特に心配していません。

私はテオの体の下にペットシーツをひいたり、水や餌をすぐ近くに持っていったり、テオのトイレも2階へあげたりしました。目ヤニで目がつぶれていたので目を拭いてあげました。

ただどうしても毎日は行けないので(母や姑の関係で)2日に1度様子を見に行きました。

そのたびにラインで状況を送りますが、やはり叔母はおっとり構えていました。
私はレオンさんの最期と比べて、気が気でなかったのです。


普通の餌は食べないと言ったら、叔母はチュールなら食べるかもと連絡してきました。
テオが最期に食べたのは、私の手からもらったチュール1本でした。

あと3日ほどで叔母たちが帰国する頃、テオは亡くなりました。朝、様子を見に行ったら目もお口もあけて亡くなっていました。
最期の最期までママのこと呼んでいたのかもしれませんね。



旅慣れたお家の猫だとしても、ひと月大好きなママが帰らなくて、いつ帰ってくるかわからなくて、テオは不安で寂しかったと思う。
私が通い始めた初日、テオはきっと私を叔母と間違えていたのだろう、かすれた声で横になったまますごく鳴いた。
私は思っていた様子と違ったので驚いて、鳴いているテオを抱きしめて「ごめんごめん」となでた。

亡くなる前日、もう駄目かもと叔母に連絡したら「覚悟は出来てます、お世話かけてごめんね」と返事がきた。

・・・予定をぶっ飛ばして帰って来いと私も言えませんでした。



亡くなった日は、叔母たちに綺麗なテオに会ってもらえるように、保冷剤や氷で体をつつみ、テオがいる部屋をエアコンを20度設定にしてお花や水や餌を置いて
私は家を出ました。

最期に付き添ってあげられなくてごめんねと合掌して。


叔母は「私より猫のことに詳しいあんたの言う事聞いといたらよかったね」と亡くなったことを伝えるラインで返してくれましたが
叔母が私の呼びかけにあまり応じてくれなかったことは、どうでもよかったのです。
19年連れ添ったテオへの最期の向き合い方が、私は腑に落ちませんでした。
でも猫の飼い方、猫への向き合い方は人それぞれなんだなと当たり前のことをまた悟りました。
もちろん帰国した叔母はテオを抱いて泣いていましたし、テオを手厚く葬りました。

私と言えばレオンさんに続いてテオの最期を看取って・・・
さらにロビンへの看護に後悔が無いように必死になっていきました。