こちらの記事からの派生記事になるのだが、

SNSで布教活動って何?

 

好きなものは誰かにすすめたい、好きを共有できたら嬉しい。自然な感情だろうと思う。

SNSで好きなコンテンツのことやアーティストのことを投稿するなんてことは私ももちろんあるのだけれど、世の中に大多数いる「SNSで布教します!」がよくわからない。

 

小さな規模だとあー宣伝してって頼まれてるんだなーと感じてしまうことも多く、本当に好きなことを広めたいのかそれとも宣伝すること、宣伝してという希望を形にしているのかがわからないなんてこともある。

好きなことを伝えたいというより、好きなことを伝えて欲しいという希望を叶えたことに満足、ならそれでいいのだけれど。

実際私もリポストしてなんて頼まれることもあるのだけれど、

リポストって、ただの周知活動だよねという萎え方をしてしまう。布教というならそこに自分の考えや好きな理由、魅力などを語ったりするわけだけれども。(内心では「布教」という言葉が気持ち悪かったり)

 

この世の中誰もが何かを好きでいる。

好きでいるのは、良い言葉ではないかもしれないけど維持費がかかるわけで・・・なかなか難しいのだ、自分と同じ好きを共有するというのは。

SNSでの布教活動より、私は実際に自分の周りにいる人に自分の言葉で話して相手の意見も聞いて、それでもどう思うよと目と目を見て魅力を伝えたいと思う。

SNS時代に古いと思われてしまうかもしれないけれど、こうしてファンを増やして今、の人達は多いはず。

 

SNSで布教します!を否定しているわけではない。

これが好きです、を本当に伝えたいなら自分の言葉で会話しなきゃ多分それが何よりも伝わるし人の心を動かすと私は本気で信じている。

 

 

最近、チケットの当落に悩まされることがあまりない。

そもそも大人気アイドルのチケットを取るわけではないし、規模の大きいバンドのチケットを取るわけでもないのでそれは当然と言えば当然なのだけれど・・・。

今年の大外しは文具女子博のプレミアムタイムの1部くらいではないかな・・・こちらも一般発売で入手できた。

 

最近は高額転売への対策が少しずつ打たれてきていて、それで困る人達というのも一定数いるのだろうけども転売を生業にしているのは違うのではない?ライブやコンテンツのチケットの価値ってなんだろうな。

 

櫻坂46のチケットが取れなくなってきているという事実はあるのだけれど、彼女達も大人気アイドルではあるのだけれど・・・取れなかったら配信でという逃げ道が用意されていることが多いためそこまでのダメージは負わないかな。しかも顔写真付きの電子チケットでの入場になるので高額転売で荒れるなどと言うこともなく、取れなかった人はそれなりの楽しみ方をしている気がする。転売チケットがない、というのは精神的にも楽しみ方にも余裕を持たせると思うのだ。

リアルミーグリに沢山参加したい人達が死券の山積みになっているのは気の毒に思うけれど、それはまた別の意味の話になってくる。(今回は割愛)

 

私の取るチケットは落選がないのものが多いと思うので、一般発売でもなかなか売り切れない。万が一抽選エントリー忘れても終わったなんてことにはならない。それをただ人気のないアーティストのファンだからということもできるとは思うのだけれど、私にとっては唯一無二の存在。もちろんこの人の魅力をもっと知ってほしいと思うことはあるのだけれど、SNSで布教活動がんばる!という思考にはどうしてもなれず・・・。

(どうしてSNS布教を頑張れないのか、という話は次のブログに続きます。)

 

 

落選とかないよね、と思いながら前日のチケット決済の時間帯には多少の緊張と不安を感じてしまう。

ほんと、チケットとはただの紙っぺらではない。

チケットを入手するという悪く言えば壮絶な闘いはいつになってもキリのない問題なのだろう。収容人数より多い数のチケットなんて出せないわけだから。

 

いつの間に好きと言えない世の中になったよ

推してますって言うのが主流になったよ

 

・・・という不自由さをいつも感じている。

 

好きなミュージシャンがいるわけです。

「推してるミュージシャン」「推してるバンドマン」そういう言い方、しない。

それが感覚として合ってるならそれがその人の正解なのだと思う。

私からは「ファン」という認識がとれない。ただ、好きなだけ。「推し」じゃないです。

 

周りの「推し活してるよね」「それ推し活でしょ」という同調圧力に耐えるのがそろそろしんどくなってきました。かたくるしい。

 

櫻坂46というグループが好きだったりするわけです。

もちろん好きなメンバーもいる。

でも○○ちゃんを推してる、じゃなく、〇〇ちゃんが好きって言いたいんだ、私は。

推す活動なんてしてないよ・・・

好きなだけだ。本当に。

 

誰であっても好きだから。「好き」なだけで「推し」てないです。

好きという表現は決して危険なものではない。それが誰であっても。

 

好きでいることを好きだと言える世界であって欲しい。

「推してる」って好きってことじゃないの?

 

「推してる」って表現が好きな人はそれでいい。

違和感ある人には「好き」という表現がしやすくなって欲しいな、と。好きでしかない私は、思ったり。

 

「推し活」という言葉がどこからやってきたのか?

ただ、時代によって変わっていく言葉に順応できない頭の固い人なのかもしれない・・・。

ただ、誰もが「推し」って言うと通じやすいからその表現を使っているだけ、なのかもしれない・・・。