今日は「起源節」から「基元節」へと文言が変わったことについてです。


あなたは、今UCで標榜する「基元節」という文言が、始めは「起源節」と表現されていたという事を知っていましたか?


文先生は、UC圏に降ろされた(かかる数十年に語られた)膨大なみ言葉の中で、本当に希少ではありますが、この様に文言の差し替えを敢えて行われています。


例えば、「●●圏・・・これは、これから●●権としなければならない・・・圏は権にするように!」という感じです。


一体何故この様な事を敢えてされるのでしょうか?


ちなみに、文言の差し替えとは違いますが、旧暦(天歴)と陽暦の様な場合もあります。


「これからは、陽暦ではなく旧暦を使うんだ・・・そしてその旧暦とは天歴になるんだ・・・これからは天歴を使わなければならない!」


圏では今現在、何故、天歴を使わなければならないのかという真意を知らぬまま「天歴●年●月●日」と言っています。


これも、当然のことながら重要な意味を隠して(暗示として)語られています。


つまり、文言の差し替えもそうなのですが、こう言った二つの大きな概念の交差交代をする際は大体決まってある事を暗示して語られています。


勿論、当時文先生が語られたみ言葉を文字通り受け止めているUC圏の皆様にとっては「はぁ???」という内容となります。


ムーンコードを長年やっていますと、この辺の文先生の意図に感嘆します。


つまりMCI的にはですが、とにかくUC圏の皆様の理解する内容とは違った意味が付加されているということなのですね。




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◆ ファミリー2004/10 P23


いつでも、二重的な言葉の相対を見つけ出さなければなりません。対応語は何かということです。対応語を見つけ出すのは、私がチャンピオンです。原理世界の正しいことを教えるために、私がすべてつくったのです。


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このみ言によれば、文先生が語るみ言は、二重的な言葉の相対を含めて語られているということです。


語られる言葉の相対になる対応語を大前提に語られており、問題は、『原理世界の正しいことを教えるために先生自らがつくった』とあることにあります。


これは、語られるみ言の相対となる対応語を見つけ出さない限り、本当の原理『先生の時代の原理』を見出せないという事に他ありません。


これは、文先生のみ言は相当な部分が比喩や喩えで語られているということであり、文字通り受け止めると問題が起こるということです。


現実のUC圏信徒全般は勿論の事、統一家の最頂上の真のご家庭(真の子女一同)にさえ多くの問題が起きています。




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◆ 祝福66号 P172 七七七双聖酒式後の御言


先生の話す話は、聖書によると皆こうなっています。・・・今、統一教会がそこまで完成して、勝利した基準があるから教えるのです。・・それは暗示や比喩をもってなす。表示や合図をもって教えるのです。それは真理を愛する子女関係を結べばわかるのです。


◆ 牧会者の道 第六章 霊的役事と霊界協助 P1034


第3イスラエル建設路程の出発に臨んでいる皆さん! 皆さんはどのようにしなければならないのですか?霊界の法度を知ってこそ抜け出せるのです。その使命系統がどうなっているのか知らなければなりません。その国の軍隊は味方の軍隊で使っている暗号を知ってこそ、戦争をするときに味方から攻撃されません。この時は天の国の暗号が聞こえる時代です。今は暗号通信時代です。


◆ ファミリー2001年6月号 14ページ


適当にはできません。公式によって解いていかなければなりません。数学を解いていくように解いていかなければならないのです。わかりますか?「はい。」


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勿論のことですが、文字通り受け止めなければならない部分は圧倒的に多くあります。


しかしながら、間違いなく重要で肝心な核心部分はどうも比喩や喩えあるいは暗示や暗号で語られている様です。


ついでにと言ってはなんですが、付け加えて、以下のみ言も記載しておきます。




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◆ 祝福家庭と理想天国
● P802 祝福の意義と価値


皆さんは先生が分かりますか。先生が分かりますか、分かりませんか。どう分かりますか。先生の何が分かりますか。顔だけ分かるでしょう。


皆さんが分かる原理を教えるその程度の先生だと思いますか。皆さんが分かる原理は、イエス様までの原理(原理講論)です。


先生の時の原理ではありません。


先生の歴史が分かりますか。「分かりません」。


分からないなら、何をしにこの場に来ましたか。皆さんは孝子になりましたか、なれませんでしたか。「なれませんでした」。孝子にもなれなかった者が、ここに来て座る資格がありますか。


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少し、びっくりされる方もいたことでしょう。


原理講論(現在は原理本体論も含む:何故なら原理公論をベースにして展開されているから)は、UC圏の信徒にとって、絶対視すべき経書(経典)でありこれを軽んずることはあってはなりません。


しかしながら、文先生はその原理講論によって照らし出された真理の有効範囲と限界性をも示しておられるようです。


ここで問題なのは、『皆さんが分かる原理を教えるその程度の先生だと思いますか。皆さんが分かる原理は、イエス様までの原理(原理講論)です。先生の時の原理ではありません。先生の歴史が分かりますか・・・』と、大変な問題提議を投げかけておられることです。


これらのことが本当だとすれば、これは大変です。


統一家の頂上である我々真の子女も信徒の皆様も、文先生の語るみ言全般や摂理的な指示事項など、仰る事の真意が理解できぬまま動いているとしたら・・・。


今、UC圏に起きている様々な混沌と混乱、あるいは社会から見て明らかにおかしいと思われる事象・・・。


これらは全て、「文先生の語る言葉が成約時代の聖書であり暗号である!」ということが理解されないまま文字通り盲目的に信じ実践し続けて来たからだとは言えませんでしょうか?



wintomo



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