今日はね、岡山の日赤病院に半年に1度のCT検査の結果を聞きに行ってきた‼️
「結果は何も言うことありません」
大腸ガンの手術をしてから、もう4年経つんだなぁ…
普段は病気だったこと忘れてるけど、半年に1度は思い出す❣️
今までの検査で、肺に少し怪しい影みたいなのがあるような…と言われた時もあったけど、今回は何もいわれなかったので、気のせいだったんだなぁ〜〜(笑)
あんまりガンとわかった時のことをブログに書いてこなかったけど、そろそろ書こうかなぁ〜〜
私は隠し事が苦手なので、わりと普通に周りの方々には話してる。
なんで、ガンがわかったの❓って良く聞かれる…
その頃、美容室を自分でやってたので、いろいろ忙しくて、検診など後回しで全然行けてなくて…
若いから大丈夫でしょうって思ってた。
病気がわかる1年前くらいから、半年に1度くらい便に赤い小さい四角いものが少し混じってるように見えたりってのはあって、なんか不思議だなぁと思って、お店のお客さんの看護師さんに聞いたりしたら、「トマトとか食べた❓トマトの皮かもよ」などと言われて、ほんとそれっぽいなぁと思って、そのままに…
だって、どこも痛くないから。
検診行ってれば、検査で引っかかってだと思うのに、全然行ってなくて…ほったらかし❣️
そしたらついに、ある1週間ずっと下痢が続いて…
なんか、透明のゼリー状のモノが出てきた😳
すぐに症状を検索したけど、出てこなくて、病院へってたどりつく。
お店の都合もあるし、なんでもないって言われたらすぐ帰れるように、お店から近くのクリニックへ…
そしたら、私の話を聞いた限り、ストレスが原因の「潰瘍性大腸炎」かもしれませんって。
難病指定ですが、今では良い薬もあるので大丈夫ですよって。
まずは、検便検査からしましょう❣️
そして、検便検査で2日とも出血‼️
次は、大腸の内視鏡検査をしましょうって、検査の予約を取り、「まあ、悪くても潰瘍性大腸炎なんだろうなぁ〜〜」なんて思ってた。
検査当時❣️
初めて自分の腸内を見れるって、ウキウキ(笑)
看護師さんに、モニター見ててもいいですか❓
いいですよ‼️って言われて、初めての検査にドキドキして、始まって少ししたら、大きな肌色の便みたいな物体と遭遇
先生が「あららら、塞いでますね。もうこれ以上カメラが入りません。よろしくないものが…」
「ん⁉️先生、ガンですか❓」
「そうですね…」
私が私の中のガンちゃんとご対面した時です。
でも、とっさにこれからどうなるの❓
お店どうしたらいいんだろう❓
と、淡々と手術と入院がどのくらいなのかと、退院後はどうなるのかとか聞いてたと思います。
不思議と、恐怖はなかった。
死ぬかもしれないってなった時、子供たちはもう大きく育ったし、いっぱい好きなことやれた人生だったし、何も悔いはない❣️
ただ、こうちゃん(旦那さん)のお嫁さんになりたかったなぁ〜〜って出てきた。
本当は、お盆に私の実家に初めて2人で行く予定にしてて、飛行機のチケットも取ってたのに、キャンセルした。
その後、日赤病院に紹介していただき、手術しました。
この時、まだ結婚してなかったので、診断書に内縁の夫って書かれた(笑)
手術後は鼻とお腹とお尻に管が刺さってた〜〜💦
手術の日の脱力感、今までに経験したことがないくらいしんどかった‼️
次の日、もう病院の廊下を歩きましょうって‼️
それが、歩くスピードがぞうさん並み。
5mくらいを折り返して帰ってきたら、もう立ち上がれない‼️
体力消耗💦
結局、私はリンパ節に転移してたので、ステージIII
手術はリンパ節も切除してもらったそうです。
手術に付き添ってくれた妹が私の切除部分を確認‼️
ガンちゃんが腸の壁面を押し上げてモコモコになってたよって❣️
改めて、もう少し遅かったら、もっと大変だったなぁ〜〜。
今日もそんな話を旦那さんとした。
リンパ節まで転移してたので、一応抗がん剤治療しましょうってことで、6クール(30週)の抗がん剤治療がすぐに始まりました。
とにかく、自分の体が自分じゃないみたいな感覚になる…
なんとも言えない不気味な感覚…
相当体を痛めつけたんだなぁって今は思う。
最後の1週間はもう嫌だって泣きました💦
そして、治療が終わるタイミングで笠岡へ…
旦那さんとも結婚できたし、子供たちも大きくなったし、自由にさせてもらってるし、今は何してても幸せを感じられるようになりました。
私がしたことは、ガンと戦うことではなく、自分の作り出したガンちゃんを受け入れる🍀
ありがとうって手放しました✨💕✨💕
そして、自分に懺悔
自分が作り出した病気
自分に許してもらえるまで謝る✨💕
4年後は自由に幸せに暮らしてるよ😊って4年前の私にテレパシー送っときます❤️
だから、恐怖なく頑張れたのかな❣️
高原ちひろ
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