2024年ってどうだった?と聞かれたら。

 

一言で言えば悪くなかったと思う。

波はあるし、よいことも悪いこともあった。楽しいことも辛いことも。

 

年の初めから札幌に2回行って、食べすぎて太った。1日5食のペースで5日間滞在したら、それは。

本当は2泊3日の滞在の次は日帰りのつもりだったのだけど、エアポート快速の中で飛行機が欠航になるという。

日帰りの荷物で2日過ごせたことは私には自信になったのだけれど、冬の飛行機が飛ぶと思ったらだめと学んだ。

ライブに行ったり友人とご飯行ったり、病院も行った。好きなかき氷も沢山食べた。夏は暑くて自分の身体を引きずって生きていた気がする。夕飯をキャンセルすることも多く何があっても食欲だけは落ちない自信は崩壊した。今は冬の乾燥に参っている。

基本的に一人で活動している人だ。でも誰かとご飯に行ったり話をするのが嫌いなわけではない。

ある程度一人でいる時間がないと生活できない。すすんで人と関わりに行くタイプでもない。一人でいる時間を持てれば人と関わることも楽しくなったりするもので、要は人それぞれの配分の問題なのだと思う。

 

自分の病気のこともあるのだけれど、それについては悩むことも多かった。

理解されづらいことが多い。明るいところにずっといることはできないし(普段の家の中はダウンライト)人が多いところや不快な音が大きいところは病気による精神症状がでてしまう。一見他人からは判断ができない為、いつも通りだと思われてしまうことも苦しいところではある。色々な刺激に過敏なのは人の言葉や行動にも同義で、悪気のないことにも傷ついてしまうことも多い。他人からみればとてつもなく面倒なタイプだ。

極論ではあるのだけれど、関わらない方が関わって問題が起きるよりまだいいよねという判断で関わらない人も多くなった。

過敏なのはいくつもベールをかけて自分を守らないと壊れてしまう。辛いことでもある。

 

それでもこんな私とも懲りずにそばにいてくれる人もいるのも事実で。もちろん自分の感覚でそれぞれ上手な距離感を探しているのだけれど。

 

 

自分の満足度をあげすぎると、日々物足りなくなる。

お金持ちになりたいなんて目標を持つ人もいるけれど、いくらあっても物足りない果てしない望みは特にない。

今の自分に満足しているか?と聞かれれば、

2024年、私は私を生きたしそれなりに楽しかったしいいことが沢山あったのだと思う。

 

2025年の目標なんて特にない。

来年の今、ちゃんと生きてて今年も悪くなかったなと思えていればなと。

 

 

12月半ば、数年振りに京都行った。

 

最近の京都の事情はよくわからないけれど、オーバーツーリズムが問題になっているとか。

どの程度の深刻さなのかがいまいち理解できないまま訪れることになった。目的はライブ公演である。京都が会場なんてことは珍しい。

 

確かに外国の方は多い、流行り病の影響が大きかった時とはわけが違うのはわかってはいたのだけれど、観光名所、例えば清水寺などを訪れていたら大変な思いをしたのかもしれない。

 

高い建物もなく居心地はとてもよかった。

数年ぶりの京都だったけれど、人が多く訪れる準備はある程度できているのだなあという印象を持った。

京都駅のコインロッカーの数、特にキャリーケースが入れられる大きさのロッカーがとても多い。ホテルも多すぎるほどある感じがする。もちろん市バスや道路混雑の問題でお住まいの方は苦労も多いのだと思う。

 

食べ物が美味しくて私にとってはいい気分転換にもなった。

新幹線があまり得意ではないのだけれど(長時間決して降りられないのぞみが怖い、でもこだまで更に長時間乗るのも体調を崩しそうで怖いのだ。昔体調悪化で熱海か小田原に新幹線(のぞみ)を止めます、なんてなったこともあるくらい。これが更にトラウマだ。(もちろん死なないので止めないで下さいと訴えてなんとか目的地まで問題なく走行した。今となっては車掌の方々を始め恐らく更に上の判断も仰いだ上で止めますってことになったのだろうと思うとやらかしすぎである)今回はその新幹線の時間すら少し楽しかった気がする。

 

多分、ライブがよかったんだ。

来年はツアーあるのかな、なんて期待をしている。旅行に行こうと決めるのがあまり得意ではないので、ライブ絡みの旅は好きだ。

 

京都にもまた行きたい。

 

責任を取りたくないという思考はある程度自然だと思う。

 

でも責任をとりたくないばかりに人の心をひきつけられない人だなと思ってしまったことについての記事だ。

 

悪意はないのだと思う。

自身に秘匿が多すぎてそもそも絡みづらい。

どこまで話していいのかがわからず、結果当たり障りのないことしか話せなくなる、会話に内容がなくなる。

何かを聞くたびに警戒の表情を出されたら内容のない話しかできなくなると思う。

 

あと「私は知らない」が多い。

知らないことにしておけばそれはいいのかもしれない。

言いたくないことがあればただ笑っているし、知らぬ存ぜぬが常套文句ではもう会話したくなくなる。

 

人間は誰しも苦手なことや嫌なことがあり、何かしらの傷を背負っている。

自分のことを話したくない人ほど何かしら自分の過去や現在に不安や苦しみや傷があり、責任を逃れることでこの先自分の未来で嫌なこと傷つくことが起こることをどうにか避けようとする。

 

恐れるばかりに自分のいいところまで秘匿してしまう。

だから誰かをひきつけることもできなくなる。

 

絡みづらい人を避けることは悪いことだとは思わない。そうやって人は関わる人を選択していく。

でもその行動は「絡みづらい人」を苦しめているのかもしれない。

自分の行動や言葉に全責任を負うべきなどとは思わないのだけど、それから逃れるのはとても難しく逃れようとする行動をとる時当人は心から安堵して楽になっているのだろうか?