神宮が前のめりになってドスンと倒れ、それに続いて彼の木刀が床に落ち、ガランガランと高い音を響かせた。
神宮は突っ伏したまま動かない。
木刀を握り直しながらも近づいて触れてみると、くったりとして気を失っているのが分かり、俺はようやく安堵の息を漏らした。
「…二宮…」
背後で大野先生の小さな声が聞こえ、
「大丈夫。息してるし」
俺は応えて神宮から離れ、先生の方へ歩きかけて直ぐに足がもつれて膝から崩れ落ちた。
「二宮!」
先生は慌てて俺に駆け寄るけれど、俺に触れる事を躊躇って少し距離を置いて跪き、
「大丈夫か… ?」
苦しそうに顔を歪めてそう尋ねた。
全然大丈夫じゃない。
あちこち痛い。
木刀を握った左手は冷たく強張って開かず、右手で一本づつ指を開いて木刀を床に落とした。それから手をさすりながら胡座をかいて座り直し、
「…せんせ…いの、バカッ」
俺は彼の胸をドンと突いた。
「なんで、すぐ俺に言わないんだよ。なんで言いなりになってんだよ。なんで…」
溜まりに溜まっていた言いたいことを捲し立てようとするも、すぐに息が切れて言葉は詰まり、俺は俯いて肩を大きく上下させた。
「…ごめん…本当に、ごめん。全部俺のせいだ…」
そんな俺に先生は深く頭を下げ、少し離れたままペタンと座った。
「先生…」
かける言葉を失くし、彼を見つめると、
「…神宮の言う通りだ。俺は、オマエに会いに行けるような立場じゃなかったのに」
先生はポロポロと泣き出して、
「それでも、ひと目、会いたかったんだ… 遠くからでいいから、存在を感じたかった。でも、そんなこと、思っちゃいけなかった… だって、実際に会ってしまって、話をしてしまったら、次もまた会いたくなる。もっと話をしたくなる。そしたら、会う度に、どんどん好きになって、自分でも、どうにもなんなくて…」
しゃくり上げて途切れる声で言葉を紡いだ。
「でも俺は、引かなきゃいけない… だって、だって… だって私は、あなたを裏切った… 待つと約束したのに、それも果たせず、それなのに、それなのに」
先生の声が律のものに変わり、震えるそれは嗚咽に変わった。
その華奢な姿を見ていると胸の奥がギュッと軋んで苦しくて、俺は先生の肩に触れ、
「先生、先生もうやめて? 過去に引きずられないで。先生はもう、律じゃないんだ」
こみ上げてくる涙を堪え、彼に顔を近づけて そう訴えた。
「でも、でも、私のせいで… 私がもっと、強ければ、」
「違う、律は悪くない。律のせいじゃない。もちろん先生も悪くない」
涙が止まらない先生に、俺は語気を強める。
「先生が、先生になってこの学校に来てくれたから、俺は先生に会えた。それは律と慎太郎の繋がりがあったからこそかも知んないけど、それには感謝するけども、過去とか前世とか運命とか、そんなモノより、今、現実に生きてる俺が、」
続けて話すと少し息が切れた。
俺は深く深く息を吸い込んで、
「あなたのことが好きなんだ」
ハッキリとそう伝えた。
俺を見つめて瞬きする先生の目から、また涙がポロポロ落ちる。彼はそれをシャツの袖で何度も拭いて、
「…俺だって… 俺だって、最初から好きだった。でも、俺には、そんなこと言えないから… だから、今日、二宮が女子と一緒にいるの見て、神宮から2人が一緒に帰ってくって聞かされて、二宮は俺なんかといるより絶対その方がいいから、だから、」
早口に話すその声は途中から消え入りそうになっていった。
「だから、俺を呼ばなかったの?」
尋ねると彼は小さく頷いた。
「神宮は俺だけじゃなくて、二宮にも執着してた。でも俺がアイツの言うこと聞いてれば、二宮のことは忘れるだろうから」
「そんで言いなりに? バカかよ!」
「バ、バカじゃない! 俺だって、俺なりにオマエのこと守りたくて、」
「守れてないだろ、結局」
「そ、そんな言い方… すんなよ…」
「拗ねてもダメ。それが現実です」
「ちょ… さっきと態度変わり過ぎだろ!」
ムスッとして声を荒げる先生。
いつの間にか涙は止まってる。
そんな先生の左奥で神宮がゆっくりと立ち上がるのを俺は目の端に捉えていた。
先生はそれにまだ気づいていない。
神宮が音もなく木刀を拾い上げ、俺に一歩近づく。
先生は唇を尖らせて反対の方向へ顔を背けている。
その顔がとても大人に見えなくて、俺はちょっと笑った。
神宮が近づく。
でも俺は気づかないフリをした。
「ねぇ先生、“俺なりに守る”じゃなくて、ちゃんと俺を守って見せてよ。先生は腕力もあるし、ホントは俺なんかよりずっと強いんだからさ」
先生に向かってニッと笑って見せた瞬間、
「俺はまだ負けてないっすよ、センパイ!」
神宮の木刀が俺に向かって振り下ろされた。
そこに攻撃が来ることは分かっていた。俺は痛む右腕を盾にして、あえてそれを受け止めた。
ビキッと骨が軋む音が燃えるような痛みと共に全身を駆け抜けて、俺は短い悲鳴を上げて倒れ込んだ。
「二宮ッ」
先生が驚きの声を上げ、再び木刀を振り上げている神宮から俺を庇う。
「神宮、もうやめろ、オマエは負けたんだ!」
「俺は負けてねぇ。欲しいモンは絶対に手に入れる…!」
神宮の狂気に満ちた瞳が俺と先生を見下ろす。
「先生… 立って。立ってアイツを止めろ」
床に這いつくばったまま、俺は低く檄を飛ばした。
「でも…俺は…」
先生の声が小さく震える。
「立て! 自分の手でアイツを止めろ! 自分の手でアイツに勝て!」
その背中に、俺は腹の底から叫ぶ。
「男だろ!」
怒気を込めて大声で叫んだ時、先生の頭が微かに上を向いた。
「…そうだ。俺はその為に…」
先生が呟く。それと同時に神宮が再び木刀を俺に向かって振り下ろした。
次の瞬間、それは先生の右手でガッチリ受け止められていた。
「…先生、離してよ」
神宮が木刀を捻って引こうとするけれど、それはぴくりとも動かない。
「神宮、もうやめろ」
言いながら先生は木刀を下に押さえ込み、ゆっくりと立ち上がった。
「俺に逆らえんの? 先生」
皮肉った笑み。でも先生は手を緩めない。
「もう言いなりにはならない。オマエも もう、過去に引きずられるのはやめろ」
「は? 先生、忘れてない? 俺はアンタと先輩の写真を」
「勝手にしろよ。オマエがどんな事をしたって、今度は俺が二宮を守る」
「何カッコつけてんだよ先生。アンタは俺にビビッて泣いてりゃいいんだよ!」
神宮が怒鳴るのと同時に先生の手から木刀がすっぽ抜けた。すぐさまそれを突き出す神宮。
先生はそれを僅かな動作でかわし、神宮の手首を掴んだ。袖から出ている先生の腕に太い血管が浮かんで行く。
「痛ッ」
呻き声と共に木刀が床に落ち、また派手な音を立てた。
「クソッ」
神宮が反対の手で闇雲に殴りかかる。
「いい加減にしろって!」
怒鳴った先生が神宮の腕を掴み直したかと思うと、息を飲む間もなく神宮の身体は宙に浮き、そのまま床に叩きつけられた。
それはお手本のように綺麗な一本背負いだった。
つづく
明けまして
おめでとうございます。
>* ))))><
前回のご挨拶で残り2話と書きましたが
無理でした(°▽°)終われません。
テヘペロでございます。